霊力を込めた護符と、古い大幣をを持ち、わたしは任務先の廃神社に向かう。護符はわたしにでも使える妖祓のための道具、大幣も同様だ。心もとない装備だけれど、わたしは翠のように格式高い剣や弓を扱えないので、仕方ない。
――月のない夜だった。
向かう先の廃神社は、かつては桜の大木が有名な地元民の馴染みの神社だったらしい。
しかし参拝者がめっきりいなくなってから、悪い念の吹き溜まりになり、低級のあやかしが出没するようになったという。
わたしはあやかしを祓う力こそ持ってないけれど、感知能力はある。
神社に近づいていくにつれ、嫌な気配が濃くなっていくのを感じる。
こんなの――死ねと言われているのと同じじゃないか。
体のいい厄介払い、というところなのかもしれない。
いい加減両親は、才能がないわたしを養うのに嫌気が差したんだろう。
そう考えるだけで、心臓が潰れるようだ。
――塗料の剥がれた古い鳥居をくぐり、境内をゆっくり進んでいく。
拝殿に続く参道の石畳はひずみ、汚れている。ろくに手入れがなされていないのが、日が暮れていて暗い中でも一目瞭然だった。
嫌な気配が漂ってくるのは、桜の大木や拝殿のある方から。そのあたりにあやかしが溜まっているのかもしれない。
ここに出てくるというあやかしの親玉を祓えばこの場は清められるのだろうか。
そう思いながら手水舎の辺りまで足を踏み入れた、まさにその時。
嫌な気配を覚えて咄嗟にその場を飛び退くと、黒い靄のようなものを纏った異形の化け物の腕が――今までわたしが立っていた場所を抉っていた。
あやかしだ。
無我夢中で護符の一枚を投げ、うまくあやかしの眉間に命中。おどろおどろしい見た目のわりに弱かったのか、あやかしはあっさりと消滅した。
ほっとする。
そう思ったその、刹那。
なんともおぞましい、理性を介さぬ声が――まわりから聞こえてきた。
ゾッ、と、怖気が背筋を駆け上る。
――これは、この地に棲みついた低級のあやかしたちの声か。
おそるおそる周りを見ると――わたしは既に、異形たちに囲まれていた。
四方八方。わたしを囲うように円になり、ジリジリと距離を詰めてきている。
大きいものもいれば、小さいものもいる。たしかにそれぞれは低級なんだろうが、これは……。
手元の護符を見る。
両親はろくに数を持たせてくれなかった。
これではとても、足りない――!
無意識のうちに呼吸が速くなる。
あやかしの数は見る間に増えていく。ここには、こんなにも多くのあやかしがいたのか。人型に見えるもの、靄の塊のようなもの、虫のような形をしたもの、全てが全て恐ろしい見た目をしている。
大幣をブンブン振り回しながら、こないで、こないで、と叫ぶ。
無理だ。
こんなのを祓うなんて無理だよ。
翠なら、この数のあやかしを一掃できるのかな。いや、倒しきれなかったとしても、結界術で身を守れる。
――でも。
わたしにはどちらもできない。
一斉に襲いかからんと、あやかしが距離を詰めてきたところで、
わたしはぎゅっと身を縮こませた。
――その刹那。
桜吹雪が、現れた。
千年にも思える刹那の時間、わたしはひらりと宙に浮かぶ一枚の桜の花弁を、はっきりと見た。
――瞬間、目も開けていられないほどの突風が吹き荒れ、桜色の奔流が迸った。
そして気がつけば――わたしの周りにいたあやかしたちは、全て消し去られていた。
今、何が、起きた。
誰かがわたしを助けてくれたのか。
……いや、そうじゃない。なぜなら、
あやかしの群れがすぐそばにいた先程よりも、遥かに強く禍々しい妖気が。
そばにあるだけで身体が動かせなくなるような濃い妖気が。
いまだ、わたしの近くにある――。
声がした。
そして、花の匂いと――濃い血の匂いが鼻を掠めた。
それは。
どこか神秘的な響きを持つ、それでいて妖艶な女の声だった。
言われるままに、顔を上げる。
視界に入ったのは、血に濡れた桜襲の着物を纏った、黒髪の美女。
声が震える。
――そこに在ったのは。
日本でも五指に入るあやかしと言われる、「櫻蘭姫」そのひとだった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!