第13話

昼下がりの優しい光
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2019/12/27 01:01
この後宮じごくは醜い。
国中から最高の美姫と美男子が集まっているが、ここは思惑と嫉妬と醜い感情で構成されているような場所。
それを思い知るのは、もう少し後のことになる。
ーーー

あの簪騒動から数日後。
紫水は、皇帝の寝所へ向かうために賜瘰と共にいつもの順路をあるいていた。
雪 賜瘰(せつ しるい)
賜瘰しるいがふと声を上げた。
その視線は草花が鬱蒼(うっそう)と生い茂る少し大きめの茂みに向けられていた。
桂 紫水(けい しすい)
どうしました?
隣の賜瘰の視線を追って、紫水も茂みに目を向ける。
桂 紫水(けい しすい)
・・・あ
そして、気づいた。
その茂みからは、生成(きなり)の布が少しだけ見えていた。確か、その布はこの後宮の宦官(かんがん)が着服することを義務づけられている服の生地だったはず。
なぜそんなものが茂みから見えるのか・・・?
紫水と賜瘰の二人は気になって、茂みに近づいていった。すると、その茂みからは艶やかで煽情的(せんじょうてき)な女性の声がまるで人前を忍ぶように抑え気味に聞こえている。
・・・ん・・ふッ・・
その声は抑えきれないのか、徐々に大きくなっていく。
隣の賜瘰に視線を向けると、顔を真っ赤にして顔をふるわせていた。
桂 紫水(けい しすい)
・・・え。もしかして賜瘰さん、どう・・・
雪 賜瘰(せつ しるい)
違いますよ!!
賜瘰は間髪入れずに答える。
二人には何も後ろめたいことは無いのだが、睦み合い(むつみあい)を楽しんでいるのであろう二人の邪魔をするのは悪いと思ったのか、小声で会話をする。
桂 紫水(けい しすい)
賜瘰さん、奥さんいないんですか?
雪 賜瘰(せつ しるい)
いますよ。そりゃあもう、とっても可愛らしい妻がね。もう、語るのなら一日じゃ足りないくらいのーー
桂 紫水(けい しすい)
惚気は間に合ってますよ
二人がダラダラと話し合っているあいだ、女性の声の大きさはエスカレートしていく。
桂 紫水(けい しすい)
(よく、こんな外でやろうと思うねー)
内心、紫水はそう思った。
今は昼時で、昼食を妃嬪たちに運ぶために下仕えのもの達が後宮の至る所を走り回っている。また、官婢かんぴたち(最も位の低いもの達。肌に官婢の烙印を押され、様々な人々から蔑まれる対象になっている)も雑用から開放される僅かな時間帯で、後宮全体が賑わっている。
今日はあいにくの曇天で、外に進んででたいとは思わないが、いつ何時見つかるかわからないこんな場所でニャンニャンするのは、人に見つかる瀬戸際(せとぎわ)でのスリルを味わっているのか・・・?
確かめてみたい・・・。
そう思った紫水は茂みに手をかけて向こうを覗き込んだ。
桂 紫水(けい しすい)
こんにちはー。愉しそうですね。
その瞬間、女性の煽情的な声は途絶えた。
うわー。見つかっちゃったか
その悪びれない声は女性の甲高い声ではない。
男性のものだ。
茂みの向こうでは頬を紅潮させて、女官服をはだけさせた女性を、これまた服を着崩した男性が押し倒していた。
おい。これからが本番って時に空気読めよなー
聞き覚えのある声が紫水をなじる。しかし、その声には邪魔が入ってことの憤りではなく、からかいを含んだ声だった。
桂 紫水(けい しすい)
何をしているんですか。優光さん
紫水の厳しい視線を受けて、架 優光は口の端を上げた。
架 優光(か ゆうこう)
見てわからないか?肉欲発散だよ
桂 紫水(けい しすい)
職務怠慢ですね
紫水は優光の下にいる女性に視線を向けた。
桂 紫水(けい しすい)
おかしいですね。確か、この後宮に住む女性は大方が皇帝の『所有物』なはず。この行為は皇帝の意に背く行為では?
その指摘に女官であろう女性は口を歪ませた。
女官
そんなのバレなければいいのよ。こんな行為、この後宮じゃ数え切れないくらい行われているわ。
それに、と、つけ加える。
女官
私の主(今回は妃嬪)に皇帝のお渡りがない限り、私たちが皇帝の目に止まることなんかないわよ。
『私は皇帝のモノよ。いつかきっと私だけを見てくれる日が来る』なーんて、夢を見続けても虚しいだけだわ。少なくとも私は、届かない《本物の幸せ》よりも、今、届く《偽りの幸せ》を取った方が報われるってもんよ
そう語る女性の瞳には、光がなかった。
この後宮トリカゴでずっと生きてきたのだろう。初めは皇帝の寵(ちょう)を受ける夢を抱いていたのだろうが、次第にその夢も色あせてくる。
桂 紫水(けい しすい)
・・・なら、告発すればいいのでしょう
女官
・・・え?
