今日の講義を全て終え、大学の出入口の門へと歩く。
「優ー!」
自分を呼ぶ声に振り返ると、友達の岳がこちらへ走ってくるのが見えた。
足を止め、岳が俺の前まで来るのを待つ。
「今から帰るとこ?」
「ああ。今日は何も買う物ねえし」
そう答えると、岳の顔がぱあっと輝いた。
「おお!じゃあさ、合コン行かね?」
「は?」
思わず聞き返した。
顔見知り程度の奴らに遊びに誘われて行ったら合コンで、疲れ果ててしまったのは記憶に新しい。
こいつは一年の頃から友達だし、そうでなくても誘いを断ることはできるだけしたくないが……。
「数が足りねぇんだよ!優が合コンとか苦手なのは知ってるけど、他に誰も捕まんなくてさ!頼む!いてくれればいいから!」
「……悪い。俺、行けねえ」
「え!?いるだけでもダメなのか!?」
「ああ。好きな奴がいるから」
きっぱりと断る。岳が驚いたように目を見開いた。
そして、満面の笑みを浮かべる。
「そうか!」
断られたというのに何故か嬉しそうだ。
「好きな奴と頑張れよ!お前なら絶対大丈夫だから!」
「『絶対』はどうだろうな……けど、サンキュ。頑張る」
「付き合えたら紹介してくれよ!」
「はは、まあ“付き合えたら”な」
「弱気なんてらしくねーぞー。お、先輩だ!じゃな優ー!応援してるぞ!」
「サンキュー。またな」
明るい空気を振り撒きながら誰かの元へ走っていく岳を見送り、踵を返して大学をあとにした。
ーーーーー
「いたっ!」
夕飯の調理中に、ハルチカが短い悲鳴を上げた。
鍋でシチューを煮込んでいた俺は慌ててコンロの火を止め、ハルチカに近寄った。
「大丈夫か!?どうした!?」
ハルチカは野菜を切るのに使っていた包丁をまな板の上に置いて、指を押さえながら俺と目を合わせた。
「えっと、少し手を切っちゃって……深くはないんですけど、反射的に声が」
「見せろ」
控えめに差し出された華奢な指にそっと触れ、俺は傷口をじっくり観察した。
「……確かに、深くはないな。けど、絆創膏貼っとけ。つか俺が貼ってやる」
ハルチカが何か言う前に俺は動き出し、戸棚の中の救急箱から絆創膏を一枚取ってハルチカに向き直った。
もう一度指を出してもらい、患部に手早く丁寧に絆創膏を巻く。
ありがとうございます、とハルチカが笑い、さらにこう続けた。
「優さんってお兄ちゃんみたいです。私の兄さんも優さんみたいならいいのに……」
「へえ、ハルチカって兄貴がいるのか?」
「はい。三歳年上の、全然優しくない兄がいます」
ハルチカは嫌そうに顔を顰めた。
そんな顔も可愛くて、頬が緩んでしまう。
「好きじゃないんだな。お兄さんのこと」
「まぁあの性格ですからね……優さんみたいだったら分かりませんけど」
「ははは」
嬉しいけど、嬉しくない。
――俺はお前の兄妹的な意味での「好き」なんて欲しくない。
俺がお前を想うような、そういう『好き』が欲しいんだ。
だから、ありがとうは言わない。
比較されるなら、兄とじゃなくて、お前が知っているいろんな男とがいい。
そうしてその後で、俺が一番いいと、笑顔で言ってほしい。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!