『あなたちゃんが落ちた』
たまたま居合わせたというマサイの電話に、俺の頭は何も考えられなくなっていた。それでも、気づけばたくさんの人が群がる階段に、足を運んでいた。
少し離れたところで俺を探していたマサイと合流。人混みをかき分けて階段を降りる。何とか一番下までたどり着いた時にはもう、あなたは担架に乗り、救急車へ運ばれる途中だった。
それ以外の言葉が見つからなかった。
目の前の信じ難い状況に動けない俺に代わって、
マサイが救急隊員に搬送先の病院をたずねる。
何も言わずにマサイの後に続いた。
病院に着いて、赤いランプがついた手術室の前で頭を冷やしていると、冷静になった俺の頭。「大丈夫。きっと上手くいく。」そう思うことしか出来なくて、我ながら情けない。
あなたの両親にも連絡を入れたが、かなり遠いところまで仕事に出ているらしく、すぐには来られないとの事。
今、あなたのそばにいられるのは俺しかいない。そう思っていた矢先、手術室の赤いランプが消え、中から医師が出てきた。
なんとなく苦い顔をしているような気がして、不安が募る。医師は俺にあなたのことについて何問か質問して、最後にこう言った。
『記憶が混乱しているかもしれません。重傷であれば、ここ数年の出来事は覚えていない可能性も十分にあります。』
信じたくなかった。数年単位で記憶が抜けているなら、俺との思い出はひとつも残っていない。なんなら俺という存在さえも、あなたの記憶には残らない。
なんで...なんで...!
とりあえずあなたの両親が来るまでは、俺がそばにいてあげないと。本当は怖いのに、そう思うことであなたの病室に足を運ぶ勇気を、無理やり引き出した。
コンコン
まだ麻酔が効いててぐっすり眠るあなた。
いつ目を覚ますだろうか。もし俺がいる時に目を覚ましたら、あなたにとって最悪の状況になりかねない。それでも、どうしても1人にできないという、自分のわがままを渋々受け入れて病室にとどまった。
それから30分ほど経った頃、あなたの瞼がゆっくりと持ち上げられた。
何度も見たこの美しい眼を、安堵と緊張の面持ちで見つめる。それからどれだけの時間が経ったのか分からないが、今の状況を何とか理解した君は、後頭部の痛みに綺麗な顔を歪ませてこう言った。
うそ...だろ...
覚悟はしていたが、いざ現実となると結構くる。
目頭が熱くなって、目を合わせられない。
ダメだ。溢れてくる涙が止められない。この涙が流れ落ちる前にここを立ち去らないと...心配そうにこちらを見つめる君に、余計に悲しくなって目を逸らしたまま言った。
病室を出た俺は、とりあえず医者に報告しに行ったはいいものの、もう一度病室に戻る勇気もなくて、病院を出た。駅を出てからずいぶん時間が経っているので、マサイは既に帰宅済み。俺は1人で家路に着いた。
帰っても誰もいない家で、スマホの確認さえもせず、ベッドに倒れた。自然とさっきの出来事が脳内で再生される。それと同時に溢れる涙。
何とか堪えようとするも、たまたま触れてしまった首筋の冷たさが、俺を悲しみと恐怖のどん底に突き落としてきた。
止まらない。涙がひとりでに流れているかと思うほどに、どうやっても止まらなかった。声を出さないと窒息しそうなほどに呼吸が乱れる。途中で兄貴が帰ってきても止まることはなく、ひたすら部屋でネックレスを握りしめて泣いていた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。