ぽた、ぽた、と、前髪から水滴が落ちる。
額から雫が幾筋も流れ、顎を伝って床を濡らした。
そう認識した途端、翠が、わざとらしく悲鳴を上げる。
余計なことは言うなよ。
妹の視線がありありとそう言っていて、わたしは身をすくませながら大人しくそう言うしかなかった。
……でも、お茶がぬるくなっていたものでよかった。熱々のものを頭からかけられていたら、冗談では済まない火傷を負っていたかもしれない。
頷いて立ち上がり、チラチラ視線を向けられている中、歩き出す。
惨めね、とか、可哀想、とか、くすくす笑う声を気にしない振りをしながら、そそくさと宴会場を退出する。
濡れた頭のまま広間を出て、障子を閉め、わたしはため息をついた。
いっそ、追い出されて都合が良かったのかもしれない。……お茶をかけられようが、好奇の目で見られていたのは変わりはないし。
車を出してもらえるだろうか。
玉寺本邸から、玉邑の屋敷まで、そこそこ距離がある。この格好のまま歩いて帰るのは、さすがにちょっと嫌だ。
――と、そんなことを思ったその時だった。
視界の端でせわしなく動いていた下働きの人たちの間に、ぴり、と緊張が走った気配がした。
いったいどうしたんだろう、と思って顔を上げれば。
わたしが今いる廊下の向こうから、明らかに仕立てがいいとわかる着物をまとった青年が、こちらに向かって歩いてくるところだった。
なんて、きれいな人。
絹のようにさらさらとした濡れ羽色の髪。月の光に磨かれたような白い肌。目元は涼やかで鼻もつんと高く、背だってスラリと高い。
本家の血筋の方だろうか。
……だとしたら、わたしは今濡れ鼠だ。お目汚しになってはいけない。
わたしは、青年が、側仕え(もしくは、お世話役)らしき人とともにこちらを歩いてくるのを見て、慌てて道を開ける。
――すると、その時だった。
まさにすれ違いそうになった、その時。
その人が立ち止まり、わたしの方を見て息を飲む気配がした。
――見られている?
恐る恐る、俯けていた顔を上げると、やっぱり、うつくしい人はわたしの顔を見ている。
どうしよう。何かお叱りがあるかも。
青ざめて何も言えないでいると、青年は眉を曇らせて、そばにいたお世話役らしき人に、
と言った。
いいや、と青年は首を振る。
着物の裾を翻し、青年は颯爽と去っていく。
わたしはぽかんとその後ろ姿を見送った。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。