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第3話

「信じない」
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2018/09/02 03:52
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私の姉は、なんでもよくできた。

勉強だって、小学生の頃から中学生の問題も解いちゃうし、テストはどの教科もいっつも満点。運動だって、足は速いわ、跳び箱なんて何段飛べるんだかって思うくらい。歌もピアノもヴァイオリンもできた。特にピアノなんか、小学生2年生でショパンの「子犬のワルツ」とか、凄いのしか弾いてなかった。しかも完璧に。
その上とっても可愛い。何回かスカウトされているのを横で見てきた。でもだからと言ってそれを鼻にかける訳ではなく、友達も多くて話し上手。小さい頃から大人への接し方だって見事なものだった。
要するに「完璧」だった。

世の中から見ても、母親から見ても。


それに比べてだった。

私は勉強が出来ない。どの教科もそこそこの点数しか取れなかったし、数学と理科なんて壊滅的だった。
運動に関して、出来るのは、縄跳びくらい。ボール遊びは嫌いだった。走るなんて論外。跳び箱をやれば、四段で顔面から落ちた。
歌だって歌えるし、ピアノだって多少は弾ける。でも、姉みたいには、どうしても、どうやっても、無理だった。何も出来ない私にヴァイオリンを弾くことなんて、やる前からさらさら諦められ、弾かせてもらえることはなかった。その上私は、そこまで可愛い訳でもなく、体型も悪い。とりあえず全部ダメだ。

こんな風に何も出来ないし、どこも可愛くない私は、周りから姉と比較された。当たり前だ。
私は、誰かと話したら自分が姉よりまるで馬鹿で無能な事がするバレてしまうのではないかとか、変なことを考えているから、年齢を重ねていくうちに、ほとんど誰とも話そうとしなくなった。

姉とはまるで真逆だった。

そんな私は、いつからだったか。小学生受験に落ちたときから母親に存在を疎まれ、嫌うようになった。


母親は、まあ言うところの「完璧主義」だった。

どんなテストでも100点は当たり前。なんでも完璧にこなさないといけない。
出来なければ、人間じゃないし、自分の子供とはみなさない。出来ない子に手をあげるのは、当たり前。姉とは違う、期待外れの私に対し母親は容赦しなかった。

最初は痛かった。母親に殴られたり蹴られたりするのは嫌だった。暴言すら痛かった。
だから頑張ってテストで100点だって取ろうとしたし、運動も音楽も努力はした。

でも無理だったんだ。


自分はどんなにやっても無駄だ。

そう思い始めたのが私の終わりだったのかもしれない。
母親に認められたい、優しくされてみたいと思ったことなんか何回もある。お姉ちゃんみたいになれたらって思ったことなんか何十回も何百回もある。

そんなこと無理だっていうのにね。


そして誰とも話さない私は、中学でおもいっきり孤立した。

クラスの中で1人、休み時間に本を読んだりしている私は、何が気に食わなかったか、クラスの1番目立つグループの女子達に目をつけられてしまった。

もちろん「仲間はずれ」が始まった。

初めは机に「きもい」とか「優等生乙w」とか落書きされるとか、その辺までだった。
でもだんだんエスカレートしていくそれは、物が隠されたり、机の中にゴミや雑巾が入ってたり。通りすがりに愚痴を囁かれたり、トイレに入ると上から水をぶちまけられたり。歩いたり、走ったり、食べたり、何をするにも「きもい」とか言われたり。

ついには唯一仲良かったある女の子にまで
見捨てられてしまった。


本当は怖かったし、嫌だったし、辛かった。

自分の居場所は家にも学校にもないんだなーと思うと不安でしかたがなかった。

自分は何もしたらいけないの?歩いてもダメなの?笑っちゃダメなの?食べたらいけないの?こんな私は、何かを食べる資格なんかないの?
生きてちゃいけないの?

考えすぎてノイローゼみたいになったこともある。

でもこんなこと、
誰にも言えなかった。言う人がいなかった。

きっと先生達は信じてくれない。面倒くさいから。
親に言ったら殴られて精神病棟行きだ。
姉とはそもほも話さない。
友達なんかいない。捨てられた。
電話しよう?どこでいつするの?きっと馬鹿にされる。

結局それで3年間耐え続けた。

幸い親は、小学校受験も中学生受験も落ちた私に希望も何も望んでいなかったらしく、代わりにもう顔を見たくないからと、この山梨県にある寮付きの学校にぶっこんだんだ。

笑っちゃうよね、ほんと私ってダメ人間なんだ。

誰からも頼られてないし、それどころか見捨てられてる。

それに私も
誰も頼らないし、信じない。

それは

きっとこれからも。



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