許しも得ずに私の鼻を覆った無礼な布切れはポイしてと……ふぅ。
館の中は、そう……なんというか……
ちょうど、生ごみを十年放置し熟成させたかのような匂いだった。
実に芳しいね。
「どのようなご用件で?」
物珍しいのか、ジロジロ見られながら応接室に通され、椅子に座る。
目の前には騎士団長とザルク。
騎士団長の顔は傷だらけで怖い。
それだけでなく、
私を歓迎していないことも伺える。
当然だろう。
私の家は騎士団を持ちながら騎士団を軽蔑しているのだ。
そこの娘が訪ねてきた。
私の地位がなければいれることさえ嫌に決まっている。
だが、私はひと味違う。
そこらの令嬢となめてもらっちゃ困るね。
交渉は貧民街に行ったときにだいぶ鍛えられたのだ。
「今日は、頼みがあって参りました」
私は軽蔑なんてしてないよ?
純粋無垢な子供だよ?
ニコニコ笑い、空気を読まずに話しかける。
騎士団長は軽く目を見開いた。
命令することは簡単だ。
なのに、頼みがあると言った。
そこがポイントだよ。私のこと気に入ってくれてもいいよ。
場の空気を手繰り寄せながら、頼みの内容を口にする。
「私、剣を練習したいんです」
教えてくださいません?、と。
笑う私に、空気が凍りついた。
「じょ、冗談ですよねッ!」
「旦那様には言いませんから、訂正を……!」
「叱られてしまいます!」
矢継ぎ早に非難されて辟易とする。
「両親が私に何か興味あるとでも? 管理できる場所にさえいれば何とも思わないよ」
ちょっと叱られるくらい、未来生死を分けるかもしれない選択と比べれば軽いね。
すると、また違う意味で静寂が訪れる。
自分よりも可哀想な存在に哀れみを向けるような。
私はそんな感情なんて向けられるほど自分を可哀想だと思ってはいない。
だから、それは不快な反応だけど──
今は、それを利用する。
「だから……ね、お願い」
目を伏せる。
声は軽く震わせて尻すぼみに。
涙を流すのはやりすぎなのでこれくらいが丁度いいと思う。
「……わかりました」
騎士団長の言葉にぱっと顔を上げる。
「じゃ、じゃあ……!」
「私が剣の指南をしましょう……ただ」
ただ?
「私の息子を教えているので二人同時に教えることになりますが」
……私の息子?
「……あのぉ」
「はい」
「その、私やっぱり騎士団長の手を煩わせたくないし……」
「大丈夫ですよ。そんな風に遠慮しないでください」
ぐっ! さっきの演技のせいで優しい!
だが、それはもう迷惑なんじゃッ!
だって、騎士団長の息子って──
「親父ー、昼飯、これ……」
紫色の髪を持つ美少年が顔を出した。
すっと通った鼻筋とツリ目が特徴的だ。
「……誰?」
私を見て首をかしげるそいつは、間違いなく。
小説のヒーローの一人、ギルバート・ブラッドリーだった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!