妖魔。妖怪。霊、鬼、あるいは、物の怪。
人の理解を超える奇怪な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非科学的な存在。
日本にはこの非科学的かつ非日常な存在を『あやかし』と総称し、人間に害をもたらすそれらを人知れず祓う、『妖祓』の一族がいた――。
とはいえ。
そんな『妖祓』の一族に生まれたとはいえ、ろくに妖を祓い、倒す力を持たない者もいる。
白い道着を着た双子の妹の翠が、敷地内にある道場から出てくるなり顔を顰める。
妹の好きなお茶――水出しの冷たい緑茶を用意すべく、ちょうど自室から出てきたところだったわたしは、慌てて厨房に駆けていく。
翠の、蔑み切った冷たい声が背中に刺さる。
ぐっと唇を噛み、廊下を進む足を急がせた。
――そう。わたしは役立たず。
妖祓の一族に生まれたにも関わらず、あやかしが見えるだけで祓うことができない半端者。
それがわたし、玉邑藍。
だから――立派な祓い屋の卵である双子の妹に、馬鹿にされるのも仕方ないことなのだ。
関東最大の妖祓の一族を『玉寺家』といい、わたしの家――玉邑家は、玉寺家の筆頭分家だ。
そして、玉邑家のような分家諸家を合わせた一門を、妖祓の界隈では『妖祓い屋玉寺一門』と呼ぶ。
玉邑家は分家の中でも旧く、もとより一門の中でもある程度の発言力を持っている家だったが、天才的なあやかし祓いの才能を持つ娘――玉邑翠が生まれてからは、さらにその立場を強めることとなった。
そう。
家がそこそこ裕福なのも、父と母が一門の中で立場を保っていられるのも、力を持たぬ者が排斥される一族の中で、わたしがご飯を満足に食べられているのも、全ては翠のおかげ。
だから、翠や両親がわたしをこき使うのだって、当たり前のこと。
吐き捨てた翠が、お盆に載せたグラスをひったくる。受け取ってくれたことにほっとすると、妹は「ねぇ」とわたしに視線をやった。
課題というのは高校の課題のことだ。
わたしたち祓い屋に生まれた子も、高校までは一般の少年少女と同じように学校に通って勉強する。
そう言われてしまえば、わたしに返す言葉はなかった。
別に宿題すらできないほどに厳しい修行は、未成年の祓い屋たちには課されない。けれど、ろくに修行にすら参加させて貰えないわたしより、翠のほうが忙しいのは当然だ。
嘲笑。
耐えろ、と自分に言い聞かせ、わたしはすぐに笑顔を作った。
宿題を終えたら食事の準備だ。
お手伝いの喜代子さんと一緒に、家族全員分の食事を作る。
うちはまあまあ大きな家だけれども、本家のように下働きを多く雇えるほど裕福ではない。お手伝いさんは喜代子さんだけだ。
役立たずは事実だ。
『玉邑』の名字を名乗らせてもらえているだけで感謝しなければならない。
準備を終えた夕食を居間へ運び――そのまま、両親と妹がいる食卓の、下座に座る。
食事の場で両親はわたしに話しかけたりはしないし、ほとんどいないものとして扱われるけれど、一応は一緒に食事を取ることを許されてはいるのだ。
わたしを無視して話が弾んでいるのはいつものことなので、気にせず食事を進めていたというのに――突然水を向けられて、びくりと肩を揺らした。
冷たくわたしを責める声も、いつものことだ。
いつも通り神妙に謝り、頭を下げれば、いつも通り多少の嫌味や皮肉で観念してもらえるはず――。
しかし、今日はそうではなかった。皮肉ではなく、任務をこなせ、と言われたのだ。
お父様はひどく冷めた顔でわたしを見ており、その酷薄な瞳には冗談の色はない。
――任務、というのは、あやかし祓いの任務だろうか。
しかし、わたしはあやかしを祓う力を持たない。
ハ、と、翠は鼻で笑う。
お父様に提示された任務は高校生の祓い屋にも任せられるような低級のもの。
たしかに、同年代の祓い屋たちの中では頭一つ抜きんでている翠にとっては、簡単だろう。
しかし、わたしにとっては――。
凍てつくような声。
わたしは震えながらも、頷くしかなかった。
『低級の任務』が、あやかしを退ける力を持たないわたしにとっては――、
その場に赴くだけで命の危険があるようなものだとしても。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!