和室の部屋に通されて座敷に座った途端にそう切り出される。
瑞月の目はいつも高校で見るよりどこか鋭さを増していて、何となく背筋が伸びる気持ちになる。
どこから話したものかとぐるぐる考える晴人を見かねて、ろくろ首が瑞月にそう言う。
おそらくろくろ首に気を遣われる経験をする人はこの世に片手で数えるほどしかいない。
刺々しい猫又の言い分に眉を下げると、きっとこちらを鋭く睨みつけ唸った。
瑞月から窘められるとすぐに引き下がる猫又の様子に、瑞月への怪異からの崇拝とも言うべき慕われ方を実感する。
よく分からないが、とにかく瑞月はこの怪異たちから異様に好かれているものらしい。
その証拠に、引き下がった今も猫又は敵意剥き出しの目で無言で睨んでくる。
猫又と晴人の微妙な雰囲気に、また怪異一行に気を遣われてしまう。どうやら晴人を強く敵視しているのはこの場で猫又だけらしい。猫又の崇拝ぶりにある意味感心してしまう。
と、そこで襖が控えめにノックされた。
そのまま静かに扉が開かれ、襖の正面には黒髪ぱっつんの、着物を来た少女が正座していた。
気品ある優雅な振る舞いのまま一礼しそのまま顔を上げた少女と目があった。
これまた丁寧な様子で頭を下げた少女に慌てて礼を返す。
どうやら普通の女子中学生にしか見えないこの少女も怪異らしい。
【座敷童子】
座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。
座敷童子の丁寧な報告と提案に、少し考えてから瑞月は静かに横に首を振った。
猫又然り、話に出てきた狛犬とやら然り。
よく分からないが、晴人らどうにも激しい敵意を向けられる運命らしい。
心底申し訳なさそうに眉を下げる座敷童子。見たところ、座敷童子はこの場でも随一の瑞月の腹心の部下らしい。
瑞月の隣を我が物顔で独占していた猫又も、若干の心残りを表情にあらわしながらも素直に座敷童子に席を譲り下がった。
話を聞く限りは、狛犬とやらもどうやら瑞月の腹心らしい。何となくこの場の怪異の間の力関係というか上下関係が分かってきた。
座敷童子は心配そうな顔で、瑞月に渡したものと同じようなお茶の湯呑を晴人の前に静かに置いた。机に置かれたそれを有り難く飲ませてもらって一息つく。
温かいが熱すぎない絶妙な温度と、不思議とほっと安心する風味に、だんだん考えが纏まってくる。
正直、ここに来てから色々ありすぎて、この話を瑞月にすべきか迷っていた。ここはあまりに異界過ぎる。ここに足を踏み入れることで、今まで見てきた世界のかたちが変貌していくことに恐れがないと言えば嘘になる。
…でも、この異質な存在達に慕われる瑞月になら、話してもいいかもしれない。
緊張した面持ちで晴人がお茶を飲むのを見守っていた座敷童子は晴人の言葉を聞いて安堵した様子で頬を緩めた。
はにかむ座敷童子に思わず笑みを返して、それから瑞月に向き直った。
晴人はしばし目を閉じて、また開いた。
晴人の、奇妙で不可思議な回想は、白砂町に引っ越してきた次の日まで遡る。
ほんの少しだけ肌寒い日だった。
白砂町に着いて翌日、晴人は、早速早朝から仕事に向かった母の代わりに、前日にやり切れなかった荷ほどきの残りをしていた。
晴人は割と力があるタイプだったし、残りも大して多くは無かったからすぐに荷ほどきは終わってしまった。
高校に行くのはもう数日先、勉強をする気分でもなかったから暇を持て余し、ついにスマホでの暇潰しも限界を迎えた。
暇潰しに少しだけ町を出歩くことにした晴人は家を出て、何となく、気の向くままに足を動かしたのだった。
歩いて数分経つと、少しの違和感が晴人の心をざわつかせた。
誰かに見られている。
そんな筈はない、事実、振り返っても誰もいない。振り返ってもあるのはのどかな田園と歴史ありげな古い住居と平坦な道路だ。
