第3話

友達
73
2017/10/13 17:19
 結局その日は、途中で雨が小降りになったので、夕方には山を下りることができた。
 なんとなく自分の中に芽生えた気持ちに蓋をしたくて、悠奈はその日から爽太を避けている。
 もうすぐいなくなるかもしれない爽太を前にして、自分が今までの自分のままでいられるかが怖かった。
 だから、できれば顔を合わせたくない……
 モヤモヤした気持ちを抱えた悠奈は、爽太の家の隣で過ごすのさえ気が重くなって、塾の自習室に籠ることが多くなっていた。
 そんな、ある日のことである。

「おはよー、悠奈ー」

 昼食でも買いに行こうかと塾を出たとき、聞き慣れたハリのある声が悠奈の背後から飛んできた。
「あ、彩佳!」
 驚いて振り向くと、そこにはポニーテールの快活そうな少女が立っていた。悠奈の親友、橋口彩佳である。
「おはよう……って、もうお昼だよ?」
 悠奈が呆れてツッコむと、「だってさっき起きたばっかりなんだもん」と彩佳は眠そうにあくびをした。
「なんか部活引退すると締まらなくってさー」
 そんなことをぼやきながら、彩佳は肩を回す。彩佳は、悠奈と中学校三年間同じ部活で切磋琢磨してきた戦友でもあるのだ。
「そういえば、悠奈お昼食べた?」
「まだだよ。今からちょうど買いに行くとこ」
 そう言って悠奈がパン屋の方角を指さすと、彩佳は喜んで指をパチンと鳴らした。
「よっしゃ! じゃあ今から一緒に食べよ! 起きてからまだなんにもお腹に入れてないんだよねー」
 彩佳は、さっきまでの眠気が吹き飛んだかのように軽快に歩き出す。
「そうそう、なんか、新作が出たらしいよ。しかも夏限定!」
 くるりと振り向くと、彩佳はつり目がちな目を細めてニッと笑った。
「なにそれ、初耳!」
「あそこのパン屋とはちょっとパイプがあってね」
 悠奈が思わず目を見開くと、彩佳は得意げにニヤリとした。
 そしてそのまま、新作・限定という言葉に弱い年頃の女子二人は、競うようにパン屋へと駆けていった。



 意気揚々と新作の菓子パンを購入した二人は、海辺の堤防に座ってのんびりしながら昼食をとっていた。
「でね、あのとき実はね……」
 話題は先日の大会についてだ。二人とも部活には熱心に打ち込んでいただけあって、話題が尽きることはない。
「高校に入っても、やっぱり続けたいなー」
 ふと彩佳が漏らした小さな呟きは、悠奈の心に強く引っ掛かった。
「高校、か……」
 爽太のことが頭をよぎる。
 高校生になったら、もう爽太は遠くへ行ってしまっているのだろう。
 自分ではどうしようもない感情が浮かんできては、それを抑えつける。そんなことを最近ずっと繰り返している。
 陰った悠奈の表情に気づいた彩佳は、心配そうに悠奈の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? 悠奈?」
 我に返った悠奈は慌てて首を振った。
「大丈夫、大丈夫! ちょっと受験が心配だなーと思って」
 笑って答えると、彩佳は「だよねー」と言って眉間にしわを寄せた。
「ほんっと、このまんまで受かるのかねー、私は」
 はあー、とため息をつく彩佳は、そういいながらも絶対受かるのだろうと悠奈は思っていた。
 彩佳はこう見えても、うちの学校のツートップの一人だ。狙う高校も、県内のトップ校である。
「大丈夫だよ、彩佳なら」
 彩佳の肩をぽんっと叩くと、「ゆうなぁ~」と言って彩佳が抱きついてきた。
 みんな、高校生になることへの不安を抱えている。そこには希望もあるが、この小さな町の狭い世界で育ってきた私たちの進む先は、計り知れないほどの大きな世界だ。そこでは何が起きるかわからない。
 みんな、それぞれ進む先があるんだよね……
 自分を納得させるように、目を閉じて、悠奈は心の中で呟いた。
 心を落ち着かせるように、胸のあたりがスッと冷えていく。それはだんだん広がってきて……
 あれ?
「あ―――!」
 目を開いた悠奈と、彩佳が叫んだのはほぼ同時だった。
 悠奈の胸元に、手に持っていたオレンジジュースがこぼれている。彩佳が抱きついた反動でペットボトルから溢れたようだ。
「ごめん、ゆうなぁ~」
 申し訳なさそうな彩佳がポケットティッシュを慌てて引っ張り出している。
「いいよ、いいよ。大したことないから」
 なだめるように彩佳に声を掛けていると、ふと笑いがこみ上げてきた。
 青春は、何が起こるかわからない。
 こんな小さなハプニングだって、たまらなく楽しい。
 今はこの時間を楽しもう。
 おかしそうにクスクス笑っている悠奈を見て、彩佳もつられて笑いだす。
 ついには二人一緒に大爆笑してしまった。
 堤防沿いの道路を走るトラックのおじいさんが不思議そうに二人を見て通り過ぎる。
 楽しいなぁ。
 悠奈はやっと、お腹の底から笑えた気がした。

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