春が終わりに近づき、初夏の匂いすら感じる5月の夕方。
保坂あずみは、部活の仲間と別れ、帰宅している途中である。
ダンス部に所属する彼女は、練習で使う曲を1つ思い出し、鼻歌を歌い始めた。
すると、通りかかった本屋から、見覚えのある人影が出てくる。
出てきたのは、あずみのクラスメイトである男子生徒・副島史哉だった。
物静かな性格で、いつも独りでいる。
誰かと話しているところをほとんど見たことがない。
そんな彼を、あずみは幼い頃から知っている。
実は、あずみの家の2軒隣りに、彼が住んでいるのだ。
大して仲良くはないが、挨拶を交わす程度の関係性はある。
家が近いため、そそくさと先に帰るのも憚られ、あずみは思い切って史哉に話しかけた。
まるで住む世界の違う人間を前にしたかのように、史哉は目を泳がせたが、数秒後に頷いた。
おとなしい史哉とは対照的に、あずみは校内でも名の知れた派手な格好のギャル。
ただし、勉強でも部活でも成績を残しているので、それほど問題児扱いはされていない。
あずみはふと、史哉が手に持っている紙袋を見た。
大きさからして、単行本が1冊、入っているだろう。
史哉は頷き、紙袋の封を開けて中身を取り出した。
人気のある男性作家の新作小説だ。
彼のミステリー小説なら、あずみも過去に数冊読んでいる。
あずみは、思い出せる限りのタイトルを伝えた。
それから、巧みなミスリードや驚きの展開などについて話していると、史哉の表情が少しずつ柔らかくなっていく。
近くに住んでいるのに、こうして話に花を咲かせたのは、これが初めてだ。
史哉が暗い性格だというのは、あずみの一方的な思い込みだった。
徐に、あずみは史哉の方を見た。
すると、史哉もあずみを見つめ返す。
何か言いたそうな表情だ。
ギャルだって、読書くらいする。
外見で相手を判断してしまうのは、史哉も同じだったらしい。
それがおもしろくて、あずみが笑っていると、史哉は頭を掻きながら申し訳なさそうに頭を下げた。
照れくさくて、あずみは史哉から視線を逸らした。
ただ自分らしくありたいだけなのに、それを褒められると、くすぐったいものだ。
互いの家が近くなってくる。
そろそろ別れようか、という時に、史哉が足を止めた。
あずみがつられて立ち止まると、史哉はじっとあずみを見つめている。
【第2話につづく】
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!