第5話

足りない何か
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2020/05/27 07:58
人の心を動かすピアニストになりたい

小説を書いてみたい


わたしは隼と池田に、そう夢を語った。


特に人の心を動かすピアニストになりたい、という夢は絶対に捨てられない、と。私は今まで沢山音楽に、ピアノに救われてきたから、今度は私が救う側の人間になりたい。夢を叶えるために、いま習っているピアノの先生に勧められている音楽大学附属の高校に進学する。その為にはどんな努力もいとわない。



何があっても諦めない。
いつか必ずピアノで人を救う、凄い人になる。


絶対に凄い人になる。





あの宣言から、もうすぐ1年が経つ____。



2019年9月26日。ピアノの実技試験が終わった。
頭も心も、真っ白となった。

___どうしよう__。

お辞儀をして会場から出た瞬間、
私のなかの何かが切れた。


「あああああああああああああああぁぁぁああ!!」



1年ピアノ科の課題は、ハノンのスケール&アルペジオと、ハイドンかモーツァルトのソナタの第1・3楽章を自由に選択して弾く、というものだった。私は、ハイドンのピアノソナタ第62番の第1・3楽章を選択していた。


____全然弾けなかった_____。


出だしのスケールで失敗した。左手が上手く入らず、気持ちばかりが焦ってしまい、ソナタに至っては全く集中できず意識もほぼ無い状態となってしまった。本番の場数は幼少期から踏んできたし、たぶんこの失敗の原因は緊張ではない。もっと大きくて、深刻なものだと思う。

ソナタは夏のコンクールでも弾き込んであったし、そのコンクールでは全国大会まで残って、生まれて初めての入賞も貰った。それなのに、何だか今ひとつ自分の演奏に自信が持てないまま、今日の実技試験を迎えてしまった。

最近、漠然と思うのだ。私の演奏には、何かが決定的に足りない。それが何かと聞かれたら、分からないのだが...



「和佳!凄い声したけど大丈夫?!!」


私より先に試験を終えている諸我と澪が近づいてくる。澪はまだ私が何も言っていないのに、私の表情から失敗を悟り、話し出した。

「和佳、みんな多かれ少なかれ失敗や後悔はある。だからそんな気に病まなくていいと思うよ。実技試験はまた2月にあるんだから。次がんばろう?」

澪の慰めが同情に聞こえて屈辱的な気持ちになる。澪は心配してくれているのに、私は澪のせっかくの優しさを素直に受け取れず、顔を上げられない。

「よし昼ごはん行こ!和佳!!今日は美味しいもん食べて、明日の声楽の試験までに気持ち切り替えよう?大丈夫だって!失敗したってどうせ和佳は上手いんだからそんな悪い点数にはならないよ !!」

明日も、ピアノ専攻の生徒は副専攻の声楽の実技試験がある。澪の言う通りだ。くよくよしていたら明日の声楽の試験まで駄目にしてしまう。

分かってはいる。澪は正しい。そして優しい。そう思うのに澪の妙にあかるい声に、言葉に、どうしても嫌なものを感じてしまう。澪は私の失敗を内心喜んでいるのではないか、と。だって普段はあまり気にしないことだけど、私たちは親友である以前に、ライバルなのだから。


「ごめん、今日は帰る」
私はちゃんと笑えていただろうか。
というか、私が高校でちゃんと笑えていたことってあったけ。あったとしたらそれは、

それは、諸我と居るときだ_____。

「宮武、ごめん。俺も今日は帰るわ。
また後日ご飯いこうな。」


諸我の足音が迫ってくる。
私は足早に逃げるように去った。


「...なんで着いてくんのさ」
「そっちこそ何で逃げるんだよ」
「私は早く帰りたいだけ」
「俺も早く帰りたいだけ」

諸我は私の後ろをずっと着いてくる。諸我の帰るべきところは学生寮なはずなのに、駅までの道を、諸我は私と少しの距離を取りながら、歩いている。

きっと駅まで送ってくれるつもりなんだろうな__

私の横に並ばず後ろを歩くところや、私に声をかけないで無言でいるところ。諸我のそういう気づかいを、あたたかく感じた。いつも思う。諸我はなんだか、私をよく分かってくれている。


後ろを振り返り、諸我に手を振って、改札口へと向かう。私は電車に乗りながら、何がいけなかったのか考えた。といっても最寄り駅までは僅か10分、ひと駅なのだが。

練習は、今回の実技試験に向けて、未だかつてないほど熱心に取り組んだ。朝は5時半に起きて6時から2時間朝練をした。放課後家に着いてからも、21時まで弾き続けた。ツェルニー・バッハといった基礎を固める練習曲だって毎日サボらなかった。昼休みだけでなく、5分休みも練習室に駆け込み、指を動かし続けた。練習嫌いな私史上、今まででいちばんの頑張りだったのではないだろうか、と思う。

練習量やテクニックが足りなくて失敗したんじゃない、やっぱりもっと大きなものが私には足りなくて、だから失敗したのだろう。

思い返すと、私は実技試験が近くなればなるほど余裕がなくなっていた。

「和佳ってスケールはあんま上手くないよね。
基礎がなってないんじゃない?」

澪の些細な発言を気に病み、家に帰って号泣しながらピアノを弾いた夜もあった。楽天家で能天気が売りの私が。

「なんか最近、和佳ちゃんのピアノが、和佳ちゃんっぽくないのよね。ぱっとしない。」

昔からピアノをみて頂いている奈々先生のその一言に傷ついて、一睡も出来なかった夜もあった。
寝るのが大好きで、授業中ですら居眠りタイムにしてしまう私が。


そして私は、........そうだ。私は、いつしか、
起きている時間より夢のなかの方が
たのしみになっていたのだ。

そういえばもう、初めて1年前の夢を見た日から3週間以上も経っている。私はいつの間にか、1年前の夢を見れますように、と祈ってから、眠りにつくようになっていた。

見る夢の内容は、授業中だったり休み時間だったり、給食中だったりとバラバラで、どれもとても笑えるものばかりだった。

でも祈ったって、1年前の夢を見れない日もある。
雨が降っていたり、風が強かったり、天気の音が外から聴こえるような日は、どんなに願ったところで、決まって1年前の夢を見れない。

あんなに憂鬱だ、と最初は思っていたのに。
私はいつからか夢のなかに、1年前に、
逃げ込むようになってたんだ。


「入間市駅です____。」

電車内に車掌さんのぼそっとした雑なアナウンスが響く。私の家の最寄り駅に到着したようだ。


電車を降り、駅のホームへと出る。
学生が屯しているハンバーガー屋を通り過ぎ、
改札を出ようとしたそのとき。


わいわいハンバーガー屋から出てきた学生の中の
1人と目が合った。

「あれ?.........浪川?!」



見覚えのある細身の体型に、つんつん頭。



「池田!!!」






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