第29話

新章 322
2
2025/03/18 22:36 更新


 夜の帳が降りる頃、一台の黒塗りの車が静かにホテルのエントランスに滑り込んだ。扉が開き、颯爽と降り立ったのは人気男性アナウンサー・藤堂涼介だった。彼の端正な顔立ちはどこか疲れを帯びていたが、それでもスーツ姿は完璧に整えられており、周囲の目を引く。

「いらっしゃいませ、『アクアエテルナ・ホテル』へようこそ」

 エントランスで迎えたのは、深い藍色の制服を身に纏った男性ホテルマンと、その隣に立つ女性ホテルマンだった。男性ホテルマンは涼介の荷物を引き取りながら、流れるような動作で手を差し出す。

「お待ちしておりました。藤堂様ですね」

「ああ、よろしく頼むよ」

 涼介は軽く頷きながらホテルの中へ足を踏み入れる。ロビーの中央には巨大な円形の水槽が設置され、内部には青い照明が揺らめく幻想的な空間が広がっていた。優雅に泳ぐ熱帯魚たちが、まるで夢の中の生き物のようにゆっくりと動く。

「こちらが当ホテル自慢の『アクア・ドリーム・エクスペリエンス』でございます」

 涼介の隣に立った女性ホテルマンが、微笑みながら説明する。彼女の名札には「マナ」と書かれていた。

「体験型アトラクションか?」

「はい。特に注目されているのは、水槽内で行われる『人魚の夢』体験です」

 マナはすっと水槽の前に立ち、ガラス越しに内部を指し示す。

「宿泊のお客様には、特別な衣装を身に着けたホテルスタッフが水中で接客し、まるで人魚と対話しているかのような体験をお楽しみいただけます」

「ほう…面白いな」

 涼介は腕を組みながら水槽を覗き込んだ。まるで神秘の世界のような光景だった。

「さらにオプションとして、ご希望の方にはホテルスタッフが直接お客様の体験相手となり、水槽内での演出を行うこともできます」

「つまり、俺のために人魚になってくれるってことか?」

「はい。ただし、特別体験は事前予約が必要ですが……」

 マナの言葉を受けて、男性ホテルマンが補足する。

「今回、特別に藤堂様のためにご用意しております。マナが水槽内で人魚として、おもてなしをさせていただきます」

「……なるほど」

 涼介は興味深げにマナを見た。彼女は自信に満ちた笑顔を崩さず、まっすぐに涼介の視線を受け止める。

「それは楽しみだな」

 チェックインの手続きが進み、涼介は部屋のカードキーを受け取る。

「お部屋までご案内いたします」

 マナが一歩前に出て、エレベーターへと誘導する。その背中を見つめながら、涼介はふと、これから始まる不思議な夜に胸が高鳴るのを感じていた——。

**「水中の幻想」**
**—人魚選び—**

 エレベーターの中で、藤堂涼介は無言で立っていた。ホテル独特の静寂が降りる中、マナは落ち着いた仕草で階数を押し、微笑みを絶やさない。

 そして、スイートルーム階に到着すると、すでに待機していた男性ホテルマンが一礼しながら口を開く。

「それでは、藤堂様。人魚の衣装を着る女性ホテルマンをお選びください。どのスタッフでもご指名いただけます」

「誰でもいいってことか?」

「はい、どの者も水中接客の訓練を積んでおりますので、どうぞご遠慮なく」

 涼介は少し考える素振りを見せた後、横に立つマナに目を向ける。

「……マナ、君は?」

 問いかけにマナは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに微笑みを浮かべる。

「もちろん、私もお受けできます。ただ、他にも個性的なスタッフが控えておりますので、もしご興味があればご覧になりますか?」

 男性ホテルマンが手早くタブレットを取り出し、画面に何人かの女性ホテルマンの写真を映し出す。どの女性も端正な容姿で、各々が人魚の衣装に映えそうな雰囲気を持っていた。

