前の話
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快晴の早朝、絶好の小春日和の通学路。
夢路小鈴は、いつも通りに学校に向かっていたところに、軽快な音がバッグの中に響く。
ふんわりとしたこげ茶色の一房をリボンで飾っている。規定の制服にパステルピンクの薄いカーディガンを来てまだ寒さの残る春を迎えていた。
バッグの中から取り出した携帯電話には、1通のメッセージが届いていた。相手は彼女と5歳の時からのお隣さんである朔原ヴァレンだった。
丁寧に書かれたメッセージに了承の意を返してまたバッグにしまう。
ヴァレンは時々学校を休むことがあったが、小鈴が聞いても誤魔化されてしまうので明確には理由が分からない。
────ちょっと寂しくなっちゃうな。
学校までの坂道を歩いていると、スラりとした長身の少女が小鈴に手を振った。それに小鈴は駆け寄る。
すーちゃんと呼ばれた彼女は、じっと小鈴を見つめる。
綺麗な黒髪を短く切り揃えていて、制服も少し着崩している。モデル体型とはこんな感じを言うのかなと小鈴は少女─冴川素直を見つめ返してみた。
背の低い小鈴からしたら、素直と話す時には首を上げなければならない。
他愛のない会話を楽しみながら、まだまだ続く坂を上がっていった。
校門を過ぎて、靴箱を開けるとソレはあった。
小鈴のシューズの上に白い封筒が、ひとつ。差出人は小鈴の知らない名前だった。
いつの間にか手の中を覗いていた素直が、それについて考えるような仕草をする。
コツンと頭に軽いグータッチを受けながら、そういう人もいるんだなぁと小鈴はひとり感心していた。
このまま玄関では邪魔になると、教室で封を切る。
『君の優しい横顔が気になっていました。
明日の17時に屋上で待っています。』
知らない人ではあったが、呼ばれたなら行かなければ失礼だろうと行くことを決意した。答えはまだ決まってなかったけど。
小鈴は、えへへと笑って誤魔化す。まだ恋とか愛とかは分からない。付き合うとか、ケッコンとかも。
それからは何事も無く過ぎていく。手紙の事は少し気にはしていたが、なるべく気にしないようにした。
しかし、やはり心の何処かでは引っかかっていたのか、体育の授業中に転び擦りむいてしまった。
昼休み、教室で弁当を囲みながら素直が口を開いた。突然の質問に小鈴は少し考えてしまう。
レンくんは…
笑顔の小鈴に素直は呆れてため息をついた。
放課後、小鈴はヴァレンに授業のノートを届けるために自分の家の隣の家のドアの前にいた。
寝てないかな、大丈夫かな…。
少しドキドキしながら玄関のベルを鳴らす。暫くするとドアが開いた。
日本人離れした鈍く輝く銀髪と真紅の目が特徴的な少年が出てきた。
いつもよりラフな格好だが、いつも通りのヴァレンに小鈴は少しだけ安心する。
ヴァレンの部屋は2階の一番右にあるということをよく知っていた。その向かいの部屋は小鈴の部屋で、よくヴァレンの姿を見るからだ。
彼の部屋に通され、座布団代わりのクッションに座る。
ジュースがテーブルに置かれる。そこでヴァレンは何かに気づいたように口を開いた。
呟きと共に、彼の顔が膝の怪我に近づく。そして、彼の唇が傷口と触れ小さなリップ音が、2人だけの部屋に響いた。
その瞬間、小鈴の手がヴァレンの額に当たり、無理矢理引き剥がす。
その音と反射的に手と口が動いてしまう。
ヴァレンは、小鈴の注意にしょんぼりとする。それが子犬のように微笑ましく見えて、小鈴は少年の髪の毛を撫でた。
それからは、特に何も無いいつもの時間が過ぎ解散となった。
夜の10時をまわった頃、小鈴は自分の部屋で今日の事を思い出していた。
ラブレターを貰ったこと、明日行かなければいけないこと、そしてあの時ヴァレンが何がしたかったのか。
あの時を考えば考える程鼓動が速く、彼の唇が触れた傷口がとても熱く、感じた。
布団に潜り、瞼を閉じると、暗闇の中にぼやけた銀色の灯が見えた気がした。
翌朝、身支度も済ませ学校へと向かう。
小鈴を呼ぶ大きな声に振り向くと、制服姿のヴァレンが走って自分に向かってきていた。
ニコニコと笑みを浮かべながらこちらに向かってくる彼に、今日は学校に来れて嬉しいんだろう、と勝手に思った。
ふたりともすっかりと昨日のことは気にしない様子で、他愛のない関わりを続けながら、今日こそ何事も無く過ごした。
放課後、教室で小鈴はヴァレンとふたりきりで17時を待っていた。一緒に帰ろうと誘われたので、事情は話さずにただ待ってもらっている。
なんだか尋常ではないほどに冷静で、この後待ち受ける告白も他人事のようだ。
備え付けの時計を見るともうすぐで約束の時間だった。
小鈴は無意識にヴァレンの顔を見ないようにして、教室を出ていこうとした。しかし、何かが小鈴を包み込む。
ヴァレンは小鈴を引き止めるように、抱きしめる腕に力を込めていく。
そして、親を探す迷子みたいな声で、
先輩のこと、知ってたんだ。きっと、すーちゃんが言ったんだな。と過保護な幼なじみに小鈴は静かに笑みを溢す。
その言葉が、鍵になったのかヴァレンの腕の力が抜けたので、腕を離す。
大切な幼なじみを背中に屋上へと、歩き出した
小鈴が屋上のドアを開けると、小鈴には見覚えのない少年が立っていた。
人気があるという先輩は、頬を緊張で赤らめながら、口を開く。
小鈴は冷静に少年の出した手を見つめた。そして、貰ったラブレターの内容を思い出す。
─優しい横顔が気になっていました。
本当にそれだけだったのかもしれない。しかし、それ以上に彼を好いてくれる女の子は沢山いるだろう。
小鈴は、用意してたセリフを言い捨て、少年の言葉を聞かずに屋上を後にした。
小鈴が教室に戻ると、机に突っ伏しているヴァレンがいた。ふてくされてるのかな、と思えてしまう。
小鈴はその前に立つ。
ヴァレンは一気に明るい顔になる。
ふたりは一緒の帰路につく。校舎からは軽音部の素直の歌声が微かながらに響いている。夕焼けが、歌声に合わせて更に紅くなった。
時計は夜の9時を指していた。小鈴は、今日の事を考えていた。やはり先輩が自分を好きになった理由が分からない。
本を拾ってくれた、と言ったが他の人も手を貸したはずだ。
………。
考えて疲れを感じてきた小鈴は、少し風に当たるためカーテンを開けると、向かいにいたヴァレンと目が合う。
急いで窓を開け、声をかける。
ヴァレンからの不意の質問に少し戸惑いながらゆっくりと、答える。
強めの風が、ヴァレンの声と言葉を奪い去っていく。
ヴァレンは、月光とともに微笑んで。
すぐに、小鈴はベッドに潜り込んだ。
今夜はいい夢が見られそうだ。きっと、小さな丸いお砂糖のような夢なんだろう。
おやすみなさい、私の大切な人。
また明日、一緒に笑いましょう。