第1話
1話 図書室でのキス
──放課後。
学校の図書室の本棚の陰。
私──倉持あなたは、同じ高2で隣のクラスの彼氏、
篠宮来希と人目を忍んで身を寄せ合っていた。
吐息ごと吸い込むように、
深く重なる唇。
受付に座っている図書委員が話す声や
本のページをめくる音に混じり、
濡れたリップ音がいやらしく響く。
来希の紫がかった黒い前髪が頬をくすぐり、
目を細めたとき──。
声がして、私はすぐさま唇を離す。
私たちのいる本棚に用があったらしい彼は、
本を手にこちらを凝視したまま、
フリーズしている。
程よく焼けた小麦色の肌に、
無造作にセットされた茶髪。
それを証明するように、
彼はボンッと赤面すると──。
全力で踵を返し、去っていった。
この状況すらも楽しんでいる
来希を押しのける。
呆れながら、来希を置いて歩き出すと──。
心の中で悪態を返し、
私は無言のまま図書室を後にした。
***
おかしな彼氏の趣向のせいで、
萎えた気持ちのまま向かったのは……。
吹奏楽部が使わない第2音楽室。
私はそこでピアノを弾くのが日課だ。
鍵盤を指で叩きつけるように弾く。
これはもう奏でているのではなく、
音を鳴らしているだけ。
***
今でも鮮明に脳裏に焼きついているのは、
お母さんのお葬式から数ヶ月が経った日のこと。
小学校3年生のとき、
お母さんは病気で急死した。
なんの前触れもなく、
突然、私の前からいなくなったのだ。
家にはお母さんと一緒に弾いた
グランドピアノがある。
最初に教えてもらったのは、キラキラ星。
曲のタイトルと同じように、
音がキラキラして、
私の心を弾ませてくれた。
今思えば、人が死ぬということを
私はちゃんと理解できていなかった。
実際、お母さんが病院で死んだときも、
お葬式のときも涙ひとつでなかった。
純粋に疑問だった。
けど、日が経つにつれて、
家の中でお母さんを見ない時間が
増えるにつれて……。
私は不安になったんだ。
そこで私が作ったのは、
『ピアノが上達したら、
お母さんが帰ってきてくれる』という
根拠もなにもない、妄想。
それを盲信して、ピアノに打ち込んだ。
今思えば、悲しみを紛らわすため
だったのかもしれない。
そして、ついにコンクールで入賞した日。
私は自宅のグランドピアノで、
お母さんとの思い出が詰まった
キラキラ星を 弾いたのだけれど……。
お母さんが死んだ悲しみを
受け入れられなくて、
心に蓋をするように特訓してきた
ピアノは……。
その色を失くしていた──。
***
──~♪~♪~♪~
音楽室に響く、無機質なピアノの音が、
私を現実に引き戻す。
家のピアノも、通っていた音楽教室も、
お母さんのことを嫌でも思い出すから、
息苦しくて……。
私はまた逃げるように、
この第2音楽室でピアノを弾き続けている。
だから、この感情のこもらない
ピアノをどうにかしなくてはと、
もがきながら弾いているのだ。
なにかに悩んだりすることに
疲れていた私は、手っ取り早い
愛情が欲しかった。
その点、恋愛を遊びだと思っている来希は、
本気で誰かを好きになったりはしないので、
ときどき寂しさを埋めたいときだけ
付き合う相手としては、都合がよかった。
自嘲的に笑ったとき、
カラカラカラ……と控えめに扉が開く。
驚きながらも鍵盤から手を離さず、
視線を向ければ──。
男子がひとり入ってきたのだが、
その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
何事かとぎょっとしていると、
その彼には見覚えがあった。