第46話
第四部 お兄様
兄の記憶は、鮮明だ。
「凄いな、さすがドランバーグ家長男だ」
「自慢の子だわ」
そもそも、両親は政略結婚であり、二人は愛し合ってなどいなかった。
だから、彼らが目をかけるのは、成功作の兄で。
愛を与えるのも兄にだけで。
いかに努力をしても、凡才の自分では兄に届かなかった。
失敗作の自分では、愛を与えられなかった。
努力して努力して努力して、小さいのに過労だとかで倒れても、誰も見向きはしなかった。
愛してくれはしなかった。
……ずっと、愛して欲しかった。
だから、兄が私に見せる微笑みは妹への純粋な愛情だと信じていた。
盲目的に狂信していた。
彼からの優しさが、同情や憐れみや優越感や余裕や蔑みでは……そんなものではないと。
気づいていながら目をそらし、鈍く愚鈍に盲信した。
歪んでいく。
風船が膨らんでいくように、与えられない愛に焦がれて焦がれて焦がれる気持ちが膨れ上がる。
やがて破裂するときを密かに待っていたかのように。
だが、兄の優秀さが嘘だったことが露呈して。
彼の全てがカンニングによるものだと判明して。
兄より優れた私が、今度こそ────
なんて。
望むことさえ、愚かしかった。
両親の隠蔽工作は見事だった。
それからもっともっと兄を愛するようになった。不出来なところが可愛らしい、親に良いところを見せたくて健気なところが愛しいと。
愛を期待していただけに、それを裏切られ私の風船は割れた。
利口で、兄と両親の邪魔をせず、ニコニコと笑って努力するだけでは、一生愛は得られない。そう気づいて、今までの自分が全くの無駄だったのだと理解して。
でも、もう遅かった。
悪いと思っていながら、使用人にした悪戯は
構ってほしいなんていう純粋なものだけではなかった。
きっと八つ当たりも入っていた。
自分の行動を正当化していたいだけなのだ。
もう、ダメだった。
親は頭の回る娘を持て余したし、そんな妹にさえ慈悲を見せる兄を誉めるだけだった。
ある時。
兄が両親に言った。
家族なんだから、四人で仲良くしようよ、と。
それから我が家は、大きく変わった。
私は妹として理想的な姿を求められた。
例え病気になったとしても、家族団らんの時間に参加しなければならないし、兄の言うことは絶対だ。
でも…変わった。
例え偽りであろうとも、作り笑いの顔であっても、両親が笑顔を見せてくれるようになった。
私たちは理想的な家族だ。
兄のために生きるだけの家族。
これが当たり前の家族なんだ。
憧れていた家族の形なんだ。
信じて、信じて、信じて信じて信じて、
お兄様が婚約者と共に家を出たときだって、
家族が冷たいのは一時的で
またすぐにあのときのような幸せな…偽りでも、愛されていなくても、思い込みたいだけだとわかってうても……幸せな日々に戻れると
信じていた。
──ある日、熱で倒れた日に。
自分の心が壊れた音を聞いた。
前世の記憶が蘇り、人格は入れ替わってしまって。
傷ついて壊れて愛されない、そんな私は奥で眠るの。
完全に自分じゃなくたっていい。
前世の私なら──あいして、くれますか?