桂 紫水(けい しすい)
皇帝にあなたが不貞をしたと告発します。幸い、証人はいることですし?
意地悪く微笑んで、後ろにいる賜瘰を一瞥(いちべつ)する。
桂 紫水(けい しすい)
妃嬪なら極刑(死刑)は免れないでしょうが、一女官に過ぎないあなたなら、杖罪じょうざい(杖で背中や臀部を叩く刑罰の一種)位で許されるのでは?
女官
・・・杖罪・・・?
桂 紫水(けい しすい)
ええ
その単語を聞いた途端、女性の顔色は悪化していく。
女官
そんな・・・杖罪なんて、
桂 紫水(けい しすい)
少なくとも、打ちどころが悪ければ一生歩くことは叶わない体になってしまいますね。
さぁ、面白いことになりますね、と微笑むと白粉をまぶした白い顔がさらに白くなっていく。
そして、小さく「ごめんだわ・・・そんなの」と呟いて、女官は去っていった。
ーーー
架 優光(か ゆうこう)
ったくよー。まじで空気読めよな。
去ってゆく女官には目もくれず、紫水を睨んだ。
架 優光(か ゆうこう)
変な正義感を働かせないでくれよ。上官にこき使われて、疲労ストレス溜まりまくりなんだよ。
桂 紫水(けい しすい)
それは失礼しました。
架 優光(か ゆうこう)
どう落とし前付けてくれるわけ。
意地悪く優光は微笑んだ。
桂 紫水(けい しすい)
どう、とは?
架 優光(か ゆうこう)
だからさー
そう言って、優光は起き上がり紫水の手を強く引いた。
桂 紫水(けい しすい)
わっ!
急な体重移動に対応できなかった紫水の体は、優光の上に倒れ込んでしまった。
はたから見たら、紫水が優光を押し倒したように見えるだろう。
桂 紫水(けい しすい)
ふざけてるんですか?
架 優光(か ゆうこう)
まさかっ
はっ、と優光は乾いた笑い声をあげる。
そして、自身の右手を紫水の顎にかけた。
架 優光(か ゆうこう)
あの女官アイツで発散できなかった俺のストレスをあんたが解消してくれるんじゃないのか?
桂 紫水(けい しすい)
なんでそうなるんです。お仕事はどうされたんですか?
架 優光(か ゆうこう)
仕事はない。
桂 紫水(けい しすい)
・・・は?
架 優光(か ゆうこう)
正確には仕事を貰えない。させて貰えないって方があってるな。
桂 紫水(けい しすい)
・・・この後宮のどこに、宦官に自分の世話をさせない貴人がいるんですか。
架 優光(か ゆうこう)
・・・
少しの沈黙の後、優光は懐からあるものを取りだした。
桂 紫水(けい しすい)
それは・・・!
先日の牡丹一華アネモネの簪だった。
桂 紫水(けい しすい)
・・・持ち主に返していなかったんですか。
架 優光(か ゆうこう)
・・・まぁな
優光は簪を手でクルクルと回しながら弄(もてあそ)んで答えた。
桂 紫水(けい しすい)
なぜ?
返さないのか、と。
紫水は目の前の優光の顔を見つめた。
架 優光(か ゆうこう)
強いて言うなら・・・
そして、彼は微笑んだ。
架 優光(か ゆうこう)
あの方は俺が一番近くにいて、一番遠い。近づきたいのに近づいては行けない方だから。
それは問いに対する適切な答えじゃない。
そう言おうと思ったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
そんなことを言える雰囲気じゃなかったから。

狂おしいほどの恋情と絶望をはらんだ顔だったから。
桂 紫水(けい しすい)
・・・
紫水はなんて言えばいいのか分からなかった。
だから、優光の顔をじっと見つめていた。
すると彼は直ぐににっこりと笑った。
架 優光(か ゆうこう)
そんなことより・・・
彼は紫水の頭に手を伸ばし、一気に自分の方へ引き倒した。
架 優光(か ゆうこう)
愉しいことをしようか。
ニヤリと不敵に微笑んだ。
桂 紫水(けい しすい)
・・・なっ!
紫水は急いで、体を起こそうとしたが紫水の頭を強く抑えた優光の手はそれを許さなかった。
男という存在では無くなったが、筋力的には紫水よりもはるかに高いということか。
どんどん優光の手は紫水の頭を自分に近づけていく。
初めは額が触れ合う。次に鼻先。そして、唇も。二人のそれが触れ合う直前。
桂 紫水(けい しすい)
うぐっ・・・!
