第4話

一章 フレデリカとグレーテル 3
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2022/08/25 03:00
 天使の微笑みでフレデリカが眺めるのは、簞笥の中にぎっしりと詰め込まれたそら豆人形だ。

 その数、大小とり混ぜて五十体。薄暗い簞笥の中に、巨大な頭としなびた赤い目玉の人形がみっちり並ぶ様は、飛び退きたくなるほどの衝撃と迫力。

 その中の一体をいそいそ取り出し、ベッドの上へ持ち込む。本来、刺繡に使うための裁縫道具も持ち込み、脳漿がはみ出したように見えないこともない、頭から藁が飛び出たそら豆人形の顔を繕いはじめる。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
このでろっとした残念感漂う姿……可愛い! 極上の、ふざけた悪夢みたい
 独自の審美眼を発揮し、愛しさにうち震えた。

 それはフレデリカが初めて手にしたそら豆人形で、ある少女がくれたものだった。

 フレデリカが五歳の時、天使宮のバラ園に、時折姿を見せる同い年くらいの少女がいた。身なりからして、宮殿で働く召し使いの子供のようだった。

 その子はフレデリカに、自分はフレデリカの双子の姉妹なのだと打ちあけた。生まれた時に引き離され、自分は召し使いの子供として育ったというのだ。

 その告白は今思えば、子供のついた他愛ない噓だったとわかる。だがその時は嬉しかった。

 肉親というものの存在が、フレデリカにとっては遠い。

 生まれた時から、フレデリカは両親とは別の宮殿で育てられた。両親に会えるのは、毎朝のご挨拶をするために、王と王妃の私室へ行くほんの一時だけだった。

 叔父や従兄弟たちもいたが、彼らは節度をもって国王や王妃に接するので、自然とフレデリカにも他人行儀だった。

 ケルナー伯爵のように、親切に声をかけてくれる人たちはたくさんいる。しかし結局、その人たちの誰とも親しく話したことはない。王女が特定の者と親しくなるのは、公平さを欠く恐れがあるために、立場上望ましくないからだ。
フレデリカ・アップフェルバウム
フレデリカ・アップフェルバウム
あの子は今、どこにいるのかしら
 ある日突然ぱたりと姿を見せなくなって、それきりだ。だから彼女の置き土産のそら豆人形を彼女の代わりにして、話しかけ、抱きしめ、共に眠った。

 しかし実は、そら豆人形は、エーデルクライン王国の三大不気味民芸品の一つに数えられる人形。魔除けの一種だが、魔除けにしても気味悪すぎて好まれない。

 世間的には不気味なのだと認識しながらも、自分的には可愛すぎて、手放せなかった。

 結局フレデリカは、そら豆人形に偏愛を捧げていることをひた隠しにして成長した。

 そして困った事に、そら豆人形の不気味可愛さに心酔すると、それに近い雰囲気を醸しだすものに愛着と安らぎを感じるという、奇妙な習性が芽生えていた。

 好きな生物は、瞳がらんらんと輝く黒猫。

 好きな本は、怖すぎて発禁処分ぎりぎりと言われた『神聖聖教と大陸の暗部』と題する、虚構だかそうでないかよくわからない、実は作者も誰かよくわからないという、怪奇書。

 エーデルクライン建国の英雄に仕えた『六人の天使と一人の悪魔』という伝説にも興味をひかれ、古文書もあさった。無論、調べたのは六人の天使のことではなく、一人の悪魔に関係することばかり。その悪魔とは、湖水地方に実在した大魔術師だという説があり、そこからさらに興味を広げ、魔術師のあれこれまで調べてしまった。

 不吉で美しく、不気味で可愛く、怖くてふざけているもの。そんなものが好きだ。残念ながら、大好きだ。そして正直、悪趣味だ。可憐な王女の趣味としては、絶対公表出来ない。

(それでもわたしは、王女らしくあらねばならない)

 気弱で、社交が苦手で、地味で大人しい自分の生来の性質は自覚している。その本来の自分では、将来、王としてやっていけないのはわかっている。

 だから、華やかなエーデルクラインの宝石を演じているのだ。

 王にふさわしい教養と思考力を身につけるために、勉強ばかりしているのだ。自分はけして秀才でないから、勉強しなくては理解が及ばないことばかりだった。

 本来の自分をひた隠し、全ての人々を欺いている。だからだろう。彼女のことを誰もが天使や、宝石に喩えるのは、美貌のためだけではないはず。周囲の人々の目に映る自分は、人としての実感が伴わないほどに空々しい虚像なのだ。

 けれど虚像であるべきだ。

 将来国を背負う者の責任は重い。それは得体のしれない、とてつもなく大切で、けして取りこぼしてはいけない大きな影を背負わされるような不気味さと不安がある。

 だが王位継承権を放棄し、他の誰かに押しつけることは卑怯で無責任だ。

 自分の資質が支配者に向いていないなら、人々が望む王になれるように、自分の全てを殺して虚像を演じる。それは後ろめたいし、窮屈だし、息苦しい。しかしそうであろうとも、虚像であるべきなのだ。それが責任だ。

(でも……将来大きな責任を負うわたしが、毎日これでいいの?)

 それは常々感じることだった。いずれ大きな責任を負うはずの自分の立場であれば、もっとなにか、するべきことがある。そんな気がしてならないのだ。

 抱き続けている疑問を、父である国王に訊いてみたかった。けれど国王も王妃も忙しく、まとまった時間会えることが、ほとんどない。

 だから晩餐を一緒にする機会でもあればと考え、国王の侍従に申し入れをした。やっと二ヶ月前、晩餐の予定を組んだと知らせを受けて喜んだ。今日がその日だった。しかし私的な晩餐など、最も後回しにされる部類の予定だ。簡単に流されてしまったらしい。

 幼い頃から、フレデリカにとって両親は遠い存在だ。慕わしくても、遠くから眺めるだけ。微笑みかけられると有頂天になれるが、ずっと側にいてくれる存在ではない。

 それを思うと心にすきま風が吹いたような気がしたので、慌ててそら豆人形を抱きしめた。こんな気持ちに向き合ってしまったら面倒なことになるのを、幼い頃からの経験で知っていた。
ユリウス・グロスハイム
ユリウス・グロスハイム
フレデリカ!
 突然、居間の方から明朗な青年の声がした。