――パンッ。
頬に走った鋭い痛みに、唇を噛む。
宴が終わり、玉邑家に戻るなり、父に平手で打たれたのだ。
父の怒声が、母の金切り声が、鼓膜を切り刻むようだ。
――本当に、どうして呼び出しなんかされることになったんだろう。
着物の件に関して、手を煩わせてしまったから? ……いや、それに関しては彼は気にしていないようだったし、『似合ってる』とすら言ってくれた。
彼はわたしをじっと見て、それから顔を険しくしたのだ。
もともと、何か、咎めるつもりでいた?
彼がわたしに親切にしたのは、そういうこと?
だとしたら――。
*
正式に呼び出しがあったのはそれから数日後のことだった。
本邸から便りがあり、近いうちにこちらに来いとのことだった。
分家の、しかも落ちこぼれのわたしに否やはない。わたしは便りがあった翌日、学校が終わってそのまま本邸に向かった。
待ち構えていた使用人の方々に連れられ、本邸の中を歩いていく。
あの時と違って宴がなく、お客さんがいないからか、本家の屋敷は宴の日よりもよほど広く、静かに感じられた。
どこか緊張した面持ちの使用人の方々は、頭を下げるとさっとその場を去っていった。
わたしは連れてこられた修練場の入口――木の門構えをじっと見つめる。
……なんて広い。
敷地の一部を使って作られたこの屋外修練場は、おそらく主に実戦の訓練をするためのものなんだろう。
結界はきっと、中で霊力による攻撃や防御の術の訓練をしても、外に影響が出ないようにするためのものだ。
図らずも本家の力の一端に触れた気がして、緊張する。
それでも、呼び出されたからには、行かないわけにもいかない。
わたしはこわごわと門に触れ――中に入った。客人だからか、結界に阻まれることもない。
今は放課後だが、初夏のためまだ日は高い。修練に励んでいたのか、白い道着に黒い袴を着用した彼の肌には、少し汗が滲んでいる。
……だが、今は、見とれている場合じゃない。
わたしは唾を飲み込むと姿勢を正し、次期本家当主に向き直った。
陵さまが、ゆっくりと腰に手をやる。そこで、彼が腰に細身の霊刀を佩いていることに気がついた。
そして。
まっすぐに、
視線が、向けられる。
彼はそこで言葉を切り、ちゃ、と刀の鍔を鳴らした。
――やはり、気づかれていた。
血の気が引いていく。邪悪な気配、というのは言うまでもなく櫻蘭姫のことだろう。
櫻蘭姫は確かにわたしの契約相手――使い魔のようなものだ。契約を交わしている間は人に攻撃はしない。でも、それを言って、信じてもらえる?
眼光を鋭くさせた陵さまが、腰に手をやったまま、素早く刀印を結んだ。
途端、彼を中心に、霊力が大きく渦を巻いた。……何か術を使おうとしている?
姿現しの術とは、読んで字のまま、術によって隠されたものを白日の元に晒すものだ。
正体を隠したあやかしや、姿を消したあやかしの素顔や居場所を暴くことができる。
まずい。
彼女の存在が露見してしまう。
隠されていた妖気がその場に集まる。無理に暴かれるのを不快に思っているのか、どこか不愉快そうな妖力が、その場を満たす。
そして、妖気は人のかたちに成る。
血濡れの着物を纏った美女の姿に。
膨れ上がった妖気に、顔を顰めていた陵さまが、驚愕に大きく目を見開いた。
声を荒げ、彼は臨戦態勢を取る。
刀の柄に添えられた手を見て、櫻蘭姫はふん、と鼻を鳴らした。
わたしは、ただ、死にたくなくて。
死んだとしても、誰かの役に立ちたくて。
家と人の役に立ちたくて。
必死に、彼女との契約を成立させただけで――!
陵さまが抜刀とともに地を蹴り、
櫻蘭姫が扇を振り翳す。
――どう、という轟音とともに大地が鳴動し、桜吹雪の混じった妖力と、清廉な霊力がぶつかり合って弾ける。
一秒一秒追うごとに、二人の戦いが激化していっているのがわかる。
霊力の波動と妖力の波動のぶつかり合いは、空気を揺らし地面に亀裂を入れる。修練場を囲うように設けられた木の壁と、門が軋んでいる。
このままじゃ、本当にここがめちゃくちゃになる。
それに、櫻蘭姫の愉快そうな声に対して、彼の声には余裕がない。
無理もない。玉寺陵はまだ18歳で、櫻蘭姫は千年を生きるあやかしなのだから。
玉寺一門は崩壊し、日本の妖祓の一族は、大きく力を削がれることになる。
そうなれば、訪れるのは混沌の時代だ。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。