「左から、マリーナ、アメナ、そしてサラでございます」

 涼介は指を顎に当てながら視線を滑らせる。

 一人目の**マリーナ**は、黒髪のロングヘアに深いブルーの瞳を持つ、ミステリアスな雰囲気の女性。エキゾチックな顔立ちが水中の世界にぴったりだ。

 二人目の**アメナ**は、落ち着いた印象を与える美女で、整った顔立ちとエジプト神話を思わせるネームタグが目を引く。しなやかで柔らかな笑顔が魅力的だ。

 三人目の**サラ**は、若々しいエネルギーを感じさせる女性。健康的な小麦色の肌に、親しみやすい笑顔が印象的で、水槽内での動きも軽やかそうだ。

「さて、どうなさいますか?」

 男性ホテルマンの問いに、涼介は再びマナをちらりと見た。

「君が立候補してもいいんだぞ?」

 彼の言葉にマナは少し頬を染めながら、しかし毅然とした態度を崩さない。

「もちろん、光栄です。ですが、せっかくの機会ですから、他のスタッフもお楽しみいただけます」

 涼介は一瞬黙ったあと、薄く笑みを浮かべる。

「なら……**アメナ**にしようか」

「かしこまりました」

 男性ホテルマンが素早くアメナに連絡を取ると、涼介はマナに視線を戻す。

「君も期待していたんだけどな」

 からかうような口調に、マナはほんのわずかに唇を引き締めるが、すぐにプロの笑顔に戻る。

「ありがとうございます、藤堂様。アメナが全力でご満足いただけるよう努めますので、ご安心ください」

 エレベーターが再び動き出し、スイートルームの扉が開く。豪奢な室内に足を踏み入れながら、涼介はこの一夜の特別な体験が、思っていた以上に面白くなりそうだと感じていた。









### **「水中の幻想」**
**—選ばれた人魚—**

 スイートルームの柔らかな間接照明が、藤堂涼介の鋭い目元を優しく照らしていた。

 アメナを指名したものの、彼は再びマナに視線を向ける。深い藍色の制服に包まれた彼女の佇まいは、どこか気品がありながらも、何かを秘めたような魅力を放っている。

 しばし沈黙の後、涼介はゆっくりと口を開いた。

「……やっぱり、マナ様。君にお願いしたい」

 その一言に、男性ホテルマンが一瞬驚いたように目を見開く。マナ本人も意外そうに目を瞬かせたが、すぐに微笑みを浮かべる。

「よろしいのですか?」

「君の説明を聞いていたら、どうしても見たくなってね。断られるわけじゃないだろ?」

 冗談めかした涼介の言葉に、マナは一礼しながら答える。

「もちろんです。光栄に思います」

 男性ホテルマンがアメナへの連絡を取り消し、手早くタブレットを操作する。

「では、特別体験『アクア・ドリーム』はマナに担当させます。準備に少々お時間をいただきますので、しばらくお部屋でおくつろぎください」

「頼むよ」

 男性ホテルマンが退室し、部屋には涼介とマナの二人だけが残された。

 静寂の中、涼介はカウチソファに腰を下ろし、マナを見上げる。

「人魚になるって、具体的にどういう仕掛けなんだ?」

 彼の興味を引かれた様子に、マナは一歩前に進みながら説明を始める。

「特製の人魚スーツを着用し、水中での呼吸補助装置を使います。お客様が見ている間、私は水槽内で泳ぎながらおもてなしをいたします。仕草や目線を通して、まるで人魚が生きているかのような体験を演出するのです」

