バタン、と玄関の扉を閉める。
ここからは、私の時間だ。
私には、やらなきゃいけないことがある。
私は小学6年生の頃から今まで
夏祭りに行く度必ず金魚すくいをしてきた。
もちろん、去年も一昨年も。
必ずあのお祭りで金魚すくいをしている。
だから、家には沢山の金魚鉢がある。
本当は1つの金魚鉢に一匹入れれば
それで十分なんだけど、私が嫌だった。
金魚一匹一匹に自由に暮らしてほしいし、
何よりどれがどれだかわからなくなるから。
家の外にある家庭用倉庫から
ひとつ、金魚鉢を取り出す。
一匹ずつ違う名前をつけてやるのも、
私の楽しみのひとつだった。
名前のつけかたは、大体こう。
だから去年は平成29年だったので"つく"。
その前は28年だから"ふたば"。
その前が27年で"ニーナ"。
26年が"フロ"。これは本当にひどい。
25年が"にこ"だった。
あとは覚えてないけど、
多分その頃の日記の中に書いてあるはずだ。
日記は今も書いているけど、
なかなか書くほどの事が起こらないので
日付が飛んでいることが多い。
私はたっぷり水が入った金魚鉢を抱えて
荷物を置いたリビングへと早足で向かう。
衝撃のあまり、金魚鉢を落としそうだった。
リビングで、知らない男性が倒れ込んでいる。
家に入れた記憶はない。
知らない、"人間"がそこにいる。
私がその場から一歩ずつ足を退いた時。
知らないその"人"が、何かを口にした。
あまりの声の小ささに、思わず聞き返す。
───「水を下さい」
これが彼との記念すべきでもない
最初の会話だった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!