「ん…」
目が覚めると、薄暗い闇の中にいた。
「え…ここどこ…」
ムクリと体を起こすとまだ寝ぼけた頭で必死に考えた。
しかし、それでも何も浮かばない。ただ静かに時間が過ぎるだけだ。
「何で…?私、何かしたっけ…?」
闇の中で一人きり、しかもそれまでの記憶もない。
私は膝を抱えて蹲った。
「もうヤダ…家に、帰りたい…」
そう、呟いた時だった。
「ぅ、ん…?莉央…?」
小さい声が聞こえてきた。
この声は、私の彼氏の春輝だ。
「春輝?春輝なのっ?!」
必死に声の主を探そうとして慌てて立ち上がると、何かに躓いて転んでしまった。
「痛っ」
暗いし突然だったので何もできずに倒れてしまい、少し足を捻ってしまった。
「ちょっ、莉央?大丈夫?!」
「う、うん…大丈夫だよ。少し転んじゃっただけだから」
ほんとは痛かったけど、嘘をついてしまった。
「よかった…ちょっと待ってろ、今そっち行くから」
安心したような春輝の声。後ろから足音が聞こえて、気がつくと手を握られていた。
「あんま慌てんなよ、暗いしどこに何がいるか分かんないんだから」
「うん…っ。でも、春輝がいてくれて本当によかった…!」
そう言って春輝に抱きつく。
これは本当だ。春輝がいてくれなかったら、今もまだ一人で蹲っていたはずだ。
「ああ…。なぁ莉央、もしかして香水変えた?」
「え?うん、まぁ…」
急にどうしたのか。確かに香水は変えたけど、何か関係があるのだろうか。
さり気なく体も離されてしまい、不安になった私は唯一繋いでいる手をぎゅっと握りしめた。
「ねぇ、春輝はどうしてここにいたの?私、何も覚えてなくて…」
「俺も莉央と同じだよ。気がついたらここにいたんだ」
「そっか…」
そのまま、話すこともなく気まずい沈黙が流れる。
私は繋いでいない方の手でつい先程捻ってしまった足首に触れた。
そこでふと、思った。
私、一体何に躓いたの?
転んだ方を振り返る。ずっと暗い中にいたから少しずつ目が慣れてきたのか、うっすらと〝何か〟が見えた。
少しして、それがハッキリ見えてくると、私は目を見張った。
「ひいっ…」
そこには人がいた。長い黒髪を床に広げて先程の私達と同じように倒れている。
血塗れで、その艶やかな長い黒髪から辛うじて女だということが分かった。
ただ一つ違うのは、その人が大量に血を流していたことだ。
「どうしたんだよ、莉央?」
覗き込んできた春輝に言葉を返すこともできず、無言でそれを指さす。
春輝が息を呑むのが分かった。
私の体は既に激しく震えていて、縋る想いで春輝の服を握る。
「…逃げよう、莉央。ここは危険だ」
「で、も。だって……ひ、人が、死ん…で…」
「それでも今は逃げないと、もしかしたら俺らだってこうなるかもしれない」
春輝が静かに言う。それが正論で、そうしなきゃいけないのは私も分かっていた。
でも、私には春輝のその冷静さが理解できなかったのだ。
「この状況で、どうしてそんなことが言えるのっ?!だって、人が、死んでるのに…何でそんなに冷静でいられるの?!」
「……」
春輝は何も言わない。私は見捨てられることすら覚悟していた。
「…そりゃ、俺だって怖いよ。でも怖がっててもどうにもならないじゃないか。本当は今すぐ叫んで逃げ出したいよ」
「…少し、頭冷えた。ごめんね…そりゃあ春輝だって怖いよね。急にこんな…こんなの…」
もう一度、先程見つけた女を見る。
おびただしい量の血をみるに、もう生きているとは到底思えなかった。
「…行こう」
春輝はそっと私の顔を自分の方に向けて、脇を掴んで立たせた。
「歩ける?」
「ちょっと足痛い…」
すると春輝は、少し間を置いて「肩貸すよ」と言ってくれた。
ああ、こんな時でも春輝は優しい。
私達はそのまま、とにかく明かりのある方へと歩き続けた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!