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第1話

第一話 落ちこぼれ
4,239
2023/09/25 11:00
 妖魔。妖怪。霊、鬼、あるいは、物の怪。
人の理解を超える奇怪な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非科学的な存在。
日本にはこの非科学的かつ非日常な存在を『あやかし』と総称し、人間に害をもたらすそれらを人知れず祓う、『妖祓あやかしばらい』の一族がいた――。

 
 とはいえ。
 そんな『妖祓』の一族に生まれたとはいえ、ろくに妖を祓い、倒す力を持たない者もいる。
 
玉邑翠
玉邑翠
――ちょっと藍? お茶、淹れておいてって言ったでしょ? 
何ぼさっとしてるのよ
白い道着を着た双子の妹の翠が、敷地内にある道場から出てくるなり顔を顰める。
 妹の好きなお茶――水出しの冷たい緑茶を用意すべく、ちょうど自室から出てきたところだったわたしは、慌てて厨房に駆けていく。
玉邑翠
玉邑翠
はぁ、まったく。妖を見ることしかできない役立たずなんだから、
少しくらいは家の役に立ちなさいよね
 翠の、蔑み切った冷たい声が背中に刺さる。
 ぐっと唇を噛み、廊下を進む足を急がせた。

 ――そう。わたしは役立たず。
 妖祓の一族に生まれたにも関わらず、あやかしが見えるだけで祓うことができない半端者。
それがわたし、玉邑藍たまむらあい
だから――立派な祓い屋の卵である双子の妹に、馬鹿にされるのも仕方ないことなのだ。



 関東最大の妖祓の一族を『玉寺家』といい、わたしの家――玉邑たまむら家は、玉寺家の筆頭分家だ。
 そして、玉邑家のような分家諸家を合わせた一門を、妖祓の界隈では『妖祓い屋玉寺一門』と呼ぶ。

 玉邑家は分家の中でも旧く、もとより一門の中でもある程度の発言力を持っている家だったが、天才的なあやかし祓いの才能を持つ娘――玉邑翠が生まれてからは、さらにその立場を強めることとなった。

 そう。
 家がそこそこ裕福なのも、父と母が一門の中で立場を保っていられるのも、力を持たぬ者が排斥される一族の中で、わたしがご飯を満足に食べられているのも、全ては翠のおかげ。
 だから、翠や両親がわたしをこき使うのだって、当たり前のこと。
玉邑藍
玉邑藍
翠、持ってきたよ。これでいい?
玉邑翠
玉邑翠
遅い。ほんっと、ノロマなんだから。しかも温いし! 
修行後のわたしに温いお茶を飲ませる気なの!?
玉邑藍
玉邑藍
ご、ごめんなさい。氷を入れた飲み物にはまだ肌寒い時期かと思って……
玉邑翠
玉邑翠
ほんっと使えない
 吐き捨てた翠が、お盆に載せたグラスをひったくる。受け取ってくれたことにほっとすると、妹は「ねぇ」とわたしに視線をやった。
玉邑翠
玉邑翠
今日、数学の課題が出てたでしょ? もうやってある?
玉邑藍
玉邑藍
え? うん。帰ってきてからすぐに済ませたから……
課題というのは高校の課題のことだ。
わたしたち祓い屋に生まれた子も、高校までは一般の少年少女と同じように学校に通って勉強する。
玉邑翠
玉邑翠
だったらそのノート、あとでわたしに届けなさいよ。写すから
玉邑藍
玉邑藍
それは……でも、課題は自分でやった方が、翠のためになるんじゃ
玉邑翠
玉邑翠
うるさい! 無能のくせにわたしに説教しようっていうの? 
わたしはどこかの誰かと違って修行で忙しいんだから!
 そう言われてしまえば、わたしに返す言葉はなかった。
 別に宿題すらできないほどに厳しい修行は、未成年の祓い屋たちには課されない。けれど、ろくに修行にすら参加させて貰えないわたしより、翠のほうが忙しいのは当然だ。
玉邑藍
玉邑藍
……分かった。じゃあ、あとでノートを翠の部屋に置いておくから。
わたしはお手伝いさんと一緒に夕餉の準備をしなくちゃ
玉邑翠
玉邑翠
ああ、部屋の前でいいから。
あんたにわたしの領域である私室に入られちゃ、役立たずがうつっちゃうかもだし?
 嘲笑。
 耐えろ、と自分に言い聞かせ、わたしはすぐに笑顔を作った。
玉邑藍
玉邑藍
……そう。だったら、扉の前に置いておくからね



