「ゆーきっ!
早く起きろぉーっ!!」
昨日も遅刻しそうになったってのに、学習しないヤツ!
今日も悠貴の家の玄関で大声を張り上げる。
「もぉ、毎日来てもらっちゃって…ごめんねぇあなたちゃん。」
「いいえぇ〜っ!
もう慣れちゃったから!」
なっちゃん、今日は珍しく家にいるんだ〜。
なっちゃんというのは悠貴のお母さん。
私のお母さんが“なっちゃん”って呼ぶから私もそうなっちゃった。
なっちゃんは海外向けの仕事をしていて、世界を飛び回ってるから普段は家にいない。
だから私がいつも起こしに行ってるんどけど…。
「なっちゃん昨日帰ってきたの?」
「そうね、夜中に。
でもまた明日には今度はアメリカに行かなきゃいけないのよ。」
「うわぁ、大変だねぇっ…。」
オーストラリアの次はアメリカかぁ…。
そんな話をしていると悠貴がドタドタッと階段を駆け下りてきた。
「やっべぇ、遅れるっ!」
「だからお母さん今日6時に起こしたでしょーがっ!」
「早すぎんだよそれじゃ!
いってきまーすっ」
悠貴はそう言って玄関を出ていく。
「行ってきますっ」
ビシッと敬礼してなっちゃんに言う。
「ごめんねぇ、悠貴のことよろしくねぇ。
行ってらっしゃい。」
悠貴のことよろしく、かぁ。
とりあえず、私も悠貴の家を出る。
「ほらっ!早くしろっ!
行くぞーっ!」
「だから、昨日も言ったけど誰のせいだと思ってんのよ!」
そして、家の前の道路を横切っているグレーチングに前輪を合わせる。
そこが私たちのスタートライン。
「まぁまぁ、気にすんなっ!
んじゃ行くぞー、よーいっ…ドンっ、あ、お前っ!!」
悠貴の掛け声に合わせ、勢いよくペダルをこぐ。
いつも負けてるから“ド”の時点で出発してやった。
後ろを振り返ってみると、私のその予期しない行動に驚いたのか、悠貴はスタートラインで止まったまま。
ふふっ。
今日は勝てる!
「おいっあなたっ!!
ずりーぞっ、戻ってこい!」
後ろから声がするけど私は無視して足を止めない。
むしろもっと速く漕ぐ。
でもやっぱりさすがサッカー部なだけある、学校につく前に追い越されてしまった。
駐輪場に着くとヘラヘラ笑っている悠貴が待っていた。
「ふっ、ずるしたクセに負けるとか…」
その顔といい言葉といい超ムカつく!
“ムカつく”という言葉以外出てこない。
私は黙って自転車を置き、その場から立ち去る。
一人で昇降口に向かって歩いていく。
「おーいあなた、拗ねんなよーっ」
あーもうっ、ムカつくムカつくムカつくムカつくっ!!
「おーいっ」
悠貴の声が追いかけてくるけど、そんなの無視。
あんなにムカついてるのに、翌日も、その次の日も一ヶ月たっても私は悠貴の玄関で大声を出して悠貴を起こし、二人で自転車レースをするという日常を繰り返していた。
6月に入って文化祭の準備が始まる。
そんなある日、朝起きると悠貴からLINEがきていた。
『わり、風邪ひいたから学校休むわ。』
あぁ、昨日サッカー部雨だったのに外でやってたもんね…。
大会が来週の土曜日?
だから少しの雨なら外でやってる。
『分かった、お大事に👍』
そう送信して家を出る。
一人でこぐ自転車。
何も喋らない通学路。
なにか心の中に少し空白ができたみたいに感じられた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!