第3話

三分咲き
119
2018/04/01 13:54
恭介は数日間、姿を見せなかった。
きっと忙しいのだろう。
しかし、母以外誰も訪れない日々はやはり少し寂しく感じた。

今日も母が帰って、病院には私1人となった。
窓の外をぼーっと眺める。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
私が扉の方へ視線を移すと、ゆっくりと扉が開いて、恭介が顔を出した。

「よっ!」

無意識のうちに、顔がほころぶ。

『待ってた』

私は病室に入ってくる恭介にノートを見せた。
すると、恭介ははにかむように笑って私の隣に座った。

「ごめん。毎日来ようと思ったのに、ちょっといろいろあって来れなかった。」

『大丈夫。ありがとう。』

私が笑顔でノートを見せると、恭介も優しく微笑んだ。

「そういえば、ここの病院の中庭に菜の花が咲いてるのを見つけたんだけど…見に行くか?」

恭介は私の様子を伺いながら、聞いてきた。
私は急いでノートに返事を書く。

『行きたい!』

しかし、2ヶ月ほど眠り続けていた私は、何かしらの支えがないと自力で歩くことが難しい。
そのことを恭介に伝えると、恭介は病室を見回した。
そして、病室の隅に置いてあった車イスに目が留まる。
恭介は車イスを指差した。

「あれで行こうか。俺、押すから。」

私が頷くと、恭介は車イスをベッドのそばまで持ってきてくれた。
恭介に支えられながら、車イスに乗る。

「よし、行くか!」

私は笑顔で頷き、恭介とともに病室を出た。
病院から出て、病棟の南側にある中庭へと向かった。
日差しは暖かく、風は少し冷たくて心地よい。
すっかり春めいてきた。

「確かこの辺のはず。」

私は恭介と同じように、辺りを見回した。
すると、前方に黄色い花が見えた。
ノートを持ってこなかった私は、前方を指差して恭介に伝える。

「ああ、あれだ!」

恭介が菜の花の見える方へ車イスを押す。
病棟の沿った花壇は咲き誇る菜の花で埋め尽くされていた。
私と恭介はその光景に見惚れる。
風が吹くたびに、波のように菜の花が揺れる。

(きれい…!)

「きれいだな…。」

私たちは一言も言葉を交わさずに、時が経つのも忘れて夢中になった。
「このまま、少し散歩しようか。」

恭介が私の顔を覗き込むようにして、聞いてきた。
私は笑顔で頷いた。
恭介はゆっくりと車イスを押す。
菜の花以外にも、チューリップやパンジーなど、様々な花がいたるところにある花壇に植えられて、花を咲かせていた。
言葉を交わすことができないのが、ひどく残念だ。
見るだけでも十分楽しいが、言葉にして語り合えたら、より楽しさが増しただろう。
私と恭介は無言で中庭を散策した。
私は不意に振り返る。
気づいた恭介は足を止めて、私に柔らかい笑顔を向けた。

「楽しいか?」

私が頷くと、恭介は嬉しそうに笑った。
「……さん…戸田さん…戸田さん!」

背後から私を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、看護師が膝に手をついて、息を切らしていた。

「戸田さん!勝手に外に出ては、だめですよ!」

私は辺りを見渡した。
気づけば、恭介と見た菜の花の前にいた。
恭介の姿は見当たらない。

「戸田さん?」

キョロキョロしている私を見て、看護師が訝しむ。
私は看護師の手を取って、伝えたいことを一文字ずつ手のひらに書いた。

『わ た し と お な じ く ら い の と し の だ ん せ い が い ま せ ん で し た か』

看護師は首を傾げた。

「いなかったと思いますよ?私が見つけた時には、戸田さんのそばには誰もいなかったです。」

私を外に残したまま帰るだろうか?
そんなわけないだろう。
では、どういうことなのだろうか。
何かが引っかかる。
その時、頭に痛みが走った。
私はとっさにこめかみを押さえた。
気づいた看護師が、慌てた様子で私に声をかけた。

「戸田さん!?大丈夫ですか!?とりあえず、病室に戻りましょう!」

看護師が早足で車イスを押す。
私はツキツキと痛む頭で恭介のことを考えていた。

突然姿を消す恭介。
絶対何かがある。
しかし、その何かを知ってしまったら、私は何かを失ってしまう気がした。

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