第4話

第四話 契約
1,500
2023/10/16 11:00
――暁の頃に、家に戻る。


夜の間中ずっと心配してくれていたらしい喜代子さんは、怪我はしていないものの、ボロボロの様子のわたしを見ると、すぐに中に入れてくれた。

そして朝になり、いつものように早朝の掃除にいそしんでいると、起き出した翠が部屋から出てきた。

そして、翠は、五体満足のわたしを見て、驚いたように目を剥いた。
玉邑翠
玉邑翠
藍、あんた、どうして……ッ
玉邑藍
玉邑藍
……おはよう、翠
微笑を浮かべて、いつも通り挨拶をする。
やっぱり翠もわたしが帰ってこないと思ってたんだな、と思って少し胸が痛む。
玉邑藍
玉邑藍
(でも、そうよね。わたしだって帰ってこられないと思ってた)
わたしは微笑を浮かべたまま、今は誰もいない自分の背後に視線を遣った。
――わたしがここに帰ってこられて、いつものように過ごせているのは、ひとえに。



玉邑藍
玉邑藍
(櫻蘭姫との賭けに、奇跡的に勝てたからだから……)
 








時は、数時間前に遡る。


霊力がごっそりと身体の中から抜けた感覚があって。

 わたしは今まで感じたことのない感覚に、思わずたたらを踏んだ。
 ろくに術が使えなくて、霊力そのものを消費する機会がなかったから、今まで知らなかったけど……今たしかに『何か』が減った感覚があった。
玉邑藍
玉邑藍
……霊力が消費される感覚って、こんな感じなのね
 思わず呟いて、ふう、と息を吐き出した。
 そして改めて櫻蘭姫を見て、言う。
玉邑藍
玉邑藍
さあ櫻蘭姫、まだ終わりじゃないでしょう? 続けて
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【……そなた】
玉邑藍
玉邑藍
え?
 しかし。
 わたしの予想に反して。改めて向き合った櫻蘭姫は、顔いっぱいに驚愕の表情を浮かべて、わたしを凝視していた。

櫻蘭姫
櫻蘭姫
【なぜ、まだ、生きている……?】
玉邑藍
玉邑藍
え、っと……
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【わらわはそなたからわらわに奪えるありったけの量の霊力を奪った。
だというのに、なぜそなたは顔色一つ変えぬのだ?】
 櫻蘭姫のうつくしい顔立ちが、焦燥と屈辱に歪みかけているのがわかる。
 どくん、どくん、と、心臓が早鐘を打ち始めた。
玉邑藍
玉邑藍
そ、それって……
 つまり、櫻蘭姫が言いたいのは。
 わたしが今ここに立っているのは。
 

櫻蘭姫
櫻蘭姫
【まさか……そなたの霊力は、わらわの想像よりもなお多かったとでもいうのか……?】


 わたしが彼女との賭けに勝てた、ということ?
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【そんな馬鹿なことがあろうか……! 
この櫻蘭姫が、たかが小娘一人の霊力の器に、劣っただと? 認められぬ……!】
 ぬばたまの黒髪を振り乱し、美しく強い女あやかしがわたしを鋭い目つきで睨む。
 血に濡れたような真っ赤な唇が、きりりと引き結ばれる。
玉邑藍
玉邑藍
……認められぬ、そうかもしれません。わたしだってまだ信じられないもの
 でも――と、目の前のあやかしを睨み返す。

 火事場の馬鹿力がうまく機能したという自信が、あやかしとの賭けに勝つことができたという自信が、己を鼓舞した。
玉邑藍
玉邑藍
あなたはわたしと約束しました。わ
たしの霊力を喰らい、それでも力を奪い尽くせなかったその時は、
わたしと契約をしてくれると
 わたしの代わりにわたしの力を使い、人々を守るあやかしとなると。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【く……っ】
玉邑藍
玉邑藍
約束を、守って。櫻蘭姫
 

