フレデリカはどうやら、グレーテル・コールという、台所番の召し使いとして宮殿で働く少女になってしまったらしい。
グレーテルは、暴走したフレデリカの乗る馬の前に立ちはだかった、あの勇敢な少女だ。
彼女はフレデリカと同じ十六歳で、出身は王都ザルツシュタインの近郊にある、コーゼル村。
コーゼル村はイザーク・シュルツの出身地でもあり、彼の実家もそこにある。そしてグレーテルの両親もまた、コーゼル村で健在。
イザークの操る馬に同乗してコーゼル村に向かう道すがら、イザークからもたらされた情報で知りえたのは、ざっとこんなものだった。
しかしなぜ自分がグレーテルになってしまったのかは、さっぱりわからない。馬に揺られている間に何度も、「わたしは、グレーテルではありません。フレデリカです」と訴えた。だが、「ああ、そうかい」と、おざなりな答えが返ってくるだけだった。
最後には、「信じてください」と心から震える声で訴えたが、「信じてる。信じてる。信じてるから、黙れ」と面倒そうに言われ、心が折れた。
女の泣き顔は醜いと教えられ続けていたが、ここに至って我慢できなくなった。
(どうせ今は、誰もわたしをフレデリカだと思っていないのだもの。王女でないわたしが、泣こうが喚こうが、逆立ちしようが、国王陛下や国の威信が傷つくことはない)
フレデリカはイザークの腰に背後から抱きつき、黒い軍服の背中でごしごしと涙を拭った。
彼は嫌な顔をして「鼻水は拭くなよ」と注意したが、お構いなしに、なにもかも拭いた。
(国王陛下とお母様は、きっと落胆なさっているはず)
父国王と王妃である母は、フレデリカを愛してくれていると思う。フレデリカが死んだとなれば、きっと哀しんでいるはずだ。そしてそれ以上に、国の後継者が亡くなったことに落胆しているだろう。そのことが申し訳ない。
この状態では、こうやってグレーテルとして扱われるしか道はない。怖かった。台所番の生活など知らないし、グレーテルという少女がどんな家に住んでいるかも想像がつかない。
初夏の日射しに照らされて、馬の蹄の音がのんびりと響く。
王都を出ると、さほど深い森はない。小さな林が点在し、岩の突き出た草地が広がっている。
王都を中心とした一帯は、硬い岩盤の上に砂礫が載った地質だ。作物の収穫はほとんど望めない土地であるからこそ、建国の英雄ヴァルターはこの場所に王都を建設したという。国内の耕地を減らさないための、英断だったらしい。
馬と並行して、黒猫が歩いていた。宮殿でフレデリカの足元にまとわりついてきた黒猫だ。その黒猫は当然のような顔で、ずっとフレデリカについてきている。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。