第4話

仲間か否か
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2021/12/26 04:33
 暖かな春の日差しが差し込む教室で、伏黒は先日やってきたというもう一人の同級生を待っていた。山の中にある高専の朝は欠伸が出るほど穏やかで、鳥の囀りと梢の揺れる音を除けば静寂に満ちている。人々の喧騒よりも深閑とした空気の方が性に合う伏黒にとって、日々の戦いとはかけ離れたこの空気が嫌いではなかった。

 例の新入生が来るまでは時間を潰そうと手元では小説を開いているが、紙面の文字を追うことはなく思考に耽ける。それも、つい昨晩担任から言われた言葉を思い出したからだった。




 それは夜の十時を回る頃。男子寮にある自室で就寝しようとした直前に、担任であり恩人である五条が、話があると言って押し掛けてきたのである。
 当然寝るのを阻まれた伏黒の機嫌は最悪。とはいえ話があると言ってきた五条の事を無碍にも出来ないので、渋々耳を傾けた。

「で?何すか話って」
「今日来た新入生の話」

 それを聞くと伏黒は一瞬瞠目し、はぁ?と声を上げる。その声には何故こんな夜中に同級生の話があるのか、という不満が詰まっていた。
 顔を顰める伏黒を五条は宥めると、床に胡座をかいて座り込む。

「実はその子が上層部派の家柄の生まれでさ、恵の術式を狙ってるみたいなんだよね」
「……はぁ」

 溜息混じりにそう返事をする。よくある事、という訳でもないが、伏黒自身の術式目当てで近寄ってくる人間は今まで何人もいた。禪院家の手の者、その他の家の者、他にも色々。昔からそういった事には苦労しつつも、大抵は五条が金の力やら何やらで火種を消していたのを覚えている。

「…そういうのを追い払うのはアンタの仕事でしょ」
「今回は訳が違うの。アッチは入学っていう建前があるからさ、追い払うにも無理があるんだよねぇ〜」

 じゃあどうすんだよ。言葉は傲慢そのものではあるが、実際、この手の類は五条しか解決出来ない。
 だが五条はポリポリと頬を書くと、満面の笑みを口元に浮かべて言う。

「分かんない!」

 まるで匙を投げるような、そんな一言だった。再び「はぁ?」という声が伏黒から漏れる。悪びれなさそうに笑う五条は、愉快げに訳を説明し出す。

「いやぁ、今まで通り追い返してもいいんだけどさ、多分そうしたらあの子の立場が危うくなっちゃうんだよね」
「……アンタが人の保身を考えるとか珍しいですね」
「え〜、そんなことないよ。僕ってほら、心優しい男だから」

 ハートが付くような語尾に伏黒は若干苛立ちを覚えるが、すぐにそれは引く。そういえばこの人は昔っからこうだった。

「………で、立場って?」
「あの子、葛城家の妾の生まれなんだよね」

 葛城家。その名を聞いて、伏黒は自身の脳に検索をかける。数年前に五条から聞いた事がある単語だった。
 禪院家と加茂家の血筋を持った御三家に次ぐ有力家系で、五条曰く『上層部に媚びへつらう成金家系』。女性蔑視や実力主義は当たり前。連中がただのバカならまだいいが、面倒なことに狡猾で残忍な奴が多い、とも言っていた。

「妾の子供と言っても術式を持っていれば待遇されることもある。恵も会ったことあるでしょ?ほら、加茂家の加茂憲紀くん」
「あぁ……」

 あの妙に親しげな奴か、と糸目の青年の顔を思い出す。私と同じだかなんだか言っていたが、伏黒には道端に生えた雑草程に興味のない事だった。
 五条は続けて話を進める。

「彼は加茂家相伝の術式を持ってる。そして相伝の術式を持っているという点では葛城家のその子も同じ。……ただ、彼女は余り待遇されなかったみたいだ」
「それって……」
「随分と傷だらけだったよ、彼女。本当に徹底的な教育を受けてきたらしい」

 五条は寮やら高専のセキュリティやらの説明をしていた時にチラリと見えた、少女の腕にある無数の傷跡を思い出す。どう見ても人為的に傷つけられた痕で、彼女の受けてきた仕打ちを容易に想像できた。同時に、彼女が洗脳紛いな思考を持っている原因も。

「もし恵を連れ帰らなかったら役立たずとして殺される、とまではいかないだろうけど、適当な所に嫁がされて子供を産まされるんじゃないかな。あっ、もしくは呪霊の餌にされるとか、ただの呪力供給器になるとかかな!」

 悍ましい言葉の数々を明るく連呼する五条。
 正直、伏黒にとってはだからなんだという話だ。自分の身を危険に晒してまで救いようの無い人間を助けるというのは、理解が出来なかった。
 だが同時に、五条の言葉通りの事が起こったとしてと想像し、この上なく胸糞悪い気分になる。

「……クソですね」
「でしょお?」
「どうするんですか」
「色々考えたけど、とりあえず様子を見ることにしたよ。学長とも話し合ってね。本人は恵に実力が無かったら手を引くっつってたけど、恵の実力を考えれば多分まだ引き下がらないと思うよ」

 それがいい事なのか伏黒には分からないが、最善策ではあるのだろう。
 全てではないが伝えるべきことは伝え終わった五条は、部屋を出ていこうと扉を開ける。すると何か思い出したようにあ、と声を上げ、振り向いて言った。

「ちゃんと仲良くしてあげてね♡」
「……はい」

 …今度は確実にハートがついていて、思わず舌打ちが漏れた。




 昨晩の一連の出来事を思い出し終わったところで、ガラリ、と教室の扉が開く。

「…貴方が伏黒恵さんですか?」

 伏黒を見据えてそう言った彼女に、ああ、と返事をする。

 小綺麗な奴だな、と伏黒は思った。雪みたいに真っ白な髪は丁寧に整えられ、今朝道端で見たすみれの花みたいな目の色をしていた。そして何より制服である。黒の外套と学帽のようなものを被った姿はいつの時代の学生だ、と言いたくなるような格好だった。

 彼女は座っている伏黒の隣まで来ると、 慇懃な態度で会釈する。

「初めまして、葛城あなたです」
「……伏黒恵。よろしく」

 伏黒も立ち上がって挨拶をすると、握手をしようと手を差し出す。だが葛城はその手を一瞥するだけで、自分も手を差し出そうとはしなかった。

「結構です。我々の間にくだらない情は必要ありません」
「は?」
「呪術師というのは個人競技、我々は仲間ではなく競争相手です。貴方とはクラスメイトなどという立場で接したくはありません」

 そう言うと苦虫を噛み潰したような顔をする伏黒など眼中に無いかのように、葛城は伏黒の座っていた場所の先隣にある椅子に座る。
 伏黒も腹立たしいが気持ちを取り直して椅子に座ると、心の中の傍若無人な恩人に文句をつける。


 五条先生、仲良く出来そうにないです。

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