 
 そうして。
 
 わたしは――最強の相棒を手に入れた。




 *





……いや。

 手に入れる、というのは、語弊があるかもしれない。
 主人と使い魔、みたいな関係になったとはいえ、気位が高い櫻蘭姫を自由に操れるとも思えない。
玉邑藍
玉邑藍
(だいたいわたし、どうしてあの時あんなことができたんだろう……!)
 自分で自分が信じられなくて、中庭を掃きながらため息をつく。
 危機的状況だったから、恐怖心が麻痺してたんだろうか。
 わたしがまさか、あの最凶のあやかしの一角を、一応とはいえ従えてる、だなんて……。
玉邑藍
玉邑藍
(誰に言ったって、信じてもらえないだろうけど……。
わたし自身が信じられないくらいだし)
 ――でも。
 わたしの霊力が人より多いのは事実なんだよね。宝の持ち腐れだけれど。

 わたし自身はその「霊力」を使うことはできないけれど、これからは、櫻蘭姫を通して使うことができる。
 人を助けられる。

 ……両親にも、褒めてもらえるかもしれない。
翠みたいに、さすがは私達の娘だ、って。
玉邑藍
玉邑藍
(……そういえば、櫻蘭姫は確かな意志を持って呼んだら、召喚に応じてくれるんだっけ)
 そういう話をしたあとに、櫻蘭姫は姿を消してしまったから、本当に呼べるかは試していなかった。
 きょろきょろと辺りを見回す。

 ……うん。今、辺りに人はいない。翠は顔を洗いに行ったし、両親はまだ寝ている。
玉邑藍
玉邑藍
(よし)
 少しだけ、やってみよう。
 いざという時、力を借りれなくては困るもの。

玉邑藍
玉邑藍
――『来なさい』、櫻蘭姫

 言霊をもって、彼女を召ぶ。
 途端、舞い散る桜を幻視する。わたしの目の前で霊力が大きく渦巻いて、凄まじいまでの妖気を形作っていく。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【何用だ】
そして気づけば、目の前の宙には、
血と桜に彩られた美女が浮かんでいた。
玉邑藍
玉邑藍
(来てくれた……!)
 感動する。
 本当にわたしが呼んだら、来てくれるんだ。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【ずいぶん早い呼び出しであるな。かように早く、そなたに危機が訪れたと?】
玉邑藍
玉邑藍
……ううん、試してみたかっただけ
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【なに?】
玉邑藍
玉邑藍
あなたが本当に来てくれるのか、試したかっただけ……
 一度目の答えで、最凶のあやかしが顔を顰めてみせたので、最後は少しだけ尻すぼみになってしまった。
 櫻蘭姫は呆れた顔でわたしを見下ろした。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【呆れた小娘よ。
あやかしと人とのあいだで結ばれた契約が絶対と言ったのはそなたの方であろうに】
玉邑藍
玉邑藍
う、うん、そうなんだけど……
つい数時間前のことのはずなのに、なんだか夢の中の話のように思えるんだから、しかたない。
 あの時のわたしは恐怖と高揚で、ややこしいことは一切考えていなかったから。
櫻蘭姫
櫻蘭姫
【まあよい。わらわに用はないのだな?】
玉邑藍
玉邑藍
え、ええ。そういうことになる……かな
 櫻蘭姫が衵扇で口元を隠し、目を伏せる。
 そして、「ならばわらわは」と、そこまで言った時、忙しない足音が近づいてくることに気がついた。

 この足音は――。
玉邑藍
玉邑藍
櫻蘭姫、隠れて!
咄嗟に言えば、櫻蘭姫はため息とともに指をパチンと鳴らした。
 瞬間、桜の花びらとともに彼女の姿は掻き消える。きっと、姿を消す術を使ったんだろう。
玉邑翠
玉邑翠
そして、彼女の姿が見えなくなるのと、翠が中庭に面した軒先に出てきたのは、ほぼ同時だった。
 ドッ、ドッ、とうるさい心臓の音を気にしないふりで、わたしは翠に顔を向けた。
玉邑藍
玉邑藍
どうしたの、翠?
玉邑翠
玉邑翠
お母様たちが呼んでるわ。あんたも来なさい。
役立たずとはいえ、あんたにも一応聞かせなきゃ、『逆らった』ことになりかねない
玉邑藍
玉邑藍
えっ?
玉邑翠
玉邑翠
――玉寺本家から、各分家への通達があったわ

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