第4話

day 3
78
2017/12/02 11:42
ひたすら泣いて叫んで、ようやく落ち着いてきた。
雨はまだ降り続けている。
乃愛流は全身びしょ濡れになっていた。
自宅に帰ろうと立ち上がった時。

「望月乃愛流。」

名前を呼ばれた。
低い、男性の声。
乃愛流が声のした方を見ると、背中に黒い翼をもつ男が立っていた。
中世ヨーロッパを思わせるような服装に、整った顔立ち、銀色にきらめく髪、禍々しい真紅の瞳。
人の姿をしているが、人ではない何か。

「…誰?」

「悪魔、ルシフェルだ。望月乃愛流、俺と契約を交わせ。」

「…なんの?」

「お前の魂を俺に捧げるというものだ。」

「…いいよ。」

少しの間はあったものの、迷いのない応えにルシフェルは意表をつかれたようだった。

「そんな簡単に答えていいのか?」

乃愛流はうつろな笑みを浮かべた。

「いいの。もう、どうでもいい。」

「…お前がいいと言うなら、俺は構まわないが。」

ルシフェルは乃愛流のそばまで来て、彼女の左手を取る。

「契約は、俺がお前の血を飲めば成立だ。」

ルシフェルの左手人差し指の爪が鋭く伸びた。
その爪で乃愛流の掌を切る。
ルシフェルは乃愛流の掌に口を近づけて、傷口からこぼれてくる血を啜った。

「…契約成立だ。」

口の端についた血を指で拭いながらそう告げたのだが、乃愛流はうんともすんとも言わない。

「…おい。」

ルシフェルは乃愛流の顔を覗き込む。
眼はうつろで、すでに魂を抜かれたような顔をしていた。

「…まだ、死んでもらうわけにはいかない。」

ルシフェルはため息をつきながら乃愛流を抱え、黒い翼をはためかせて雨が降り続く空へ飛び立った。
降り立った場所は乃愛流が住んでいるマンションの部屋の前だった。
ルシフェルが扉の取っ手を引くと簡単に開いた。

「不用心だな。鍵はしっかりかけろ。」

ルシフェルは部屋の中にずかずかとあがりこむ。
勝手知ったるように脱衣所へ入り、乃愛流の着ているものを全て脱がせると、浴室へ放り込んだ。

「雨に濡れて冷え切っているからな。ちゃんとあったまってから出てこい。」

ルシフェルはそれだけ言うと浴室の扉を勢いよく閉め、脱衣所を出ていった。
(…脱がされた。全部見られた、悪魔なんかに。)

乃愛流はあたたかいシャワーを浴びて思考力が戻ってくると、今までのことを思い返して急に恥ずかしくなり、うなだれた。
それと同時に感覚も戻ってきて、胃に激痛を感じる。

「痛ッ…。」

乃愛流はシャワーを止めて浴室から出る。
痛みをこらえながらどうにか体を拭き、パジャマ代わりのジャージを着た。
胃のあたりを押さえながらリビングのドアを開ける。
中には、ルシフェルがソファーを背もたれにしながら、床に座ってテレビを見ていた。
ルシフェルがリビングに入ってきた乃愛流に気づいて、声をかける。

「おい、大丈夫か。」

乃愛流は何も言わずにふるふると首を横に振って、頼りない足つきでソファーに座ろうとしたが、痛みに耐えられなかったのか、その場にくずれおちる。
ルシフェルは乃愛流を慌てて抱きとめた。
乃愛流の様子を見て、ため息をつく。

「大丈夫じゃないな。」

ルシフェルは乃愛流を抱きかかえて、ソファーに座らせた。

「どこが痛む?」

乃愛流は手で場所を示して答えた。

「…確か、末期がんだったな。完治させることはできないが、痛みを和らげることならできる。」

ルシフェルは乃愛流が痛むといった場所に手を当てた。
ゆっくりと痛みが引いていく。

「…そんなに痛くない。」

「そうか。なら、よかった。」

ルシフェルが優しくほほえむ。
乃愛流は不覚にもかっこいいとか思ってしまった。

「ただ、俺の力にも限界はある。いつもこのように、ほぼ完全に痛みを抑えてやることはできない。今回は特別だ。だから、医者から出される鎮静剤は必ず飲め。」

「…わかった。」

「それから、契約についての説明だ。お前の魂は12月25日にもらう。それまでに死なれてもらっては困る。」

「なんで?」

乃愛流が首を傾げてそう聞くと、ルシフェルはニヤリと笑った。

「俺は人間に興味がある。だから、観察をしたいのだ。その対象がお前だ。」

「12月25日っていうのは?」

「イエス・キリストの誕生を祝う祭りの日だろうが。俺にとっては最悪の日だ。この日までに人間の魂を得て力を蓄えねば、キリスト教信者の信仰心に消される。」

「ああ、だから力に限界が…。」

「そうだ。お前に力を使っていては、お前の魂で補充しても足りなくなる。」

「そっか…。」

「お前の魂をもらうかわりに、お前の言うことを1つ聞いてやる。」

「がんを完治…。」

「無理だと言ってる。」

即答されて、やっぱりダメかとうなだれる。
言うことを1つ聞くと言われても、がんの完治以外ない。
何かないかと悩んでいると、ルシフェルの言葉を思い出した。

ー12月25日に魂をもらう。それまでは死なれてもらっては困る。

「…12月25日まで死んではいけないってことは、あなたはそれまで、私を死なないようにしてくれるってこと?」

「できる限りはな。」

「それなら…。」

うなだれていた頭を上げて、ルシフェルの眼をまっすぐに見つめる。

「私に付き合って。」

そう言った乃愛流は、生きる意志を抱き始めていた。

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