「ただいま帰りました…」
私は他人の家に忍び込むように玄関に入った。
玄関の前には西洋服(スーツ)姿の七宮家長男、裕典(ひろのり)お兄様が壁のように道を塞いでいた。
「…裕典お兄様?」
私は苦笑するが、裕典お兄様の顔はどう見ても怒っている。
「千恋、どこに行ってた。」
私は誤魔化そうと、いつもと同じ嘘をつく。
「えっと!女学校の友達と一緒に─」
「…今日はお客さんが来ると言っただろう。」
「あっ」と、朝の出来事を思い出した。
お父様が今夜、千恋の婚約者を呼ぶとか何とか…
私はそれを忘れたくて、松文堂に行ったんだ。
すっかり、頭の中から消えていた。
「お客さまはもうディナールームでお待ちしています。急いで下さい。」
「…はい。」
結婚なんてしたくない。
女学校の友達はおっさんじゃなかったら早く結婚したい!!とか、格好良かったらいいのに~などと、永遠と夢を語っている。
でも私は、どんなに完璧な人でも結婚したいなんて思わない。
そう持論を述べながら、ディナールームへと入った。
「どこへ行っていたんだ。」
お父様は眉間にシワを寄せ、酷く怒っていた。
「ご無礼をお許し下さい。」
私は一同に深々と礼をする。
お母様は「まあいいじゃないの~」と場を和やかにする。
「千恋、この方が黒政(くろまさ)公爵だ。」
「初めまして。七宮家のお嬢さん。」
その紳士的な姿勢を見せるのは、公爵という爵位の中でもトップに君臨するお家柄。
黒政家だ。
「そしてこちらが、黒政公爵のご子息様
──黒政柳吟(クロマサ リュウギン)くんだ。」
「こんばんは、ちk…千恋さん。」
黒政柳吟。先ほども見たその顔。
松文堂で口からよだれを垂らしていた、あのねこだ。
でも今その話を出したら、私が松文堂に通っていることが両親にバレてしまう。
私は初対面の振りをする。
「こんばんは、黒政さん。」
彼に向けて一礼する。
その時、彼が私の手首を掴んだ。
「(え!?なにこの人!?)」
すると、私の手のひらを見て一点を指さす。
そこには傷が1つできていた。切り傷だ。
「これ、さっきの本で切ったのかな?」
青年は自然と口にしてしまった。
父の方を見ると引きつった笑みを浮かべている。
「柳吟くん?さっきの本って?」
「あ、失礼しました。先ほど松文堂で彼女とお会いしまして。」
「松文堂?千恋、ちょっと来なさい。」
「はい…皆様、失礼致します。」
私はディナールームから連れ出された。
お父様の顔も見ることができない。
「言ったよな?もう二度と行くな、と。」
「はい…」
そう、昔は毎日のように通っていた。父も母もそれを許してくれた。
けれど、ある日。大事件が起きた。
松文堂から家へ帰るとき、七宮家が出入りしているのに気づいた平民が私を誘拐した。
それ以来、松文堂への出入りを禁止にした。
でも、そんなことできるはずなかった。
「巫山戯るな。お前は自由でも、私たちは自由じゃないんだ。この家の名誉を守るのが、お前たち子供らの仕事だろう!!
しかもあの黒政家に知られるなんて大恥を。
今後一切、あの店に近寄るな!!
ただでさえあんなボロボロな店…」
父の説教は終わり、やっと始まったディナー。
父の機嫌はいまいち直っていない。
すると、黒政公爵が口を開いた。
「そうだ、千恋さん。松文堂を知っているんだね。」
父の顔を見てから返事をする。
「はい。」
「あの、黒政公爵?松文堂の話はもういいじゃあないですか?笑」
父が話を止めようと黒政公爵に口出しする。
黒政公爵は「いやいや、聞きたいよ。」と、話を続けようとする。
「あの店。気にならないかい?」
「なにがですか?」
気になるところが山ほどあり過ぎて、何の話をしているのか分からない。
「あんなに華々しい町にボロボロの古本屋。なぜ政府はあそこを潰さないのか。
気にならないかい?」
そう言われればと思い返す。
路地裏とはいえ、有名な西洋料理店がずらりと並んでいるのだから、そう考えると不思議ではある。
「実はね、松文堂は私の叔父が経営しているからなんだよ。あそこ、貴重な古本が多いだろう?」
確かに納得がいく。
西洋から東洋、世界各国の古本が存在する。
どこから入手したのか不思議だ。
「松文堂を利用する客ってね、皇家が多いんだ。皇族だけじゃない。華族や士族もだ。」
「ですが、私は人がいたところ見たことがないのですが…」
今日が初めてだった。客がいる松文堂。
というか、彼は客なのだろうか。
「それはね、本を直接見に来る人はいないからだよ。届けて欲しいとしか言われない。
だから、あの店には人がいつも1人しか居ない。でも、叔父さんが言っていたよ。
1人、変わったお嬢さんがいるって(笑)
それが君だったなんてね…驚いたよ。」
いや、私も驚いた。松木文和さんがこんな凄い人と血縁関係があっただなんて。
「いえ、私もおじいさんにはいつもお世話になっています。」
ふと父の顔を見ると、父はなんてことしてしまったんだ。と言わんばかりの蒼白な顔をしていた。
「ちこってフミさんのこと“おじいさん”って呼んでんだ?」
「ん?ちこ?」
黒政公爵が驚いたのか、食事の手を止める。
私は訂正する。
「違うんです!!千恋の文字を彼がちこって読み間違えただけなんです。」
「ふぅ~ん、読み間違えね…」
黒政公爵は細目で青年の目を見る。
青年は何だよ。とちょっと照れていた(?)が、ディナーはいい雰囲気に包まれて幕を閉じた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。