『パシャパシャ』
何度か顔に掬った水を打ち付けて、傍らの白いタオルで顔を拭いた時だった。
ふと、洗面台真正面に張られた鏡に映った先程まで使っていたドライヤーに目が止まった。
何度か瞬きをした後、タオルから顔を出した私は昨日の記憶をもう一度ゆっくりと辿ってみる。
と、一瞬だけ脳裏に万次郎の顔が現れる。
それから声が聞こえた気がした。
『じゃさ、今度は俺の髪をあなたが乾かす番。』
『今から風呂行って来っから、部屋戻ったら俺の髪乾かして。』
靄がかかっていた昨夜の記憶がはっきりと蘇る。
重く感じる頭は相変わらずだが、風呂上がりの万次郎を彼の部屋で待っていたことを思い出した。
声の主も分からぬまま、タオルに顔を埋めて会話をしていたが、
まさか彼だとは思わなかった。
『バッ!!!』
タオルから顔を出すと、慌てて振り返った。
そして、
その名を口走ってしまった。
(あっ……)
もう長いこと口にしていなかった、彼の名字。
『お前は特別だ。』
『ずっと俺の傍にいろ。俺の目の届くところに、ずっと。』
『大好き、マイキー。』
『…』
私は万次郎からその言葉を貰った瞬間、
彼を『万次郎』と呼ぶのは止めた。
なのに…
今し方、はっきりとこの口で発してしまった自分にびっくりした上に、
目の前の万次郎の反応が見えなくて激しい動揺を覚える。
弁解しようと口を開けた私を他所に、
万次郎はにこりと笑みを作った。
どら焼きをあげた時やバイクを仲間と乗り回している時とは違う。
ただ、優しく微笑む。
(…)
そうだった。
私が万次郎と呼んでいた時は、いつもこんな風に笑いかけてくれていた。
言葉を失い、口を閉じるのも忘れて、
万次郎が笑っているのを見ていた。
久しぶりに見た、その優しい微笑みに目を離すことが出来ない。
声に乗せようとした言葉は空気と化してしまい、
口元を微かに動かしただけで終わってしまった。
その後はキュッと唇を結んだ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。