第11話

二章 王女死す? 3
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2022/10/13 03:00
 フレデリカはどうやら、グレーテル・コールという、台所番の召し使いとして宮殿で働く少女になってしまったらしい。

 グレーテルは、暴走したフレデリカの乗る馬の前に立ちはだかった、あの勇敢な少女だ。

 彼女はフレデリカと同じ十六歳で、出身は王都ザルツシュタインの近郊にある、コーゼル村。

 コーゼル村はイザーク・シュルツの出身地でもあり、彼の実家もそこにある。そしてグレーテルの両親もまた、コーゼル村で健在。

 イザークの操る馬に同乗してコーゼル村に向かう道すがら、イザークからもたらされた情報で知りえたのは、ざっとこんなものだった。

 しかしなぜ自分がグレーテルになってしまったのかは、さっぱりわからない。馬に揺られている間に何度も、「わたしは、グレーテルではありません。フレデリカです」と訴えた。だが、「ああ、そうかい」と、おざなりな答えが返ってくるだけだった。

 最後には、「信じてください」と心から震える声で訴えたが、「信じてる。信じてる。信じてるから、黙れ」と面倒そうに言われ、心が折れた。

 女の泣き顔は醜いと教えられ続けていたが、ここに至って我慢できなくなった。

(どうせ今は、誰もわたしをフレデリカだと思っていないのだもの。王女でないわたしが、泣こうが喚こうが、逆立ちしようが、国王陛下や国の威信が傷つくことはない)

 フレデリカはイザークの腰に背後から抱きつき、黒い軍服の背中でごしごしと涙を拭った。

 彼は嫌な顔をして「鼻水は拭くなよ」と注意したが、お構いなしに、なにもかも拭いた。

(国王陛下とお母様は、きっと落胆なさっているはず)

 父国王と王妃である母は、フレデリカを愛してくれていると思う。フレデリカが死んだとなれば、きっと哀しんでいるはずだ。そしてそれ以上に、国の後継者が亡くなったことに落胆しているだろう。そのことが申し訳ない。

 この状態では、こうやってグレーテルとして扱われるしか道はない。怖かった。台所番の生活など知らないし、グレーテルという少女がどんな家に住んでいるかも想像がつかない。

 初夏の日射しに照らされて、馬の蹄の音がのんびりと響く。

 王都を出ると、さほど深い森はない。小さな林が点在し、岩の突き出た草地が広がっている。

 王都を中心とした一帯は、硬い岩盤の上に砂礫が載った地質だ。作物の収穫はほとんど望めない土地であるからこそ、建国の英雄ヴァルターはこの場所に王都を建設したという。国内の耕地を減らさないための、英断だったらしい。

 馬と並行して、黒猫が歩いていた。宮殿でフレデリカの足元にまとわりついてきた黒猫だ。その黒猫は当然のような顔で、ずっとフレデリカについてきている。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
どこの黒猫かしら、宮殿の誰かの飼い猫なら、帰してやらないと……
 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら呟く。その呟きに周囲を確認したイザークは、肩をすくめた。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
猫なんていない
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
いいえ、います。そこに
 指さすと彼はそちらへ視線を向けるが、見えないらしい。訝しげに眉根が寄っただけだった。

 これから向かうコーゼル村は、ケルナー伯爵の領地内にあるはずだった。伯爵の居城のコーゼル城も、近いはず。

 今朝バラ園で出会った、愛想の良い伯爵を思い出す。時々しか顔を見ない人だし、親しく話したことはない。けれどあの親切そうな伯爵になら、フレデリカの窮状を訴え出て、協力を仰げないだろうか。一瞬そんなことを考えたが、すぐに自分の中の冷静な部分が否定する。

(無理だわ、きっと。国王陛下や、お母様すらも信じてくれないことなのに)

 そうこうするうちに、コーゼル村に到着していた。

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