「トゥル様、起床のお時間でございます。」
執事であるゼルの声だ。
まだ眠かったが、
ゼルを怒らせるほど馬鹿ではない。
返事をして、すぐに着替える。
ゼルが去る音がした。
トゥル。
アプサラ王国の第一王子だ。
さっき起こしに来たのはゼル。
王家の執事をやっている。怒らせたら怖い。
トゥルは目が悪い。
今いる寝室のドアがぼやける程度には、悪い。
周りの人が見えるものを、見えない。
それがトゥルのコンプレックスだった。
寝室を出て、廊下を渡り、居間に向かう。
居間に着くと、
いつもより(いつもそうではあるが)
きっちりした服を着たゼルが立っていた。
ゼルは、一瞬眉をぴくりとさせ、言った。
「トゥル様、本日は軍事パレードがございます。」
そうだ、うっかりしていた。
いや、忘れようとしていたのかもしれない。
目が悪いトゥルにとって、
下の方でゾロゾロと見えないなにかが
流れていく軍事パレードは、
苦痛以外の何物でもなかった。
「懸命なご判断でございます。」
トゥルは急いで寝室へ戻ると、
祭典用の服装に着替え、正面バルコニーに出た。
もう既に父上と母上、そしていつの間にか
先ほどまで居間にいたゼルもバルコニーにいた。
「なんだ、遅かったじゃないか。」
父上がやや機嫌が悪そうな調子で言う。
「申し訳ありません。スケジュールをお伝えしそびれていました。」
ゼルが庇ってくれる。
本当は、三日ほど前に言われていたのを、
トゥルはぼんやり思い出す。
ピーーーーーーーッ!
笛がけたたましく鳴り響く。
パレード開始の合図だ。
父上、母上はにこやかに群衆に手を振る。
トゥルも手を振る。にこやかではないが。
口に出てしまっていたのか、ゼルがこちらを向く。
「…」
無言で見つめてくる。…危ない。
もう少しで雷が落ちるサインだ。
気を取り直して、手を振りながら下を向く。
相変わらず、色のついた長方形がただ流れていく。
月に一回とはいえ、退屈だ。
トゥルは即位したらパレードは年に1回にすることに決めている。
父上「なんだ?」
トゥルも目を凝らす。
どうやらパレードが止まってしまっているようだが、目の悪いトゥルにはよくわからない。
こういうところが、トゥルが目の悪さをコンプレックスとする理由の一つだ。会話についていけない。
父上「なんだあの小娘は」
どうやら、パレードの進行を妨げた小娘がいるらしい。
国の重要行事である軍事パレードを妨げるのは、
かなりの大罪だ。
やってしまったな、とトゥルはぼんやりと考えた。
父上「後であの小娘を連れてこい。」
珍しい、とトゥルは思った。
いつもならその場で叩き切るよう命じるくらいの罪だ。
どうしたのだろうか、いや、どうでもいいか。
今のトゥルにあるのは、
という願望だけ…!?
頭に痛烈な痛み。
ゼルが殺気を放っている。
これは後で面倒なことになりそうだ。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!