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第1話

はじまりのはじまり
29
2019/06/03 11:33
それは悲しいというには愛しく
哀しいという方がいいような
そんな曖昧な気持ちだった
そう、はじまりは

彼、鳥飼誠一は当時サーバントリーダーだった。
私、あなたは捜査員のひとり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
彼は本庁と所轄の調整役ということで、表向きには感じのよい青年なのだと思う。
ただ私には彼の底にひそむ仄暗いなにかがちらつき、彼がどんな人間であるのか気になっていた。

ある日の休憩中のこと。
私がレンジで作ったカレーを食べていると人の気配を感じた。

「と、鳥飼さん、お疲れ様です。」

手で口もとを隠しながら慌てて挨拶をする。

(よりによってこんな時に)

「おいしそうですね。」

彼とふたりきりで話すのはこれが初めてだ。
捜査の報告を別にすると、だが。

「あの、よかったら召し上がりませんか?作りすぎてしまって。」

「あなたさんが作ったんですか?」

仕草に興味がみてとれた。
私はどぎまぎしながらこたえる。

「レンジでチンしただけですが、なかなかおいしいんです。」

軽くよそって彼に手渡した。

「ありがとうございます。」

なぜこんな大胆なことをしたのだろう。
考えてみれば他人に手料理を食べさせるなんて初めてじゃないか。
しかも手が届かないような上の人間に食べさせるなんて。

「ごめんなさい!お腹を壊してしまったらあれなんで、その、これは私が食べます!」

子供の言い訳のようにちぐはぐな言葉しかでてこない。
次の瞬間、彼が笑い出し、自分の顔が熱くなるのを感じた。

「きちんと加熱されているから大丈夫ですよ。いただきます。」

彼はそう言うと一口食べて笑みを浮かべた。

「おいしいです。まるでお店の味だ。レンジでチンしただけなんて信じられない。隠し味はなんですか?」

私は胸を撫でおろし、彼に作りかたを教えた。
結局彼は全て食べきり、満足そうに口もとを拭った。

「ごちそうさまでした。お世辞でなく、おいしかったです。」

「それならよかったです。」

緊張を隠しながらお皿を受け取る。
ほんの一瞬彼の指先に触れ、はじかれたように身がふるえた。

「今度お礼をさせてください。」

「大したものじゃありませんから。」

社交辞令だとわかっていても、悪い気はしない。
もしそれが実現したらと、想像するだけで満たされた。

「本当においしかったんです。だから、是非お礼をさせてください。」

「では、お気持ちだけ受け取っておきますね。」

ここで浮かれていてはだめだ。
一線ひかなくては、彼は遠い人間だ。

「今週金曜、夜7時に改札前で待っています。」

彼の強引な物言いに慌てるが、うまく言葉がでてこない。

「いえ、あの…。」

「これは命令だと思ってください。」

彼は笑顔を残して、その場を去っていった。
命令だなんて、ずるい人だ。
上の人間の命令を断るわけにいかないじゃないか。
私は頰がゆるむのを感じた。

(どうかしてる)

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