第11話

第十一話 怒り
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2023/12/04 11:00
 声がした瞬間、櫻蘭姫は空気に溶けるようにして姿を消した。わたしは目を丸くしながら振り向く。
玉邑藍
玉邑藍
翠……?
玉邑翠
玉邑翠
最近、すぐに家に帰ってこないけど。本家に行ってるって本当なの?
玉邑藍
玉邑藍
えっ、と……
久々にまともな会話をした翠の、わたしを見る眼差しはひどく剣呑だ。
 どう答えるべきか迷って視線をさまよわせていると、翠は忌々しそうに舌打ちをした。
玉邑翠
玉邑翠
どうしてあんたなんかが本家に軽々しく出入りできるわけ? 
誰に媚を売ったのか知らないけど、恥ずかしいことはしないでよね
玉邑藍
玉邑藍
……媚なんて
玉邑翠
玉邑翠
なんでもいいけどとっとと帰ってきなさいよ。
あんたは家の役立たずなんだから、家の雑用くらいこなしてもらわないと
わかった? と言って、わたしを睨めつけると、そのまま踵を返して去っていく翠。
 黙ってうつむいていると、耳のそばで呆れ返った声がした。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【そなた。まだアレと姉妹としてやり直せると思っておるのか? 
頭の中身が溶けているのではなかろうな】
玉邑藍
玉邑藍
櫻蘭姫……
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【わらわを恨みがましそうに見てどうする。……しかしまあ】
バサ、と、櫻蘭姫が衵扇を開いて顔半分を隠した。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【あれは、婚約についても早う言うた方がよいな。偽装については伏せておくにしても――
いずれ婚約のことを公表するなら、黙っている時間が長引くだけ拗れる】
玉邑藍
玉邑藍
……
 それは、そうかもしれない。
 でも、どうやって言えばいい? わたしから話したところで、信じてもらえないだろうし――。





玉寺陵
玉寺陵
俺たちが許嫁同士になったことを、玉邑の家に報告しに行きたいんだが
 ――と、思っていたけれど。

 その日、本邸を訪ねると、なんと彼からそんなことを言われた。
 あまりにもジャストタイミングだったので、わたしは驚きで目をぱちくりする。
玉邑藍
玉邑藍
その、陵さま、いいんでしょうか?
玉寺陵
玉寺陵
玉邑藍
玉邑藍
……陵、さん
玉寺陵
玉寺陵
ん、それでいい
心なしか満足そうに頷く陵さま――陵さん。……最近、わたしが間違って陵さまと呼んでしまって、陵さん(呼び捨ては無理だった)と呼び直すやりとりがわりとお決まりになっている。
玉寺陵
玉寺陵
悪くないだろう。偽装とはいえ、すぐに婚約解除するわけじゃないんだ。
そのうち分家諸家にも発表するだろうし、先に知らせておきたい
構わないか、と問われて、わたしに否やなどあるはずがない。

 わたしも、家族に知らせたいと思っていた。偽装だということを黙っていることになるから、心苦しくはあるけど……、

 報告したその時だけは、両親にも喜んでもらえるかもしれない。
玉邑藍
玉邑藍
もちろんです。よろしくお願いします






 *





 ――話したいことがあるので一度玉邑家を訪問したい。

 彼がその旨を両親に伝えてから、訪問の日取りが決まるまであっという間だった。
玉邑翠
玉邑翠
ねえ、わざわざいらっしゃるなんて、どういったご用件かしら?
父親
なに、きっと翠のことが目に留まったんだろう
母親
翠のことを嫁に欲しいと、そう頼みに来られるに決まってるわ!
玉邑藍
玉邑藍
(うーん……)
わたしは出迎えの準備を喜代子さんと共に整えながら、明らかに浮き足立っている両親と翠を、複雑な気持ちで見遣る。

 彼がこちらを訪れるのはたしかに玉邑家の娘との婚約の許しをもらうためだけれど、相手は翠ではなくわたしだし、しかも偽装婚約だ。
母親
! いらっしゃったわ
外をちらちらと確認していたお母様が声を上ずらせる。
 どうやら彼が到着したらしい。
母親
何をしてるの、早く準備なさい! 
なんだか知らないけど、あなたも呼ばれているのよ
玉邑藍
玉邑藍
は、はい!





