『パシッ』
僕は不器用だ。
髪をひとつに結い上げた彼女はそう言うと、自分のお弁当に箸をつけ始める。
彼女の言葉に、僕は静かに「うん。」と答えた。
が、きっとお昼に放送部が流すBGMにかき消されただろう。
「前と変わってないね〜。」と、僕と"幼馴染み"…らしい、タクミが答える。
彼女と常に一緒にいる…という、ヒナタが僕に、そう話しかけた。
僕は上部分がガタガタに割れて、対象になっていない割り箸を見つめた。
僕は不器用だ。
僕が記憶を失ってから自分で知った事は、これだけ。
僕は雨が降る交差点で交通事故にあったらしい。
跳ねとばされた後に、頭をかなり強くアスファルトにぶつけたせいで、軽い記憶障害になったそうだ。
『1ヶ月もあれば、治ると思いますよ』
医者はそう言ったけど、僕は正直、早くこの状態を抜け出したい。
気持ち悪い。
僕が思うのはこれだけだ。
失った部分は、今年の春から事故に遭うまでの記憶。
それでも、思い出せないのは気持ち悪い。
その間に僕が何をしていたのか分からないのが違和感でしょうがなかった。
そして、もうひとつ、僕には知りたいことがある。
卵焼きをほうばるように食べた彼女が、僕を横目で確認する。
僕はその目を見ながら、口を開いた。
さっきまで動いていた彼女の箸が一瞬止まる。
が、すぐに「さぁ〜?」と言いながら、「んふふふ。」と笑って、また箸を動かし始めた。
それは思ったけど。
タクミが「あのさ、」と話を切り出す。
旅行か。そういえば、事故に遭う直前、僕も家族で旅行…みたいなのに行く予定だったらしい。
それでこんな事故とか、とんだ災難だ。
「あげる、」と僕の前にいつの間にか置かれていたのは、プラ袋にキーホルダーが入ったものだった。
どうやら、全員お揃いらしい。
彼女がそう言うと、「よかった〜。」とタクミが言う。
ヒナタが彼女の袋の中のキーホルダーを指差し、そう言う。
『霜村』? 誰だよ、それ。
と、僕以外が硬直する。
僕はここでやっと、悟った。
どうやら彼女の苗字は『霜村』というらしい。
「も〜!」と、彼女がヒナタに「まだ始まって1週間経ってないのに〜!」と2人で笑う。
ヒナタがふとそう言うと、少し顔を赤くして「おぅ、」とぎこちなく応えた。
「そーいえば、」と、再びタクミが咳払いして話を切り出す。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!