幸せだった時のことほど、今、思い出すと辛い。
他の職員たちにも挨拶をして、私は塾を後にした。
田辺先生も、あのメッセージを送ることはできただろうけれど、彼女の人柄も考えるとそれはなさそうだ。
恥ずかしいことに、私と想太が付き合っていたことは隠しきれていなかったようだ。
それならば、予想以上に多くの人間が、私たちの関係を知っていた可能性がある。
当時の塾仲間全員に話を聞くのも骨が折れるので、私はひとまず、事故現場に行ってみることにした。
葬儀の日は、とてもじゃないが事故現場を訪ねる気分ではなかったけれど、今はもう心構えができていた。
***
飲食店のガス漏れによる爆発だと、報道で知ってはいた。
写真も見たし、どこの店だろう、くらいにしか思っていなかった。
焼け跡を目の前にして、私は愕然とした。
それはかつて、私と想太が何度も一緒に食事をした喫茶店だった。
あのクリスマスイブに初めて訪れた、思い出の場所だったのに。
店舗の跡にはいくつもの献花が置かれ、商店街そのものも静かだった。
私も近くの花屋でカーネーションを一輪購入し、戻ってきて花を供え、手を合わせた。
じわりと、涙が浮かぶ。
名前を呼ばれて顔を上げると、零くんがいた。
連絡もせずに私がこっちに来たので、ここで会って驚いた様子だ。
零くんらしい、と思う。
いつだって、そっと隣にいてくれるような優しさで包んでくれる。
彼も菊の花を手にしているところを見ると、偶然私と同じ事を思って、ここに来たようだった。
私と零くんが初めて会ったのも、この喫茶店だった。
「胡桃に、僕の大切な友達を紹介したい」と想太が言ったので、私も喜んで会うことにした。
だから、三人にとっても、思い出の場所と言える。
地元がメディアで騒がれるのが嫌で、極力何も見ず、耳に入れないようにしていた。
だから、今になって強い衝撃が心を打つ。
二人が亡くなったことは悲しいけれど、想太の最期を知っている人がいないことを歯がゆくも思う。
想太は最期に笑っていたのだろうか、幸せだったのだろうか。
溢れた涙を拭っていると、零くんが黙って頭を撫でてくれた。
私がどういう心境でいるのか、彼はちゃんと理解した上でそうしてくれていると、私は分かっていた。
【第9話につづく】
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。