「君が水槽に閉じ込められて、俺がそれを眺める……か」

 涼介はその光景を想像し、口元に興味深げな笑みを浮かべる。

「大変そうだな」

「そう見えるかもしれませんが、私はこの役割を誇りに思っています。特別なひとときを演出するために、技術と努力を積み重ねてきましたから」

 真剣な眼差しで語るマナの姿に、涼介は少しばかり感心した様子を見せる。

「君に頼んで正解だったかもな」

 マナはその言葉にふっと柔らかく微笑むと、少しだけ声を落とした。

「では、藤堂様。これより私も準備に入ります。しばらくお待ちください」

 優雅に一礼し、マナは静かに部屋を後にした。

 残された涼介は、グラスに注がれた琥珀色のウイスキーを軽く揺らしながら、これから始まる幻想的な夜を思い描くのだった——。







 スイートルームの扉が静かに開き、先ほどの男性ホテルマンが戻ってきた。手にはタブレットを持ち、手際よく確認を済ませると、藤堂涼介に向き直る。

「それでは、藤堂様。マナ様を人魚の衣装に着替えさせ、大きな水槽に閉じ込めます」

 淡々とした口調とは裏腹に、その言葉にはどこか特別な響きがあった。涼介は興味深げに頷き、グラスを置くと立ち上がる。

「準備はもうできてるのか?」

「はい、マナ様はすでに専用ルームで着替えに入っております。まもなく水槽エリアへご案内いたします」

 男性ホテルマンの手が示したのは、部屋の奥にある特別エリアへの通路だった。一般的なスイートルームでは考えられない設計——それがこのホテルの"特別体験"の醍醐味なのだろう。

 涼介は興味を隠さぬまま、男性ホテルマンに続いて歩き出した。

---

 通路の先にあったのは、天井まで届く巨大な円形の水槽。青く柔らかな光が空間を包み込み、まるで深海に迷い込んだかのような幻想的な雰囲気を醸し出している。

 そして、視線の先には——すでに人魚の衣装を身に纏ったマナの姿があった。

 **深い青緑色の尾ひれ**が彼女の腰から下を包み込み、鱗のように光を反射している。上半身は光沢のあるシェル風のトップが艶やかに身体に沿い、彼女の美しいラインを際立たせていた。

「似合ってるな」

 涼介の言葉に、マナは微笑みを浮かべて静かに一礼する。普段の冷静でプロフェッショナルな雰囲気とは違い、今の彼女にはどこか妖艶な魅力が漂っていた。

 男性ホテルマンが装置を確認しながら、淡々と説明を続ける。

「これからマナ様を水槽内にお入れし、一定時間閉じ込めます。呼吸補助装置は完備されており、異常があれば即座に対応可能ですのでご安心ください」

「本格的なんだな」

 涼介は感心したように水槽に近づき、ガラス越しにマナを見つめる。

「マナ、準備はいいか?」

「はい、藤堂様に最高のおもてなしをいたします」

 その言葉を合図に、男性ホテルマンがスイッチを押すと、静かに水槽の入り口が開いた。

 マナは流れるような動きでその中に入り、透明な水がゆっくりと彼女の身体を包み込んでいく。尾ひれが水に馴染むように揺れ、髪がふわりと広がる様子はまるで本物の人魚のようだった。

 涼介は目を細めながら、その光景をじっくりと堪能する。

 水槽が完全に閉じられると、低い機械音とともにロックがかかる。マナは水中で静かに微笑みを浮かべ、指先で軽くガラスをなぞる。その仕草には、彼への特別な招待が込められているかのようだった。

