第10話

私がこれから生きる意味
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2020/01/09 08:05
_朝8時


私はぼーっと、病室の窓から空を眺めていた。


廉も、この空を見ていたりするのかな…。






朝ごはんを食べて、今日の手術の流れを淡々と話す担当医。

もちろんそんな話、入ってくるはずもなく、





私は、いつもと少しだけ位置の違う、
ベッド脇に置いてある椅子を、
愛おしく見ていた。


あれは、夢じゃなかった…。




「約束」




ちゃんと覚えているよ。

今、この瞬間は。

でも、数時間後の私はちゃんと覚えているかな?




方法はいくらでもある。

今のうちに手紙を書いて、看護師さんに預けておいて、手術が終わった後、それを読む。


そうすれば、廉のこと…


でも、それは違うよね。

“覚えている” とか “思い出した”、
とかじゃなくて、

“覚えた” とか “知った” になる。


それは、ちゃんと決心してこの約束をしてくれた廉に失礼だ。

自分を信じるしかない。




「体調は、どうですか?茉衣さん。」

「すごく良いです。」

「それは良かった。」


一也さんは今日もまた、来てくれた。
もちろん、親もいる。


大嫌いだったこの環境。

でも、廉が色んなことを教えてくれたから、もう大丈夫。




「一也さん。」

「はい?」

「ちょっと屋上に行ってきます。」

「着いていきますよ。」

「いえ、大丈夫です。」

「いや、でも…」

「…ある人と、お別れしたいんです。」

「ある人……?」



笑って誤魔化して、私は車椅子に乗った。

別に歩けるけど、「おとなしくしていなさい」と怒られるから、最低限、移動は車椅子。


変な決まりだ。






私は、屋上へ向かった。





大きな扉を開けて、風にあたる。

気持ちいい風だ。



空は綺麗な初夏の晴れ。







私は、廉に貰った鍵につけていたキーホルダーを握りしめていた。

たった一つだけ、怪しまれず、怒られず、持ってくることの出来た廉との思い出。

おそろいのキーホルダー。





「一ノ瀬廉」


私は手紙を読むように、
誰もいない屋上で、
空に向かって…

独り言を。






いや、廉にお別れを告げた。



「昨日のことが、まだ夢のようです。

本当に、廉が来てくれたんだね。

約束も嬉しかった。

本当に嬉しかった。



けど……



今日は廉に、お別れを告げに来ました。



私、立川茉衣は、本日を持ってこの世界から消えます。

改めまして、雅香恋になる予定です。

もう、あなたのことが好きな立川茉衣は、いなくなる。

だから、私がまだ茉衣でいられる間に言っておきます。



廉は、誰かの人生を変えてしまうぐらい、素敵な才能を持っています。


私は廉のおかげで、この短い人生幸せでした。

何があっても、あなたがいるから生きようと思えた。

たとえ、
親と血が繋がっていなくても、
お見合いさせられても、
記憶が無くなると知らされても…


本当は、この記憶が消えるぐらいなら、死んでもいいと思った。

最後まで、悩みました。

でも、口契約が終わったあの日、廉は一也さんに言ったよね?
「幸せにしろ」
って。


廉がそれを望んでいるのなら、私は生きなきゃいけないと思った。



私は廉だけを想った、

でも廉は、私の未来を想ってくれた。



これからも私は廉のために生きるよ。



廉が本気で望んでくれて、
私のことを考えてくれていたのなら…



そう、泣かずに……泣かずに……言えることが出来たら…


たとえ思い出しても、知らないフリをしようと思ったけど…


ごめん。

やっぱり私は…





廉、大好き。
あなたに会えて良かった。さようなら。



立川茉衣。」





少し冷たい風が、私の体を通り抜けた。



ここで勝手にお別れする私を、許してね。

きっとこの声は、あなたに届いていない。
分かっている。




「やっぱり、あの人にお別れしたかったんですね。」



振り向くと一也さんがいた。


「1度だけ、会ったことがあります。
あのアイドルですよね?廉という方は。」

「はい。」



ちゃんと向き合わなきゃね。

おそらく、私の未来で隣にいる人は、廉より…

一也さんである可能性の方が高い。



「そうですか…」

「ごめんなさい。
今まで、一也さんに不快な思いばかりさせてしまいました。」

「いえ…それはいいんです…。
ただ…あなたはいつもそうだ。」

「え?」

「廉という方の為には泣くのに、
あなたは僕の前で1度も泣いたことがない。

やっぱり僕は…
その廉という方に勝つことは出来ませんか?
いくらあなたがお別れをしたところで、あなたの心の中はその人ばかりで、僕になんて目もくれない。」


「そんなことないです。」

「いいえ。そうです。どうして…
あんな奴より僕は、茉衣さんを愛している。
あなたのために尽くしたい。

僕は、あなたを幸せにできる。
世界でたった1人、あなたを。

なのにどうしてまだ、あんな奴を追いかけるんですか?

