「このお手紙ですね、お母様。」
「ええ。ありがとう、千恋。」
松文堂に行くついでにと手紙をポストに入れてきて欲しいと頼まれ渡された。
宛先は英字で書かれているため読めない。
ただ、宛名は分かる。
私の兄、七宮家次男の七宮政典(まさのり)に宛てたものだった。
「(お父様もお母様も反対していたものの内心では心配で仕方がないのに。)」
政典はイギリスで西洋文学について学んでいる。
私の古本好きはその兄が原因だ。
初めて連れて行ってくれた古本屋が松文堂だった。
手を引かれるがままに連れて行かれた場所は、紙の匂いがする優しい日だまりに包まれたところだった。
ただの紙の匂いじゃない。感情豊かな匂いだった。
──私はそこで初めて本に出会った。
「こんにちは」
いつものように少し小さな扉をくぐる。
その先にはいつものようにおじいさんが─
「なんだ、また来たのかよ~」
おじいさんはまだ入院中らしい。
赤椅子にはこの間のねこ青年、黒政柳吟が堂々と座っていた。
「暇なんですか…」
ジト目で黒政を見ると即答で「大当たり☆」とドヤ顔で返された。
私は彼のことを気にせず、借りていた本を本棚に戻す。
その時、ふと降ってきた言葉が口から出てしまった。
「いい御身分ですこと。御公爵さまは…」
青年の表情は分からない。
だがその瞬間、私が本棚にしまおうとした本を青年が一瞬のうちに抜き取った。
「え…?」
5秒ほど本がとられたことに気づかなかった。
彼は怒っているのか分からない。
なぜなら、俯いているせいか目を合わせようともしないし前髪が陰になって見ることすらできなかったからだ。
私はやっと自分がいわれたくない言葉を彼に無防備に与えてしまったのだと理解した。
「…ごめんなさい、言い過ぎました。」
私は自分の身分が自分のものでないのに我がごとのように振る舞うのが嫌いだ。
それなのに、彼を傷つけるようなことを言ってしまった。
「平気。よく言われんだよー?
いい暮らししてんだろ?とか、もっとスゲえやつと知り合いなんじゃねーの?とかね。」
悲しそうに寂しそうに語る。
私は深く反省した。
「ま、それでも俺は恵まれてると思ってるよ。幸せだとも思ってるし。」
どうしてだろう。私とは真逆だ。
考えていること、思っていることは同じなのに、結論が全く違う。
「なんで?どうしてそう思えるの?」
青年何言ってんだこいつ、とでもいいそうな目で私を見ている。
「…世の中、不幸せな人のほうが多いってこと知らないのか?」
「聞いたことはあるけど…」
「その人たちの生活を知ってるか?
道に落ちている食べ物を拾って、一日でも生きようと懸命に命と向き合っている。
それに比べて俺は、好きなように毎日を送り、家に帰れば好きな食べ物、温かい家があり、家族がいる。
──それだけで幸せだ。
それ以上になにを求めてるんだお前は。」
その言葉は私の心を深く抉った。
それと共に、彼の優しさに気づいた。
「そうだね…」
青年は「あ、そうだ。」と一言呟く。
「ん?」
「“猫に小判”って知ってるか?」
「うん。」
猫に小判を与えても猫は小判の価値がわからない。という言葉。
これは誰もが知っているはずだろう。
「あれはなんで猫に小判か知ってるか?」
「どういうこと??」
青年がなにを言っているのか全く分からない。
「知らない感じか。じゃあ、俺の家がどんな家かは知ってるか?」
「知ってるわよ…黒政家よ?私を馬鹿にしてるの?」
公爵家の黒政は江戸時代から両替商としてお金を扱う職種を代々受け継いでいた。
だから今は“大手銀行”として有名だ。
「じゃあ、ちょっとついてきて。」
「えっ、ちょっと!」
青年は右手に初暖を抱え、左手で私の腕を掴み引っ張る。
連れて行かれたのはおじいさんの居住域である建物の一番奥の部屋。
「…なにここ…すごい…」
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。