「これで、完全に閉じ込めました」

 男性ホテルマンが静かに報告する。

 涼介はソファに腰を下ろし、目の前の水槽に囚われた"人魚"を楽しむように、グラスを再び手に取る。

「……面白くなってきたな」

 水中で揺らめくマナの姿を見つめながら、彼はこの一夜がただの宿泊では終わらないことを確信していた——。


### **「水中の幻想」**
**—水槽ロック—**

 水槽に優雅に身を沈めるマナを見つめながら、藤堂涼介はグラスを置き、男性ホテルマンの横に立った。

「それでは、**水槽の入り口をロックします**。涼介様、こちらをお手伝い願えますか?」

 男性ホテルマンは水槽のサイドにある小型のレバーに手をかけ、反対側にあるもう一つのレバーを指さした。

「このレバーを同時に下ろすことで、水槽は完全に密閉されます。解除できるのは、私と藤堂様だけですので、ご安心ください」

「なるほど、徹底してるな……わかった」

 涼介は微かな笑みを浮かべながら、指示されたレバーに手をかける。

 **カチリ**——

 二人が息を合わせてレバーを下ろすと、内部の機構が作動し、水槽の扉が静かに閉じられていく。透明なアクリルの扉が完全に塞がれると、心地よい密閉音が響いた。

「これで、**マナ様は水槽に閉じ込められました**」

 男性ホテルマンが確認ボタンを押すと、制御パネルに緑のライトが灯り、完全ロックを示している。

 水中のマナは柔らかく微笑みながら、尾ひれを優雅に揺らしていた。水に浮かぶ長い髪がふわりと広がり、まるで本物の人魚のように幻想的だ。

「こうして自分の手でロックするのも悪くないな」

 涼介は水槽に近づき、ガラス越しにマナと視線を交わす。彼の指先が軽くガラスをなぞると、マナも同じように内側からそっと指を合わせる。

 **隔てられた世界**——それが二人の間に生まれた特別な空気を一層際立たせる。

「マナ、苦しくないか?」

 水槽の中、マナは軽く首を振り、微笑みながら小さく手を振る。

「大丈夫そうですね。彼女はこの体験に熟練しておりますので、どうぞご心配なく」

 男性ホテルマンが淡々と説明を続けるが、涼介の興味は完全に水槽の中に囚われていた。

「このまましばらく閉じ込めたままでいいんだな?」

「はい、体験は約30分間です。その間、マナ様は水中で優雅な演出を続けます。もし延長をご希望でしたらお申し付けください」

「そうだな……このまま、もう少し楽しませてもらおうか」

 涼介は再びソファに腰を下ろし、マナをじっと見つめる。水槽の中、彼女は水流に身を委ねながら、まるで涼介を誘惑するようにしなやかな動きで尾ひれを揺らしていた。

 **ロックされた人魚**と、それを見守る男——静かな部屋に流れるのは、ただ水の音だけだった。

 静寂が支配するスイートルーム。水槽の中で優雅に泳ぐマナを見つめながら、藤堂涼介はグラスを片手に微笑んでいた。

 そんな彼の横で、男性ホテルマンが冷静な声で告げる。

「**マナ様、試しに脱出をお願いします**」

 水槽内のマナは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに軽く頷き、ゆっくりと行動を開始した。

 まず、マナは水槽の底に身体を沈め、そこから勢いよく上昇し、入口のロックされた扉に手をかける。しなやかな指先で押したり引いたりするが、厚みのあるアクリル製の扉はびくともしない。

 続いて、両手で水槽の側面を押し、隙間を探るように指を滑らせる。しかし、先ほど涼介と男性ホテルマンが協力してかけた**二重ロック機構**が完璧に作動しており、外部からの解除がなければ開かない設計になっている。