地位も学歴もあなたを想う気持ちも、僕の方が上です。

1度は好きだと言ってくれたかもしれない。




でも、そのたった一言にあなたは…


人生を賭けるつもりですか?」






一つも間違っていない。
一也さんが言うことは、正解だ。






「聞いていたんですね。」

「…すみません。」

「いえ、いいんです。私がバカなんです。」

「そんなことは…」

「確かに廉にとって、私はそれほど大きな存在じゃないのかもしれない。
きっとこれから先、私より素敵な人と廉は出会える。

おっしゃる通り、学歴や地位や私を想う気持ち…?
一也さんの方が上なのかもしれない。

でも廉は、一也さんが出来ないことが出来ます。」


「できないこと?
歌?ダンス?それとも…演技とかトークとかバク転とかでも言うんですか…?」

「いいえ。」


そんなこと、一也さんがアイドルという職業につけば、出来たかもしれない。






「…不特定多数の人を幸せにすることです。」

「え?」

「一也さんは、私を、
世界でたった一人、私のことを、
幸せに出来ると言いました。

でも、廉は違います。
この世界に何万人といるファンの人を笑顔に出来るんです。」


いつだって。何があったって。



「そんな廉に惚れたから、もし特別な存在になれたら、嬉しいです。
でもそれは、夢のまた夢の話。

私は、世界にいる何万人のファンのうちの1人で良かった。」


画面という高い壁を、超えられなくても良かった。



「だから私、立川茉衣でいたいんです。

廉のことが好きな、立川茉衣に。」


ただそれだけ。







「そうですか…」

「ごめんなさい。
でも、もういいんです。
私は、雅香恋にならなくちゃいけない。」

「それは誰のために?」

「…立川茉衣のために。」

「雅香恋になったあなたは、僕を愛してくれますか?」

「…分かりません。だから…愛していてください。


でも、邪魔になったらすぐ、放り出して頂いてかまいません。」







こんな私でごめんなさい。
自分勝手でごめんなさい。


一也さんはいつものさわやかな笑顔でこう言った。



「分かりました。」



今の私には、何が正解なのか分からない。

廉との約束を、ルールを無視してでも守るべき?

それともその約束を意地でも忘れて、一也さんの所へ行くべき?

誰もが幸せになれる未来って無いのだろうか。



未来に行く前に、見つけなければならない。
その答えを。

私は、誰のために生きていくの…?






「そろそろ戻りましょう。茉衣さん。」

「そうですね。」






もう時間がない。

こういうのはどうかな?


廉、私も廉に賭けるよ。
今1番好きな人に賭ける。

未来は未来でいいかな?
私は今を存分に味わっていたいから。



もし、昨日廉が言った通り、廉が私を連れ去ってくれるのなら、そうする。


でもそうじゃなかったら…
私は一也さんの所へ行く。






運命ってあるのかな……。


































































目が覚めると、私の目に最初に飛び込んだのは、真っ白な天井だった。

周りが少し、騒がしくなる。

お医者さんらしき人が来て、
機械をチェックしたり、
私に話しかけたりしている。


でも、頭はまだぼーっとしていて、話が入ってこない。






「ここはどこか分かりますか?」

「…病院」


「はぁ!」と嬉しそうに声を上げる、
ベッドのそばにいる女性。



「あなたの名前は?」

名前?

……私の…名前…?







「……」









分からない。



「どうやらお話していた通り、記憶喪失の状態ではありますが、生活する分には支障ないものと思います。」



え?私…記憶喪失なの?……



「そうですか。」と女性の隣にいた男の人が言う。


「雅香恋さん、始めまして。雅一也と言います。」

私の名前は雅香恋…?

「あなたの、婚約者です。」

婚約者…。




頭の回転が追いついていかないまま、自己紹介は進んでいく。




その隣の女性は、私の母親。

向かい側の少し離れたソファにいるのは、父親。

さっきのお医者さんは、私の主治医。




ちょっとした検査をして、問題無いと結果が出た。






そこからは、色々なことを話してくれた。






“一也さん”と私は彼のことを呼んでいたこと。


出会った日の話。






ときに笑って、納得して、
今まで過ごしてきた時間を確かめながら、
会話していたその時間は楽しかった。






気がつくともう、夕日が沈みかけていた。




「飲み物買ってきますね。」


そう言って、病室を出ていった一也さん。

長い話をして疲れた私は、ベッドに横になる。

そして、ちょうど綺麗に夕日が見える窓に目を向ける。





綺麗だ。


その視界の中に一つ、気になるものがあった。



ストラップ。


誰のものだろう?
おそらく私のものだけど…いつのもの?
一也さんから貰ったもの?

それとも…?



それはちょうど、沈む夕日に反射して、キラキラ光っていた。





唐突に、私はそのストラップを握って車椅子に乗る。






向かった先は、病室の外




思っていた以上に夕焼けは綺麗で、辺りが赤く染まっている。

少し冷たい風も、この雰囲気に合っていて、良い。



行く宛もない。



ただ、その夕日を眺めていた。













風が吹いた。

その風に乗ってきた、香り。

私の好きな香り。




その匂いをたどると、人並み外れたオーラを出す人がいた。



すれ違う、会社帰りのOLさんも学生も、
犬の散歩に来ているお姉さんも、
ランニング中のおじさんも、
私と同じ病院服を着ているお兄さんも、


誰もがその人に目を奪われた。



もちろん、私もその1人。









「立川茉衣さん!」


綺麗な声で、そう言う。









風が吹いた。

その風に乗ってきた、香り。

彼の匂いだ。





「やっぱりそうだ。茉衣。」


核心をつくように、私の目を真っ直ぐ見つめてそう言った。




その香りも、声も、目も、まとっているオーラも、
全てが私の心に染み渡っていく。











“幸せの記憶” という、儚く輝いているものに、私は……








___________恋をした。

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