 ――最低限支度をして、翠とともに応接間で彼を待つ。今日はさすがに家の面目もあるからか、比較的まともな着物を用意してもらえた。

 ちょっとほっとしていると、両親に案内された陵さんが、応接の間に入ってくる。

 翠と揃ってあわてて立ち上がろうとするのを手で制止され、二人でまた座布団に正座する。
 姿を見せた彼は今日も完璧な美形だった。藍色の羽織が涼やかで格好いい。
玉邑翠
玉邑翠
お久しぶりでございます、次期当主さま
玉邑藍
玉邑藍
お、お久しぶりでございます
玉寺陵
玉寺陵
ああ、立夏の宴ぶりだな
陵さんが翠の方を見て言う。
 翠は陵さんの視線を受けてご満悦だ。
父親
それで次期当主さま、我々に話とはいったい……?
玉寺陵
玉寺陵
ああ、そのことですが
 へりくだった態度で問うお父様に向かって軽く微笑むと、彼はつい、とわたしに視線を向けた。
 どきりと心臓が跳ねる。
 
玉寺陵
玉寺陵
――玉邑藍さんを許嫁に選ばせていただいたので、今日はその報告を
父親
は……?
 お父様とお母様、翠の目が点になる。陵さんは表情の読み取りにくい、作った微笑みを浮かべている。

 どきどきする。
 お母様たちは、いったいなんと言うだろう。
父親
は、あの、本気ですか……?
玉寺陵
玉寺陵
もちろん。一族には私が成人の儀をむかえ、当主を継いだときに発表するつもりです
父親
あの、姉の方で間違いないでしょうか? 翠ではなく……?
玉寺陵
玉寺陵
ええ
翠の顔色がどんどん悪くなる。

 今にも怒り出しそうな、あるいは屈辱に泣き出しそうな、そんな顔。けれど、驚愕が先に立つのか何も言わない。

 ……翠が喜ぶことはないと思っていたが、両親の顔色も決していいとは言えなかった。
玉邑藍
玉邑藍
(……お父様たちにも喜んではもらえないの?)
玉寺陵
玉寺陵
事後報告になってしまったようで申し訳ない。お許しいただけるだろうか
父親
――、ええ、光栄でございます
母親
不肖の娘ではありますが……
玉寺陵
玉寺陵
ありがとう
翠は俯いている。両親は笑顔だ。

 ……でも、両親のその笑顔が本物かどうかは、わたしにはわからなかった。





 *







玉邑翠
玉邑翠
どうして藍なんかがっ……!
父親
翠……
玉邑翠
玉邑翠
どうやってあの方をたぶらかしたのよ、答えなさいよ!
翠……陵さんを見送るまでは何も言わず静かにしていた翠だったが、彼が帰ったとみるやわたしにつかみかかってきた。
玉邑翠
玉邑翠
どうしてわたしじゃないの!? わたしの方がずっと優秀なのに! 
あんたみたいな落ちこぼれが……!
玉邑藍
玉邑藍
や、やめて翠!
玉邑翠
玉邑翠
どうして! わたしはずっと努力をしてきたのに! 
みんなからの期待も重圧もなく、危険な任務に出ることもなく、
ずっと気楽に、自由にしてたあんたがなんで……!
玉邑藍
玉邑藍
……っ
わたしの着物の襟を掴んだ翠の両目から涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。
玉邑藍
玉邑藍
(たしかに翠は努力してた……毎朝修練して、危険な任務にも出て。
その一方で、わたしは安全地帯にいた)
――でも。
 わたしだって、気楽に生きてきたわけじゃない。
母親
やめなさい、翠
玉邑翠
玉邑翠
お母様!
母親
藍に当たったって仕方がないでしょう
玉邑藍
玉邑藍
(お母様……!)
そんな、と、翠が目を見開いた。

 ……生まれて初めて、翠からかばってもらえた。わたしも家族の役に立てるんだって、これで認めてもらえたのかな。
玉邑翠
玉邑翠
お母様はいいの!? わたしじゃなくて藍が、こんな落ちこぼれが陵さまの嫁になるなんて!
母親
――いいえ。そんなはずがない。そんなことがあっていいわけないわ
玉邑藍
玉邑藍
……、え?
わたしが目を丸くすると、顔を近づけてきたお母様が、
わたしにだけ聞こえるように、耳元でささやいた。
母親
ねえ。

 ――御曹司も、藍がいなくなればきっと、翠を嫁にしてくれるはず。
そうは思わないかしら?

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