僕らが入学して、3週間が経った。
僕と凪音さんは、中学生になっても相変わらず小学生の頃と同じように、不思議な関係を続けていた。
皮肉を言い合ったりクラス情勢について話したりそれとやっぱり哲学的なことについて話し合ったり。
でも、やっぱり人前では、必要最低限の話しかしなかった。何故かというと。
やっぱり、凪音さんは今年も人気者だったからだ。
僕からしたら、人気者というレッテルに、凪音さんが意図的に合わせているように見えるが。
僕?僕は今年もフツメンの立ち位置だけど何か?
年を重ねるごとに性格がどんどんひねくれていっている気がするのは僕だけだろうか。
僕の予想通り、凪音さんは丘小の人達とすぐ仲良くなり、そしてクラスの中心になった。
凪音さんは、辛くないのだろうか。
自分を偽ることに。
はあ、と少し溜息をつく。
凪音さんの心配をしている余裕もない。
奈緒。
彼女は、5年生の時と6年生の時は、普通に学校に通っていたらしい。
いじめていた主要人物とクラスが離されたからだろうと僕は思う。
そして、僕からも、だ。
今年も、奈緒とクラスは違った。
奈緒は、2組だった。
奈緒と会わずに、奈緒に責められずに済むと思って、クラスを確認した時思わずほっとしてしまった。そして気づいた。
僕は、奈緒のことを追い詰めてしまったのに、それなのに、まだ。
僕は奈緒にこう言われるのが怖いのかもしれない。
お前さえ、いなければ。
勝手だ。
僕も、皆も。
全員、自分勝手だ。
もう1度、溜息をついた。
2人きりの夕焼けの橙に染まる教室で、凪音さんは不思議そうに呟いた。
もう1度、溜息をついた。
今までの溜息とは、少し違う種類の溜息だった。
凪音さんは女子バスケットボール部に入っている。けど、活動日は少ないらしい。
嫌そうなのが声に出たらしい。
くすくす笑いながら凪音さんは口を開く。
凪音さんは腕を乗せていた窓枠に、今度はそれを支えにして頬杖をついた。
呑み込まれそうなほど、うつくしい夕焼けだった。
僕は思う。
この世界に、人なんかがいなければ、世界はうつくしいのではないだろうか。
あながち間違いではない気がする。
けれど、正解でもない気がする。
…よく、分からない。
凪音さんが、静かに口を開いた。
夕焼けを見つめながら。
高村陽花。
彼女は、僕のクラスメートであり、僕のクラス情勢を引っ掻き回す重要人物だ。
何事にも積極的に取り組み、いつでも全力で過ごす、良く言えばクラスのムードメーカー、悪く言えば喧しく優等生ぶっているいけ好かない奴、というところが妥当だろう。
誰もが最初からそう思っていた。
4日前。
高村さんへのいじめが始まった。
もちろんと言うべきなのか、僕と凪音さんは極力関わらないようにしている。
大半のクラスメートがそれだ。
だから、一部の女子がいじめているということだ。と言っても悪口や陰口だけだが。
そう考えて、また溜息をついた。
何が、だけ、だ。
本人は、だけだなんて思えないだろう。
高村さんは、丘小出身らしい。
はきはきした性格からか、もともと丘小の女子に嫌われていたらしい。
まあ、僕はこういう性格は嫌いじゃない。
けれど、下手だな、と思う。
もっと、上手くやれば。そうすれば、いじめられることもないだろうに。
それもまた、僕というただの傍観者からの一方的な、身震いするような身勝手とはいえ。
凪音さんは、夕焼けよりも、もっともっと遠くを見るように、じっと窓の外を見つめながら言った。
私ー凪音柚葉の所属する、図書委員会の私の担当だったポスター作りが終わり、帰り支度をしていた、その時だった。
私は、振り向いた。若干の緊張を隠しながら。
彼女ー高村陽花さんも、私と同じ図書委員だった。
だからノックもせずに放課後の図書室に入ってくるのだ。無神経な訳ではない。
わざわざ私に会う為に図書室まで来たらしい。
乱れた息を整える高村さんを見て、気づかれないぐらいの小さな溜息をつく。
高村さんは、陸上部のTシャツを着ていた。自分も部活があるというのに、私を見つけて走って来たらしい。
そういえば校庭からは図書室が見えるんだったっけ。目良すぎでしょ…。
薄々、何を言われるか分かっていた。
何で、私なんだろう。私なんかに言っても、何もならないのに。
例えばーそう、雪川くん。
あのうつくしい人は、きっと悩みながらも正解を探すだろう。
何でーー私なんだろう。
言葉を探して、高村さんは俯いた。
高村さんの可愛らしいつむじを見つめて、私も高村さんの言葉を待った。
私は思わず口を開いていた。無意識だった。
訳の分からない衝動に動かされて、言葉を続ける。
高村さんは、顔を上げた。
その顔は、涙で濡れていた。
私は小さく呟いた。
こんなことを、言うつもりはなかった。
けど、高村さんに、これだけは伝えなきゃいけないような、そんな気がしたんだ。
高村さんは息を吸って、吐いて、それを何回も繰り返す。何回も、何回も。
知っている。
これは、心の中にほんの少しでも隙間を作る為だ。
張り詰めた糸みたいにすぐ切れちゃうから。
隙間がないと、心が壊れちゃうから。
差し伸べられた手に、恐る恐る手を伸ばすように、高村さんが言った。
小さく小さく、思わず漏れてしまった声のように。
一瞬、音が消えたように思えた。
高村さんは、自分の言葉に驚いたように、目を限界まで見開いて、口を大きく、真ん丸に開けて、丸々5秒間黙り込んでいた。
両手を顔の前で、素早くパタパタ振りながら高村さんが早口でまくしたてる。
顔は真っ赤だった。もちろん、耳まで。
私は、微笑んだ。
そう、私と違って。
高村さんは、はにかむように笑った。
おどけたように凪音さんが言う。
正解?
そんなの、僕が教えてほしいぐらいだ。
半眼で見つめると凪音さんは、ふうと息を吐いた。
でも、と凪音さんは胸を張った。
あの、音楽室のベランダで、決然として言った時のように。
凪音さんは、柔らかい笑みを僕に向けた。
とてもとてもうつくしい笑顔だった。
深く頭を下げる凪音さん。
ー参った。
好きな人の頼みをどうして断れようか?
僕の言葉に、嬉しそうに微笑んだ凪音さんの顔をきっと僕は一生忘れられないだろうと、そう思った。
ただひとつだけ確かなことがある。
僕は、凪音さんのように、たすけてと言った人を、助けられなかった。
僕は、凪音さんのように、うつくしくない。
だから。僕は、僕こそが。
ー凪音さんの信じるうつくしい世界にはいらない。
それを自覚して。
凪音さんの傍にいてはいけないのだと知って。
どうしようもないくらい、寂しくて。
その寂しさだけが、ただひとつ確かなことだった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。