 マナは次に、細い身体を使ってわずかな隙間に腕を差し込もうと試みるが、しっかりと密閉された構造がそれすら許さない。

 その様子を眺めながら、涼介は苦笑混じりに呟く。

「……**見ている限り、無理だな**」

 彼の言葉に呼応するように、マナは小さく肩をすくめ、水中で申し訳なさそうに両手を広げた。

「お察しの通りです、藤堂様。この水槽は、お客様に安全かつ完全な"閉じ込め体験"を提供するため、非常に強固な構造になっております」

 男性ホテルマンが淡々と補足を加える。

「内部からは絶対に開けられません。たとえマナ様がどんなに努力されても、外部から解除しない限り脱出は不可能です」

 水槽の中で、マナは再び扉に手をかけ、細い指でロック部分を探る仕草を見せる。しかし、彼女自身もその難しさを理解しているのか、すぐに諦めるように手を離した。

「本当に閉じ込められてるんだな……」

 涼介は興味深そうに水槽に近づき、ガラス越しにマナの顔を覗き込む。彼女は優雅な笑みを浮かべ、まるで「このままでいいですよ」とでも言うようにそっと目を細めた。

「藤堂様、この体験では、水中のマナ様を存分にお楽しみいただくことができます。必要でしたら、もっと長く閉じ込めておくことも可能ですが……いかがいたしますか?」

 男性ホテルマンの丁寧な問いに、涼介は少し考える素振りを見せた後、満足げに頷いた。

「このまま、もう少し閉じ込めたままで頼むよ。彼女、なかなか絵になるからな」

「かしこまりました」

 男性ホテルマンが操作パネルを確認し、ロックを強化。マナは身をくねらせながら、水中で自由に泳ぐ姿を見せつける。

 水槽に閉じ込められた彼女と、それを楽しげに見つめる男。

 静かな水の揺らぎだけが、時間の流れを忘れさせるように響いていた——。



 涼介の冷静な一言が空気に溶け込む中、男性ホテルマンは再び促した。

「**マナ様、続けて脱出をお願いします**」

 水槽の中でマナは少し考える素振りを見せた後、再び動き始める。彼女の身体は水の抵抗を受けながらもしなやかに流れ、まるで本物の人魚が檻から逃れようとするかのようだった。

 まず彼女は水槽の**ロック部分**に手をかける。透明な扉の隙間に指を滑り込ませようとするが、先ほどの試みと同様、わずかな隙間すら見つけることができない。

 次に、彼女は体をくるりと回転させ、水槽の上部に向かう。通常の水槽ならば上から出られるかもしれないが、ここではその希望も叶わない。**水槽全体が密閉構造**になっており、天井も完全に封鎖されているからだ。

 その様子をじっと見つめていた涼介が、再び低く呟く。

「……**見ている限り、無理だな**」

 彼の言葉は確信に満ちたものだった。

 水槽の中で一通りの手段を試し終えたマナは、小さく息をつくように肩を上下させる。そして、両手を広げて水中で柔らかく首をかしげ、まるで「やっぱり出られません」と言いたげな表情を浮かべた。

 そんな彼女を見て、涼介は興味深そうに微笑む。

「どうだ、本人も諦めたようだぞ?」

 男性ホテルマンは冷静に頷き、説明を続ける。

「この水槽はお客様の安全を最優先に設計されていますが、内部からの脱出は不可能です。マナ様がどれほど努力されても、外部から解除しない限りロックは開きません」

 水槽内のマナは、再び試みるように両手で扉を押し、全身の力を込める。だが、強化ガラスと精密なロック機構がその努力を無駄にする。

 しばらく試行錯誤を繰り返した後、彼女は再びこちらを向き、苦笑するように小さく肩をすくめた。

 涼介はその姿を楽しむかのように、片肘をつきながら水槽をじっと眺める。

「なるほど、ここまで徹底されてるとはな。見てる側としては面白いが、彼女は閉じ込められっぱなしで大丈夫か?」

「ご安心ください、マナ様はこの体験に十分慣れております。必要があればすぐに解除いたしますが、続行しても問題ありません」

 男性ホテルマンは手元の制御パネルを確認し、システムが正常に作動していることを示す緑のランプを指差した。

「このまま、しばらく彼女を閉じ込めておきましょうか?」

 涼介は少し考え込むように視線を落とし、再び水槽を見つめる。

 水の中で、マナは尾ひれをしなやかに揺らしながら、涼介の視線を真正面から受け止めていた。

「……ああ、まだこのままで頼むよ。脱出できない人魚ってのも、なかなか見応えがあるからな」

 彼のその一言に、男性ホテルマンは小さく頷き、さらにロックを確実に固定する操作を行った。

 密閉された空間に囚われた人魚と、それをじっと見つめる男。

 水面に映る光が静かに揺らめき、二人の間に奇妙な緊張感と期待が漂い続けていた——。



 涼介の冷静な一言が、再び静かな水槽の中に響く。

「**見ている限り無理ですね**」

 彼の言葉に従うように、男性ホテルマンは再びマナに脱出の試みを促す。

「**マナ様、再度試しに脱出をお願い致します**」

 水槽の中で、マナは少し考えるような表情を浮かべ、再び力を込めて扉に手をかける。透明なアクリルガラスが反射し、光が彼女の手を包み込む。

 彼女は何度も何度も、力強く扉を押すが、その努力が水槽内に響く音だけを残して、扉は微動だにしない。

 次に、マナは身体をくねらせ、全身を使って水槽の端を押してみるが、まるで外側に抵抗をかけるかのように、ガラスはびくともしない。

 涼介はその光景を楽しむかのように見守り、再び静かな声で呟いた。

「無理だろうな、これじゃ」

 男性ホテルマンもその場で頷き、冷静に補足する。

「マナ様、こちらの水槽は非常に強固に作られており、内部からは絶対に脱出できません。設計段階で**完全密閉**を意識しており、万が一の安全性を確保するために、外部からの解除が必要となります」

