「あなた!!」ぼやける視界と頭に、何度も何度も私を呼ぶ声がした。何があったのかも、自分がどうなったのかももうわからない。
気がついたら病院のベッドに寝ていて、何があったのかも覚えていない。ぼーっとする頭で体を起こそうとすれば、布団が引っ張られて、りくがベッド際に伏せて寝ていることに気づいた。
お見舞いに来てくれたんだ。見える横顔にクマができているから、きっとずっと起きてくれていたんだろう。
…侑は、もう会ってくれないだろうな。私は何も出来なかった。助けることも、逃がすことも。何も。
私達はきっと出会うために生まれてきたんだ。そう信じていたのに、たった一つの出来事で簡単に離れてしまうなんて、苦しい。胸が、苦しくてたまらない。
「…侑」
会いたい。侑に会いたい。会って謝りたい。
シーツをめくって、ベッドからおりる。
少し大きなスリッパを引きずりながら、廊下を走っていると看護婦さんに止められそうになった。
それを振り切って外に出る。きっと、いる。学校の屋上に、侑がいる。そんな気がする。
「侑!」
屋上までくると扉が少し開いていたから、ほっとした。どこにも行っていなかった。やっぱり、いてくれた。
「…なんで来たん」
侑の低い声と、冷たい視線がこちらに向く。
出会った頃以来のそれに、心臓が締め付けられた。
「あ、つむ」
「もうお前来んな。興味無いわ」
「…ごめん」
「はあ?」
「助けて、って、言って、巻き込んで、私のせいで怪我させて、ごめん」
「…しょーもな」
「侑っ」
「もうお前はいらんわ」
腕をつかもうとした私をすり抜けて、行ってしまう。
あんなに近かった距離が、どんどん離れていく。なのに、追えない。待ってなんて、言えない。
いらん。そう、私はもう侑にとって、いらない存在。
ゆっくり私の中に入り込んできた言葉を、やっと理解した。絶望に世界から色が消えて、膝から崩れ落ちる。
苦しい、侑、苦しいよ。階段を降りる足音も消えた頃、涙が溢れて止まらなくなった。
ーー
あれから一週間がたった。学校にはまだ行かず、最近は忙しい母さんの帰らない家で一人、ぼーっと窓の外ばかり見つめていた。
「あーあ、あなたかわいそ。やせた?」
「!」
部屋の襖が開いたと思えば、治がいた。( そう言えば玄関の鍵すら閉めてなかったんだ )
治はベッドにのぼり私の背後まで来て、見下ろす。その表情は言葉に似合わず口角を吊り上げていて、何を考えているのかわからない。
「なに」
「傷心中の女の子おとしにきただけやから、気にせんで」
「…」
「ふうん。意外と物欲しそうな面しとるやん」
「…侑、」
「ええで。代わりにし」
座ったままの私を背中から抱きしめた。治、あんたそれ本気だったの、とか、最低でごめん、とか、言いたいことはいっぱいあるのに、侑のことしか頭に浮かばない。
行かないで、侑。私あなたといたいの。
だけどそんな資格もなければ、伝えることも許されない。
「私、」
「ん?」
「私あの時、帰りたいって、思っちゃったの」
「帰りたい?」
「私は侑のいる世界に憧れていた。キラキラしていて、綺麗だった」
「せやから一緒におったん?」
「最初はね。今は言葉で表せないほど大切な存在」
「そら気の毒やなあ」
「…」
「侑はもう戻らん。また昔に逆戻りや。家にも帰ってへんわ」
首筋に何度もキスを落としながら、そう話す治の声を聞く。
その声だって、触れ方だって、全部全部違うのに、重ねてしまう。欲してしまう。
「名前呼んで」
「あつ、」
「ちゃう」
「…治」
「あなた」
何で、そんなに愛しそうに呼ぶの。そんな声聞いたことなかったのに、なんで。
抱きしめられた腕に力が入って、締め付けられる。だけど痛くも苦しくもない。
痛くて苦しいのは、もっともっと奥の方の心だ。
会いたい、侑に会いたい。その声で、私の名前を呼んでほしい。その手で、私に触れてほしい。その瞳で、私を捉えて離さないで。侑、会いたい。
「侑…っ」
「ほんま、難儀な女」
(( あの星はもう見えない ))
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!