朝、前の机のあの子はまだ来ていない。
予鈴が鳴っても、朝礼が始まっても、まだ来ない。
これは毎朝のこと...。
「おはようございます…」
「水澄、今日は早いな。」
「今日は調子が良かったので」
「それは良かった。席に着きなさい。」
「はーい」
水澄美緒。俺が大好きな子。
低血圧らしく、朝はほぼ来たことがないけど、毎朝教室に入ってくる時のまだ眠そうな顔も可愛くて俺は好き。
「私の顔なんかついてる?」
「うん、ついてない。」
「じゃあうんって言わないでよびっくりした。」
そんなことを言って彼女は微笑む。
無意識のうちに彼女を見つめていた。
あー、俺って気持ち悪い奴だな、好きな人の顔じーっと見つめてるなんて。
でもしょうがない。水澄の顔が可愛すぎるんだから。
1時間目は数学。俺は数学が苦手な上数学の先生に目をつけられている。
「あら、神川くん。この問題解けないの?」
「あ、いや...」
「こんな問題解けないで受験どうするの?もっと頑張りなさい。あんまりひどいと補習になるわよ。」
「はぁ...」
「ため息ついてないで解いて!」
早く終わんないかな...って思ってたらまたからまれる。
「あら神川くん、解けてないのに喋ってたの?」
いや喋ってないけど。
「じゃあ、これ、黒板の問題解いて。」
だから喋ってないし。
前の水澄がはぁ、とため息をついたのがわかる。あーあ、嫌われたかな。だめな奴って思われたかな。
「先生!」
「あら水澄さん、なあに?」
「さっき喋ってたの私です、神川くんじゃない。」
「え、そんなこと...」
「黒板の問題解けばいいんですよね?」
「そうよ、早く解いてきなさい。」
嘘だ。たしかに喋ったのは俺じゃないけど絶対に水澄は喋ってない。
なんで...
「解けました。」
クラス全員が黒板に書かれた見たこともない数式に驚く。
「なんでこれを...」
「習ってないのに生徒に解かせちゃだめですよ、先生?」
水澄はふふっと笑うと席に戻った。
大好きな女の子に助けられるなんて...嬉しいけど男としてだめすぎる。俺もちゃんとしなきゃ...。
「水澄」
休み時間、声をかけてみる。
「うん?」
彼女が振り返る。
白い肌。澄んだ目。少し茶色がかった綺麗な髪の毛がふわっと揺れる。
「さっき、ありがと。」
「さっき?あー、いいの、私も先生にむかついちゃって勝手にやっただけ。」
「俺あいつに目つけられててさ...」
「ふふっ、知ってるよ。いつも話しかけられてるなーって思うもん。」
「...笑わないで。」
「ごめんごめん。神川くん面白いね。」
「え、何でそうなるの?」
「こーんな席近いのに知らないわけないでしょ?目つけられてるの。」
「あー、知ってたんだ...」
「うん。」
あーあ、会話終わっちゃった。なんか話すことないかな...
「あ、のさ。」
「うん?」
「今日のお礼で今度一緒に出かけませんか?美味しいものおごる!今日のこと、すっごい助かったし。」
「そんなお礼なんていいのにでもお出かけ楽しそう、いいよ。」
「ほんと?ありがとう!」
「でも…彼女とデートとかない?大丈夫?」
「え、彼女いないよ俺」
「え、そうなんだ。かっこいいし優しそうだから彼女いるかと思った。」
嬉しすぎる...しかもデート...
「神川くん?どうしたの?顔真っ赤。」
「ああ、なんでもない。」
「大丈夫?熱とかない?」
水澄がすっと手を伸ばして俺のおでこに触れる。
「熱い…気がする。」
誰のせいだと思ってるんだよ…
「保健室行く?ついて行こうか?」
「あー大丈夫。ありがとね。それより水澄は?いつも朝、遅いけど。」
「あー、朝は起きれないし頭痛くて来れないんだよね…」
「そっか、無理しないでね。」
「ありがとう。」
ふー、話をそらせたからセーフ。
あんまり話してるといつかバレそうで怖い。
俺気持ちがすぐ顔に出るの直したい…
それにしてもデートの約束!うれしすぎる…
「おい、侑斗。」
「ん?なんだ、秋かよ。」
「なんだ、ってなんだよ!俺で悪かったな!」
こいつは友達の笹田秋。
「それより今日、美緒ちゃんと話せて良かったな。」
「…下の名前で呼ぶな。」
「お前も呼べばいいじゃん、ねぇ美緒ちゃん?」
こいつは何を言ってるのだ、水澄はいないはず...
「呼び方の話?何でもいいよ水澄でも美緒でも美緒ちゃんでもご自由に。」
いつの間にか近くに水澄が来ていた。
「侑斗も呼びなって」
「神川くんがどうしたの?」
「いや、侑斗が美緒ちゃんのこと下の名前で呼びたいって…」
「うるさい!」
水澄はにこっとして
「なーんだ、美緒って呼んでくれればいいのに。やっぱり面白いね神川くん。」
「…み…お。」
「なに?」
「いや、呼ぶ練習…。俺のことも良かったら侑斗って呼んで。」
「侑斗ね、最初間違えちゃうかもだけど頑張る。」
「ん、ありがと。」
水澄、、じゃなくて美緒はまた微笑んで、
「お互い下の名前で呼ぼうキャンペーンだね。頑張ろう!」
とか言って。可愛すぎる…やばい…
しかも今日から下の名前で呼べる…
幸せな1日だったな。今日。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!