怪訝な気持ちと若干の不気味さに晴人は足を早め、人通りの多い通りに出て、少しの間歩いて、賑やかな南地区に入ったが、それでも不気味に、視線が纏わりつく。どれだけ周りを探しても何も異変は見当たらない。
尾行されているだとかも考えて複雑な道を通っても視線が外れる様子はなかった。
奇妙な感覚に思わず家へと急いで帰ったが、結局視線のような何かは何をしていてもどこにいてもずっと纏わりついていた。
高校に行き始めてもそれは変わらなかった。授業中も、下校中も、誰といても視線を感じる。
見られているような感じがする、というだけで特に実害は無いが、不気味であることに変わりはない。
だから晴人はこうして、万城神社の元へ──瑞月の元へと足を運ぶことにしたのであった。
瑞月はそう言ってから、考え込むように手を顎に当てる。思案する瞳は深い叡智を感じさせて、吸い込まれそうな美しさだった。
けっという顔で吐き捨てる猫又をさりげなく嗜めつつ晴人のフォローもしてくれる座敷童子。人間ではないが、ここではかなりの常識人だった。
ほっとする晴人と苦々しい顔つきの猫又をよそに、瑞月は小さく首を傾げる。
早々に白旗をあげられた。
がっくりと肩を落とす晴人を気にする様子もなく瑞月は湯呑のお茶を飲みながら話す。
平然と頷く瑞月に脱力する。何だこいつ。
瑞月は至って真面目な顔で平然ととぼけたことを言うから本気なのかネタなのかが分からず困惑する。
予想外の単語に思わず数回瞬きをする。
魂の重さという随分スピリチュアルな話に、正直脳があまりついていかない。
若干の疑いを込めて聞くと瑞月は微かに微笑んだ。面白がられているというか、なんというか。
純粋な好奇心で聞くと、瑞月は珍しく困ったような顔をして眉をひそめた。
やっぱり、霊的な何かを伝えるのは瑞月でも難しいらしい。だいぶ困った顔をしている瑞月には悪いことをした。
何気なく答える瑞月の言葉にほんの少しだけはっとする。そうだ、幽霊でも怪異でも、存在するのだから魂がある。実体はなくても、21グラムはこの世に存在するということが、どうにも晴人を不思議な気持ちにさせた。
小さく呟いた瑞月の言葉が聞こえず、首を傾げてもう一度言ってもらおうと口を開くが瑞月はまるでそれを遮るように言葉を続ける。
またもやがっくりと肩を落とす晴人を怪異たちが憐れみの目で見守ってくる。
デリケートなお金の問題を恐る恐る口にするが、瑞月は首を振る。
ふと思い出したのは、瑞月が町の人々から食料やらを貰っていることと、瑞月以外の人間がこの家にいる気配がしないことだった。
力強く頷いた晴人に、瑞月はそれなら良かった、と微笑んだ。
ぽかんと口が開いた。
困惑しつつ言うと瑞月は至って真剣な顔のまま答えてくれる。
正論が返ってきた。納得せざるを得ない。
踏ん切りをつけて頷いたところで、何かがぞわりとうなじをざわつかせた。
霊感のなかった晴人にすら何かを感じさせる、それほどの圧。
いつも表情をほとんど変えない瑞月でさえもまずいというように眉をひそめて、気配の主を迎えた。
【狛犬】
拝殿の前や参道の要所に左右「一対」となって設置されている像。
邪気を祓い、神前を守護する意味を持っている。その姿は犬というより立派なタテガミを生やした獅子のようだが、正確には狛犬は架空の動物、霊獣とされている。
犬か獅子のような耳に凛々しい顔立ち。
氷のごとき冷たい視線に思わず身を引く。
和装を翻し、空虚から瑞月の隣へ現れた獣耳の少年──狛犬は、凄まじい眼光のまま晴人を見下ろした。
冗談とかではない本気の目で狛犬は言う。
突如として始まりかけた共同生活は、なかなかに波乱な展開になりそうだった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。