第5話

一章 フレデリカとグレーテル 4
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2022/09/01 03:00
 ぎょっとした。この声の主には、遠慮や配慮は一切ない。

 ベッドを飛び降り、開かずの簞笥に向かって一直線に駆けるが、ドレスの裾を踏んで体ごと簞笥の中に突っこんだ。そら豆人形がばらばらと頭から降ってくるが、
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
ごめんね! ごめん! あとで、あとできちんとしてあげるから!
 小声で謝りながら、頭の上に載るそら豆人形たちを簞笥の中に押し戻す。ついでに手にしていたそら豆人形も押しこむと、無理矢理に簞笥を閉めて鍵をかけた。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
フレデリカ! やあ、こんなところにいたの! 可愛いフレデリカ
 間一髪、寝室の扉が開く。朗らかな笑顔で扉を開き、大げさに両手を広げてみせたのは、背中にバラの花を背負っているような派手な雰囲気の青年だった。

 はーはー息を乱しながらふり返り、フレデリカは引きつった笑顔で応える。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
ユリウス・グロスハイム。なぜいつも、ノックもせずに寝室に入るの? 不躾ではない?
 と、とりあえず淑女らしいことを言ってみたつもりだった。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
……ブシツケ……って?
「それ美味しいの?」と訊きそうな顔で、青年は首を傾げる。頭の上に、ひよひよとヒヨコが飛んだのが見えた気がした。淑女の苦情は、通じないらしい。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
……。ええっと、無礼ではないの? という意味だけど
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
そういう意味か。無礼であれば謝罪するよ! 愛するフレデリカ。とりあえず結婚しよう
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
結婚はしません
 謝罪を口にしながら悪びれるところのない青年の笑顔に、脱力した。彼はエーデルクライン王国六公爵の一人、内務大臣であるグロスハイム公爵の嫡男ユリウス・グロスハイムだ。

 六公爵は、建国の英雄ヴァルターに仕えた六人の天使の末裔とされている。伝説にある六人の天使とは、この地方を支配していた領主たちのことだろうと解釈されているからだ。

 英雄ヴァルターはその領主たちを支配してエーデルクラインを建国し、天使になぞらえられた領主たちは、公爵として王家に仕えた。そして、三百年。

 ユリウス・グロスハイムも天使の末裔として、いずれグロスハイム公爵家を継ぐ青年だ。

 長身の引き締まった体軀に、純白の生地に銀糸の縫い取りがある、近衛隊第一騎士団の軍服を身につけている。その肩には金モール。彼は、第一騎士団の騎士団長だ。

 明るい夏の光のような金髪と、真夏の森林のような清々しい緑の瞳が、清潔感あふれる白い軍服に映える。

 剣の腕も立つし、信仰心も厚い。家柄と剣の腕と信仰心で、神聖聖教会から聖騎士の名誉称号まで授けられている、まさに非の打ち所のない貴公子。

 彼は七つの歳に出会ったその日から、「愛している」「結婚しよう」を連呼する。

 四、五年前、思春期にさしかかったフレデリカは、「愛している」を連呼するユリウスの言葉に、ときめきかけたことがある。その時に恥じらいながら「わたしのどこが好き?」と、問うと、彼は太陽のような笑顔で「顔だけ!」と言いきった。

 思春期のフレデリカは衝撃のあまり、三日間、鏡を見るのが嫌になった。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
まあ、結婚は後でいいよ。今日は、遠乗りに行こう
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
えっ!? そ、それは、いや。心から遠慮します。ユリウスと遠乗りに行ったら、ひどい目にあうに決まってる。この前も狩猟の森を散歩していて、あなたがどこかの姫君を馬に乗せているところを目撃したわよ。彼女、最終的に馬から振り落とされて、池に放りこまれてたわ
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
そうだっけ? まあ、僕は過去のことは、ふり返らないから
 鷹揚に微笑み格好をつけているが、要するに忘れている。

(心から……残念な貴公子)

 隠れ残念な美少女は、自分のことはさておき、目の前の青年の弱点を嘆く。

 ユリウスは、『天真爛漫な振る舞いをのぞけば、完璧な貴公子』と宮廷で囁かれている。こんな忘れっぽい、天真爛漫男と危険な遠乗りなど、全力で遠慮したい娯楽第一位だ。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
今日の遠乗りは、本当は国王陛下とのお約束だったんだ。東洋の外交官が滞在してるから、そのお方のおもてなしの一環でね。けれど陛下が急な公務で行けないから、君を代わりにと仰ったんだ。フレデリカが同行するなら、先方の外交官も喜ぶしね。陛下から君へのご命令だよ
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
国王陛下のご命令なの?
 フレデリカにとって父親は、父である前に国王陛下だ。だから、お父様と呼んだことは一度もないし、どんな些細なことでも、王の命令に背いてはならないと教えられている。

(でも、この程度のことなら拒否しても。なにしろ生命の危機)

 顔をあげて口を開きかけるが、長年の躾が、フレデリカの言葉を喉の奥で引き留めた。観念して、フレデリカは大きくため息をつく。

(命の危険なく遠乗り出来るような、安全対策を考えよう)