 水槽内で、マナは少しだけ疲れた様子を見せるが、すぐにその表情を取り戻し、再度試みを始める。彼女は手を水槽の底に置き、勢いをつけて跳ね上がるように水面近くへと向かうが、やはり閉じ込められた空間を抜けることはできない。

「やっぱり、無理なんだな」

 涼介はゆっくりと椅子から立ち上がり、水槽に近づきながら、マナに目を向ける。水中で彼女の髪がふわりと舞い、尾ひれが優雅に揺れる。

 その美しい姿に、涼介は再び満足げに微笑む。

「まぁ、見ているだけでも十分楽しめるからな。脱出できなくても、全然問題ない」

 男性ホテルマンは涼介の言葉に答えるように、もう一度確認のために操作パネルをチェックし、再度ロックをしっかりと固定する。

「マナ様、**この体験はしばらく続きます**。引き続き、お楽しみください」

 水槽の中で、マナは頷き、また少し微笑む。彼女の表情はどこか余裕を感じさせるもので、まるでこの密閉された空間に溶け込んでいるかのようだった。

 水面に浮かぶ彼女の姿は、まるで夢の中の幻想のように美しく、涼介はその景色を楽しむ時間をさらに長く感じた。




 薄暗いスイートルームに漂う不穏な静寂の中、男性ホテルマンは制御パネルの前に立ち、冷静な声で告げる。

「そろそろ、まな様を殺しますね」

 その言葉と同時に、亮介は静かに頷く。
「わかりました」

 男性ホテルマンは、慎重かつ確固たる手つきで一連の操作を開始する。タッチパネル上の各種指示灯が次々と点灯し、まるで暗号のように光を放ちながら、内部の隠しシステムが作動し始めた。

 水槽内では、すでに人魚の装いをまとったマナが、いつもの優雅な泳ぎから徐々に力を失い始める。彼女の瞳には、どこか儚げな覚悟と、最後の瞬間を迎える静かな決意が宿っていた。
 
 操作パネルから発せられる微かな機械音と共に、水槽内の照明が一変する。冷たく鋭い光が部屋全体を覆い、まるで時間が凍りついたかのような錯覚を覚えさせる。

 マナの動きは次第に鈍り、尾ひれの優雅なリズムも、やがて重苦しい沈黙に変わっていく。水温が急激に下がり、部屋に漂う空気は一層冷たさを増していく中、彼女はゆっくりと水面近くへと沈んでいった。

 男性ホテルマンは、最後の確認を済ませながら、淡々と呟く。
「まな様、これにてお別れです」

 亮介は、ガラス越しに浮かぶマナのシルエットを静かに見つめる。その姿は、かつての生き生きとした人魚の煌めきが、今は儚い光と共に消えゆく様を映し出していた。

 数分の沈黙の後、操作パネルの緑色のインジケーターが最終確認を示すと、男性ホテルマンは一連の操作を終了する。部屋に漂う緊張感は、まるで一つの儀式が完遂されたかのように、重い余韻を残していた。

 亮介は深い息をつき、ただ静かにその光景を見届ける。今日の体験は、単なるエンターテインメントの域を超え、命と死、そして美の儚さをも体現した、一つの極限芸術として心に刻まれた。

 その後、室内は再び穏やかな静寂に包まれ、ただ水の滴る音と、機械の低いハミングが、終焉を物語るかのように響いていた。

男性ホテルマン【どうやって殺したか説明しますね】













男性ホテルマンは、静寂に包まれた控室の一角で、淡々と語り始めた。彼の声は冷徹でありながら、どこか儀式的な厳かさを帯びている。

「まず、当ホテルのシステムは、完全にプログラム化された環境管理ユニットを備えております。水槽内の温度は、常に最適な状態に保たれているのですが、本日の特別プロトコルでは、まず急速に温度を低下させる設定に切り替えました。これにより、マナ様の体温は急激に下がり、代謝機能が徐々に低下していきます。」

