第7話

一章 フレデリカとグレーテル 6
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2022/09/15 03:00
 地獄の番犬ことイザーク・シュルツは、六公爵の一人である陸軍大臣ミュラー公爵に呼ばれていた。

 ロートタール監獄に収監されて五年になるさる貴族が、三日前に獄死した。その後始末を巡って、陸軍大臣から直接あれこれと指示が出されたので、その結果を報告するためだった。
ミュラー公爵
本当に、死んでいたか?
 王宮サロンの片隅に座り、イザークの持参した書面をめくりながら陸軍大臣が訊いた。書面には獄死した者がどう扱われ、誰の立ち会いでどのように埋葬されたか、細かく記されている。

 陸軍大臣を務めるミュラー公爵は、二十代半ば。精悍で理知的な風貌だ。六公爵の中で最も年若い公爵だったが、切れ者と評判が高い。

 開け放たれた掃き出し窓から、涼やかな風がサロンに吹きこむ。そして明るい日射しが、大理石の床を温めていた。適当な間隔を空けて配置された長椅子や椅子には、貴婦人や貴公子たちが小集団を作って集まり、密やかに、あるいは声高に会話をしている。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
どういう意味でしょうか、閣下
 周囲の雑音を遮断するように、冷たい声と表情で答えた。イザークは貴族が嫌いだ。この陸軍大臣にしても好きではないが、ただ有能なのは認めていた。
ミュラー公爵
獄死したカルステンス侯は、シュバルツノイマン党と繫がっているという噂があったのだ
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
シュバルツノイマン党ですか? 国王陛下の暗殺を企てているという噂もある、あの?
 近年大陸では啓蒙思想が広がり、中世から続く絶対王政に対して、人々が疑念を抱きはじめていた。その最たるものが、数ヶ月前にオレリアン王国で起こった市民蜂起だ。情報が錯綜し確かなことはわからないが、オレリアンの王族たちは市民に捕縛されたらしい。

 オレリアン市民の蜂起を促したのは、啓蒙思想家を名乗る連中が立ちあげた、党と呼ばれる集団だった。この党と呼ばれるものが、エーデルクライン王国内にも密かに結成されている。それがシュバルツノイマン党だ。
ミュラー公爵
シュバルツノイマン党は、なかなか厄介な連中らしいからな
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
わたしの見たところ、カルステンス侯は完璧な死体になっていました。シュバルツノイマン党も、啓蒙思想で死人を生き返らせることはできないでしょう
ミュラー公爵
おまえの見立てがそうなら、間違いないか。それはそうと、おまえはケルナー伯爵の領内にある、コーゼル村の出身だったな。確か騎士団に採用される際、保証人になったのがケルナー伯爵だったと記憶しているが
我知らず眉をひそめていた。ケルナーとは、嫌な名前を聞かされるものだ。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
それがなにか?
ミュラー公爵
ケルナー伯爵は、カルステンス侯と親交があったらしいな
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
そのようでしたが、ケルナー伯爵が手紙を届けたことも、面会に来たこともありません
 苦々しさを抑え込み淡々と答えるイザークを、陸軍大臣は探るように見つめていた。しかしそれで、何かが納得できたらしく微笑した。
ミュラー公爵
ご苦労だった、シュルツ。さがっていい
 一礼すると、イザークはサロンを出た。廊下を歩き出すとすぐに、どこぞの貴婦人と鉢合わせた。彼女は「びぇっ」というような、妙な悲鳴をあげて飛び退いた。

 こんな反応は慣れっこだったので、イザークは薄く笑い、優雅に会釈して通り過ぎる。すると貴婦人は目を見開き、歩き去るイザークの後ろ姿を名残惜しそうに見送った。

 第三騎士団は任務の性質上、騎士団の中で唯一、第三身分と呼ばれる平民で構成される。

 そこに所属する者は名誉騎士という胡散臭い称号を与えられ、礼儀作法を仕込まれる。だから宮殿に出入りしても恥をかくことはないが、これがイザークには心底面倒だ。

 しかも宮殿内で貴族連中と顔を合わせると、「ひゃっ」だの「ぎゃぁ」だの「助けて!」だのと悲鳴をあげられる。その反応を見ると、いっそ追い回したい衝動にかられるが、そこは我慢している。

 ロートタール監獄へ帰るために、預けた馬を取りに廏へ向かった。すると馬手たちが騒がしく喚きあい、あちこち駆け回って混乱していた。

 焦る大人たちを、馬手見習いの少年が廏の壁に貼りつき、青い顔で見守っていた。その少年の背後に近づくと、くしゃくしゃの巻き毛頭を撫でる。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
おい、どうしたトンダ。何の騒ぎだよ。なにがあった
 不安げな表情で、少年が顔をあげた。
トンダ
あ、シュルツさんか。事故があったんだよ。フレデリカ殿下が遠乗りをしていたら、馬が暴れて、落馬したんだ。フレデリカ殿下は天使宮に運ばれたけど、意識がないって
 馬が暴れたとなると、馬手たちの責任を問われるはずだ。彼らが右往左往し、慌てふためいているのは無理からぬことだ。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
まずいな、それは。しかしなんだって、フレデリカ殿下が遠乗りに
 フレデリカ王女のことは、公式行事のおりに遠目で姿を見たことがある程度だった。宝石や天使に喩えられるのも当然と思えるほど、美しい王女だった。だが、どこか人形めいていた。本当に生きているのかと怪しむ程に、イザークの目には笑顔さえ虚ろに映った。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
とても遠乗りに行くタイプには見えなかったが。お姫様が何の気まぐれだよ。迷惑な
トンダ
そうだ。シュルツさん、グレーテルと仲良かったよね!? グレーテルも巻きこまれたんだよ! フレデリカ殿下の馬に蹴られて、グレーテルも意識がないって。台所に運ばれた
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
グレーテルが? あいつは頑丈にできてるが、さすがに馬に蹴られたら……
 グレーテルは幼なじみだ。五つも年下で、しかも女の子なのに、彼女に関しては守ってやりたい気持ちや可愛いという感情は、抱いたことがない。グレーテルが側に来ると、イザークはまず警戒する。そして用心深く相手の出方を探る。そんな癖がついている。

 喩えるなら、グレーテルは小さな悪魔。イザークは常々、そんなふうに思っていた。

 しかし悪い奴ではない。とある理由で昔から、ずっと気にしている存在ではある。大怪我をした可能性があるなら放っておけなかった。
イザーク・シュルツ
イザーク・シュルツ
わかった、ありがとう。グレーテルの様子を覗いて帰る
 イザークは今一度少年の頭をくしゃくしゃにすると、元来た道を戻った。