僕を呼ぶ声が聞こえた。
僕は静かに息を呑んだ。
きっと、何百年経っても、その声は忘れない。
忘れられるはずがない。
僕は、振り向いた。
夕焼け色の音楽室のベランダで。
僕らは、見つめ合った。
僕らの出会った、あの時のように。
走りながら、私は、2人の言葉を思い出していた。
冬のある日のことだ。
放課後、部活のなかった私は、特に何をするでもなく1人で教室に残っていた。
窓の外では、白く光る雪が舞っている。
突然、教室に、まどかを連れて戻ってきた陽花は、そう言った。
合っているか合っていないかよりも、そっちの方が驚きなのは私だけだろうか。
陽花とまどかが私に詰め寄る。
1つ溜息をついて答えた。
私が小さくそう言うと、2人は声を揃えた。
仲良く声を揃えた2人に驚いて間抜けな声が出た。
陽花とまどかは、図書室での出来事から、また仲良く喋ったり遊んだりしているらしい。
こんなに仲良しとは思わなかったが。
はあ、とひとつ溜息を落として陽花が言う。
私は、瞬きを返した。
後悔。
いつかきっと、雪川くんと話せなかったことを、私は、後悔するのかもしれない。
けど、私はーー
まどかがふんと鼻を鳴らした。
まどかの声が一瞬沈んだけれど、最後は言い捨ててふんと鼻を鳴らす。
そんなまどかに陽花が茶々を入れる。
むすっとした顔でまどかが顔をそらす。
自覚はありそうだった。
その言葉に、私は言葉を返せなかった。
けど、今なら分かる。
2人の願いも、言葉の意味も。
私は、谷小の音楽室を目指して走っていた。
『最後のお別れ』をしにくるのは、きっと、私達が出会った場所だと思ったから。
あの、音楽室のベランダへ。
茜色の町を走って行く。
急げ。
早く、雪川くんのところへ。
走れ、私ーー
奈緒の家を出て、僕は、茜色の町を抜けて、谷小の音楽室のベランダへ向かっていた。
谷小の緩い防犯システムに助かった。
校門は開いてるし、音楽室の鍵も開いている。
音楽室のベランダへと出て夕焼けに息を呑んだ。
うつくしい。
不意に、凪音さんの声が聞こえた気がした。
あの時、君は、何を思ってそう言ったのだろうか。
ああ。僕は、君のことを何も知ろうとしていなかったのだと、やっと気づいた。
僕を呼ぶ声が聞こえた。
僕は静かに息を呑んだ。
きっと、何百年経っても、その声は忘れない。
忘れられるはずがない。
僕は、振り向いた。
凪音さんが、そこに立っていた。
僕は、思わずそう呟いた。
痛い。凪音さんの姿だけで、痛かった。
ぽつりと凪音さんは呟いた。
僕は、眉を顰めた。
違うよ、と続けようとして、気づいた。
震えていた。
凪音さんは、1人で、恐怖に怯える子供のように、震えていた。
その言葉で、充分だった。
強く、うつくしい人だと思っていた。
穢く残酷な世界を見ても、未だ見ぬうつくしい世界を信じられる、強い人だと。
違ったのだ。
傷つかないのではなくて。
傷つき過ぎて、何が傷なのか分からないだけで。
痛くないのではなくて。
痛みを知りすぎて、何が痛みなのか自分でも分からなくなってしまっただけで。
もう、自分の信じたうつくしい世界しか、凪音さんには残されていなかったから。
ー僕と、同じだった。
凪音さんも、僕と同じだった。
傷を知って、痛みを知って。
ひとりに怯える、ただの少女だった。
小さくそう言って、凪音さんは顔を上げた。
凪音さんは、笑って言葉を続けた。
哀しくなるほどうつくしい、あの笑顔で。
ひとりは嫌だと。
僕と、進みたいと。
…僕で、いいのだと。
ー僕らで一緒にうつくしい世界を見るのだと。
この痛みも、僕だった。
大切な、僕の一部だった。
嘘つきの、私でも、いいの。
そう言った君に、僕は笑いかけた。
僕らは、顔を見合わせて、笑った。
そして、夕焼け空を仰いだ。
青春とは、恋とは。
不可解なものだ。
青春とは。
傷つきながらも、うつくしい世界を探すことだ。
恋とは。
誰かと、うつくしい世界を見たいと思えることだ。
重なり、すれ違い、交差する想いの中で。
僕らは、生きてゆく。
ーああ、なんて、世界はうつくしい。
僕らは、うつくしい世界で、確かに恋をしていた。
『青春クロスロード』
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。