ソウルの端にある、日当たりの悪いアパートの一室。
ゴヌと女はそこで暮らしていた。
女はいつも、たくさんの調味料が無造作に置かれた小さなキッチンで、得体の知れない創作料理を作ってはゴヌを困らせていた。
「ゴヌ、これ味薄いかな?」
「…うーん、いや、ちょうどいいよ。……いや、やっぱり少し薄いかも…というかなんというか…」
「もう、なに?正直に言いなさいよ」
むっ、と眉根を寄せた彼女の顔が、ゴヌはたまらなく好きだった。
窓から差し込むわずかな光に透ける彼女の産毛や、煮炊きする鍋から上がる湯気の匂い。そんな、取るに足らない断片のすべてが愛おしかった。
ゴヌと女は毎日暮らしを重ねた。
一緒に食事をし、くだらないことで笑い、夜には同じ布団で眠って朝を迎えた。
どこにでもある、ひどくありふれた普通の暮らしだった。
なんとなく、このまま結婚をして、子供が産まれて、しわしわの体になってもくだらないことで笑い合って、そのうち幸せに死んでいくのだと思っていた。
そう信じて疑わなかった。
その平穏に最初の亀裂が入ったのは、ひどく蒸し暑い、熱帯夜の入り口だった。
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安物の扇風機が首を振り、生温い空気をかき回す音と、テレビから漏れるタレントの甲高い声だけが響く部屋で、彼女の携帯電話が震えた。
テーブルに置かれたそれは、まるで逃げ場を失った虫のように、低く、執拗な音を立てる。
ゴヌがふとそれを見ると、画面に表示されていたのは「父」の文字だった。
彼女は夕飯をつついていた箸を止め、まるで昨日捨て忘れたゴミを見るような目でそれを見つめる。
彼女の横顔から今までの柔らかな色がさあっと引いていくのがわかった。
「出ないの?」
ゴヌがそう声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げ、無理矢理に口角を持ち上げた。
「…いいの。どうせ、またお金の無心とか、ろくでもない用事だから」
彼女の家のことについてはなんとなく知っていた。父は仕事もろくにせずに一日中家で酒を飲み、度々暴れては子どもや妻に手を上げていたという。
彼女は微かに震える指で通話を拒否する赤いボタンを押し、携帯電話を裏返した。
「早く食べよう、冷めちゃう」
彼女は努めて明るい声でそう言った。
だがそれからというもの、彼女の視線はしばしば、何もない空間の一点に縫い付けられるようになった。
一緒にテレビを見ていても、互いの髪を乾かしていても、彼女の意識はここではないどこか_ソウルのビル群を抜け、山を抜け、時代の流れに取り残されたかのように色褪せた、小さな港町へと引きずり戻されているようだった。
「ゴヌ。私、一度だけ帰らなきゃいけないかもしれない」
ある朝、彼女が言った。
パジャマのまま、彼女は窓の外のどんよりとした曇り空を見つめていた。その背中は、いつになく小さく、今にも消えてしまいそうに弱々しかった。
「お母さんの具合が、本当によくないみたい。……少しだけ。一週間……いや、三日だけでいいの。顔を見たら、すぐ戻ってくるから」
「……そっか。お土産期待してる」
精一杯の軽口は、狭い部屋に虚しく響いた。
彼女は力なく、しかし安心したように笑い、ゴヌの胸に顔を埋めた。
その体温は普段となんら変わりなく、あたたかで、柔らかくて、陽だまりのにおいがした。
それが、二人が交わした最後の温もりだった。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。