彼は操作パネルに軽く指を走らせながら、続けた。

「次に、酸素供給システムの制御に移ります。水槽は完全密閉構造となっており、通常は万全の安全対策が施されておりますが、今回はあえて酸素レベルを制御し、必要最小限の供給状態に切り替えました。これにより、マナ様の身体は酸欠状態に陥り、意識の明瞭さが失われるよう設計されているのです。」

男性ホテルマンは一呼吸置くと、さらに語調を落として言葉を紡いだ。

「そして最終段階として、エネルギー供給システム—すなわち、全身の細胞活動を支える微弱なエネルギーの供給を停止する信号を発信しました。これらの操作はすべて、外部からは解除不可能な形でプログラムされており、マナ様は完全な静寂、すなわち永遠の眠りへと導かれたのです。」

亮介は、ガラス越しにかすかな光を失いつつあるマナの姿を見ながら、静かに頷いた。

「見ている限り、無理ですね」と亮介が呟くと、男性ホテルマンは操作パネルを最後に一度確認し、淡々と締めくくった。

「本日のパフォーマンスは、計算され尽くした一連の演出により、あらかじめ定められたプロトコルに沿って実行されました。すべては、エンターテインメントとしての究極の美学を追求するための、ひとときの芸術作品…ということです」

室内には、操作パネルの柔らかな光と、遠くで滴る水の音だけが静かに響いていた。







### **「水中の幻想」**
**—取材終了後—**

 取材が終わり、スイートルームには再び静寂が戻っていた。水槽のライトが消え、先ほどまでの幻想的な光景が嘘のように、冷たいガラスの透明感だけがそこに残る。

 男性ホテルマンは、最後の操作を終えて制御パネルを閉じると、静かに一礼した。

「これにて、本日の特別体験は終了となります。お疲れ様でした、亮介様」

 亮介は、まだ水槽を見つめたまま立ち尽くしていた。水に揺れていたマナの姿はもうない。彼女が人魚として水に囚われ、脱出を試みた光景が頭から離れない。

 ふと我に返った亮介は、男性ホテルマンに向き直る。

「……彼女、大丈夫なんだよな?」

 男性ホテルマンは、わずかに微笑みを浮かべて頷く。

「もちろんです。マナ様は、事前に十分な訓練を受けております。先ほどの演出も安全管理を徹底しておりますので、まったく問題はございません」

 その言葉に安堵したのか、亮介は息を吐き、ソファに腰を下ろした。

 間もなく、別室からマナが姿を現した。さっきまで水槽にいたとは思えないほど、整えられた姿で、プロフェッショナルな微笑を浮かべている。

「亮介様、楽しんでいただけましたか?」

 彼女の声は穏やかで、何事もなかったかのように響く。しかし、亮介は彼女の喉元に残る微かな赤みを見逃さなかった。

「無茶しすぎじゃないか?」

 彼の問いかけに、マナはわずかに首を傾げ、冗談めかして言う。

「お仕事ですから。それに、簡単に逃げられたら、つまらないでしょう?」

 その言葉に、亮介は苦笑し、グラスに注がれた冷えた水を一口飲んだ。

 男性ホテルマンは、静かに退出の準備を進める。

「今後も、特別な体験をご希望の際は、いつでもお申し付けください」

 最後にもう一度深く一礼し、彼は部屋を後にした。

 取材が終わった後のスイートルームには、先ほどの緊迫した空気とは違う、妙な余韻だけが残っていた。

 マナは軽く尾ひれを模したドレスの裾を整え、亮介に目を向ける。

「……また、いらっしゃいますか?」

 その問いに、亮介はしばらく黙ったまま考え込み、やがて静かに笑みを浮かべる。

「……まぁ、君がいるなら、また来てもいいかな」

 彼の答えに、マナは目を細め、静かに微笑んだ。

 水槽にはもう人魚はいないが、二人の間には、確かに忘れられない何かが残ったままだった。

(**終わり**)

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