 宿題を終えたら食事の準備だ。
 お手伝いの喜代子さんと一緒に、家族全員分の食事を作る。

 うちはまあまあ大きな家だけれども、本家のように下働きを多く雇えるほど裕福ではない。お手伝いさんは喜代子さんだけだ。
喜代子さん
藍お嬢様、いつもありがとうございます。
藍お嬢様だって、この家の娘さんでしょうに……
玉邑藍
玉邑藍
いいの、わたしがやりたくてしていることだから
 役立たずは事実だ。
『玉邑』の名字を名乗らせてもらえているだけで感謝しなければならない。


 準備を終えた夕食を居間へ運び――そのまま、両親と妹がいる食卓の、下座に座る。
食事の場で両親はわたしに話しかけたりはしないし、ほとんどいないものとして扱われるけれど、一応は一緒に食事を取ることを許されてはいるのだ。
母親
翠、聞いたわよ。今日の修行、結界術を長い時間維持できたんですって?
父親
おお、さすがは翠。お前は私達の誇りだ
玉邑翠
玉邑翠
そうでしょうお父様。でもね聞いて、修行後のお茶の準備を頼んだのに、藍ったらそれを怠ったの。
酷いと思わない?
父親
何?
 わたしを無視して話が弾んでいるのはいつものことなので、気にせず食事を進めていたというのに――突然水を向けられて、びくりと肩を揺らした。
父親
藍。お前は家のために頑張る妹の支援すらまともにできないのか?
母親
出来損ないのあなたを家に置いてあげているのだから、
女中仕事や妹の支援くらい当たり前にできないでどうするの?
玉邑藍
玉邑藍
……申し訳ありません、お父様、お母様
 冷たくわたしを責める声も、いつものことだ。
 いつも通り神妙に謝り、頭を下げれば、いつも通り多少の嫌味や皮肉で観念してもらえるはず――。
父親
まったく。これでも私達の娘だからと家に置いてやっていたが、
本当の無能ならばそう言ってもいられないな
玉邑藍
玉邑藍
え……?
父親
お前も少しは家の役に立て。
回ってきた任務がある。それをこなすんだ
しかし、今日はそうではなかった。皮肉ではなく、任務をこなせ、と言われたのだ。

 お父様はひどく冷めた顔でわたしを見ており、その酷薄な瞳には冗談の色はない。

 ――任務、というのは、あやかし祓いの任務だろうか。
しかし、わたしはあやかしを祓う力を持たない。
玉邑藍
玉邑藍
(任務なんかに出たとしても、ろくに遂行できる気がしない……)
玉邑翠
玉邑翠
やだ、こんなの簡単じゃない。
低級のあやかしを祓う? 退屈すぎてあくびが出そう
 ハ、と、翠は鼻で笑う。
 お父様に提示された任務は高校生の祓い屋にも任せられるような低級のもの。
 たしかに、同年代の祓い屋たちの中では頭一つ抜きんでている翠にとっては、簡単だろう。

 しかし、わたしにとっては――。
父親
やはり、このくらいはできなければうちの娘とは言えない
玉邑藍
玉邑藍
……っ
父親
この任務を完遂するまで帰ってくるな。いいな?
 凍てつくような声。
わたしは震えながらも、頷くしかなかった。
玉邑藍
玉邑藍
(どうしよう……
『低級の任務』が、あやかしを退ける力を持たないわたしにとっては――、

 その場に赴くだけで命の危険があるようなものだとしても。

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