紫水の体は一気に優光から離れた。
否、『離された』。
秀 千燈(しゅう せんひ)
何をしているんだ、お前たちは!
紫水の鼻を白檀香(びゃくだんこう)の良い香りがくすぐる。気づけば紫水の体は力強い腕に包まれていた。
桂 紫水(けい しすい)
・・・皇帝陛下・・・
紫水は後ろも振り向かず、ぽつりと呟いた。
何故か『分かるのだ』。
この腕に包まれれば。
この香りに包まれれば。
微かな紫水の声が聞こえたのだろう。
首のすぐ側で熱い吐息が吐き出された。
よく考えてみれば、自分を包む腕も背中も少し熱い。
桂 紫水(けい しすい)
走ってきたんですか・・・?
秀 千燈(しゅう せんひ)
当たり前だろう!
お前が時間に遅れないために賜瘰を付けたのに、いくら待てども部屋に来ない!気になって探してみれば・・・
そこで皇帝は言葉を切った。
すると、すぐ目の前にいる優光は顔を強ばらせて、体勢を立て直しひざまずく。
架 優光(か ゆうこう)
大変申し訳ありませんでした。
これから紫水様が陛下の元へ馳せ参じられるなど思いもよりませんでした故。
秀 選唄(しゅう せんか)
・・・それはどうでしょうね
そこに新しい声がかかった。
紫水と皇帝が揃って振り向くと、そこには鞭をしならせて仁王立ちで立っている王弟 秀 選唄だった。
桂 紫水(けい しすい)
え、えっと・・・王弟殿下・・・?
紫水は選唄の手にある鞭を見つめて、声をかけた。その問いに選唄は紅い唇を緩ませて、淡く微笑んだ。
秀 選唄(しゅう せんか)
こんにちは、紫水さん。
全く、優光のど阿呆のせいで怖い思いをしたでしょう。すいませんでした。
桂 紫水(けい しすい)
いや・・・怖くはなかったですけど・・・
秀 選唄(しゅう せんか)
ふふふ。そんな意地を張らなくても大丈夫ですよ。直ぐに私が制裁を加えてやりますから。
桂 紫水(けい しすい)
いや、だから怖くなかったと・・・
かなり強引だな。
そう思っていると、今の今まで黙っていた賜瘰が選唄の前に跪いた。
雪 賜瘰(せつ しるい)
殿下。申し訳ありませんでした
秀 選唄(しゅう せんか)
本当に使えませんねぇ。紫水さんが怖い思いをしている時あなたはボケーっと突っ立っていたんですか?
雪 賜瘰(せつ しるい)
・・・はい
選唄の毒舌に賜瘰は力なく項垂れる。
この反応に選唄は目を瞬かせた。
秀 選唄(しゅう せんか)
・・・気分でも悪いんですか?
あなたが屁理屈を言わないなんて。
雪 賜瘰(せつ しるい)
・・・今まで屁理屈を言っていた自覚はないんですが・・・
グダグダ話し始めた。
その間、賜瘰の眉間にはシワがよっていた。
つい先程まで、元気にしていたのに。その唐突な表情の変化に紫水は疑問を持った。
どうしたのか、と聞こうとしたら皇帝が紫水の手を引いて立ち上がった。
桂 紫水(けい しすい)
え、皇帝陛下?
秀 千燈(しゅう せんひ)
え、じゃないだろう。お前は毒味の仕事がある。行くぞ
そう言って、皇帝は紫水の手を引いて歩き出した。
架 優光(か ゆうこう)
おい。お前!
桂 紫水(けい しすい)
いい加減名前を呼んでください!
桂 紫水です!
急に優光に名前を呼ばれたため、皇帝の手を振り切って後ろを振り向いた。すると、優光はいつの間にか立ち上がって紫水のことを見据えていた。
架 優光(か ゆうこう)
知ってるか?この後宮ここには三千は、くだらない数の華が咲き誇っているんだ。
『花』というのは比喩表現で妃嬪達(妃達)のことを言っているのだろう。
架 優光(か ゆうこう)
そこの北の宮殿には、自分の『色』を忘れた紅い仏桑花ハイビスカスが咲いているんだ。
その仏桑花は『白い牡丹一華アネモネ』を望まない。だから、俺は簪を渡さなかった。
それが自分の主だと知りながら、な。
優光が話し終わるのと同時に皇帝は紫水の手を引っ張り、宮殿内へいざなう。
桂 紫水(けい しすい)
(仏桑花、色、紅・・・なるほどね)
紫水は皇帝に手を握られながら、薄く微笑んだ。恐らく、自分のすべきことを見つけたのである。

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