ザッ!ザッ!!
ヒゲ広場に3つの影が見えた。
チャクロと島の女の子はすでに舟に乗っている。
オウニは階段の手前の方でこちらを向いて立っていた。
待っていてくれたのだろうか。
私はオウニの元へ、走って行く。
オウニは私の肩を掴み、顔を覗き込む。
遠くから複数の声が聞こえている。
ここに誰かが来るのも時間の問題だ。
オウニはおもむろに体を少し離して振り返る。
チャクロの頬はほんのりと赤くなっていた。
他人に見られちゃった。
変な噂になると嫌だな…。
オウニは先頭に立ち、私はそのすぐ後ろに乗り込んだ。
舟はオウニが情念動を発動させたと同時に、ふわりと飛び立った。
だんだんと砂の海に近づき、…ザッと音を立て、舟が海に浮かぶ。
初めての体験に、心臓がうるさい。
ふと、目の前の大きな背中を見た。
四肢にアウラを纏い、長い髪をはためかせる、夕日の赤に染まらないオウニの青。
いつも冷えている手に触れられると何故か私の手は温かくなっていく。
華奢な見た目だけど、意外に骨っぽくて、大きな胸はとても心地良い。
そんなことを考えるだけで、私の心臓は元の速さに戻るんだ。
加えて言えば、本来の心臓の音より大きくなるのだが。
チャクロは島の右方を指差して言う。
オウニはそれに従い、島に舟を近づけた。
島に飛び乗り、舟を陸につける。
しかし、舟と陸との間にはまだ隙間があった。
オウニは私に手を差し出す。
私は立ち上がり、それに手を乗せると、オウニはすくい上げるように、陸へと誘導する。
オウニはチャクロたちには手を貸さなかった。
チャクロが島に飛び乗ると、女の子はそのあとに続き、島へ軽々と飛び乗った。
建造物が沢山あるのだが、泥クジラのものよりも、もっと頑丈な気がする。
外の世界はこんな感じなのか…?
でも、その割には誰もいる気配がない。
オウニがウイジゴケちゃんを光らせながら言う。
そう。
建物はあっても、ここに世界はない。
何もないのと同じ。
オウニは苛立ちを含んだ声でそう吐き、女の子の胸ぐらを乱暴に掴む。
チャクロは二人の間に入ろうとしたが、オウニはすぐに女の子を離した。
オウニだって、本気でこの女の子に当たってるんじゃないことは、私には分かった。
そう、何も知らない。
私たちには何もない。
自分たちの世界以外、なにも。
女の子は静かに歩み出した。
私たちは、それに黙ってついて行く。
大きな丘に、たくさんの鈍色に光る長い物が刺さっている。
女の子はこちらを無機質な目で見た後、その墓の間を通って、前へと進んでいく。
オウニは女の子の後を追いながら言う。
チャクロはその場に膝をついて崩れ落ち、小さな嗚咽を漏らしている。
私はオウニたちの後をゆっくりと歩み出した。
この数のお墓を、今のような表情で、一人でつくったのは、確かに女の子を軽蔑してしまう。
だけど、ここにたくさんの人たちが埋められたのは、女の子のおかげだ。
彼女が魔女であったなら、ここまで丁寧にお墓をつくろうとするだろうか。
彼女が無表情で無感情なのは、何か理由があるんじゃないのだろうか。
女の子の後をついて行くと、やがて不思議な建物の中へ入っていった。
依然、女の子は何も言わず、歩みを進めるだけ。
チャクロがそう言うが、私たちの速度は速まっていくばかりだった。
なぜなら、この先にある、未だまみえたことのない『もの』があって、引き寄せられているのかもしれないし、あるいは、知りたいという欲求が恐怖という感情を殺しているのかもしれない。
どちらにしろ、人の探究心と好奇心は時に身を滅ぼす。
女の子が、不気味に揺れるカーテンを手に掛けて立ち止まり、私たちへ振り向く。
女の子が中へと消えたので、私たちは同時にカーテンの前で足を進めた。
なんだか耳鳴りがする。
誰かに呼ばれているみたい。
そして私たちはカーテンを大きく開けた。
そこには、袋のような半透明な物体が固まって壁の額に張り付いていた。
呼吸をするように膨らみ、まるで生きているようだった。
なるほど。
そんな理由があったから無感情なのか。
女の子は表情を変えることなく、淡々と語った。
オウニが私たちの横をスタスタと通り、女の子とヌースの方へと歩いていく。
そう言って、女の子を払いのける。
チャクロは女の子の元へ駆け寄り、身体を起こす。
オウニ、何をする気なの…。
オウニは言い終わるや否や、その手をヌースに突っ込んだ。
私は急いでオウニに向かって駆けるが、先にチャクロがオウニの手を掴んだ。
しかし、オウニがその手を振りほどくと、チャクロもヌースの中に両手を入れてしまった。
私はオウニの手を掴み、顔を覗き込む。
その目はどこか遠くを見るようで、虚ろだった。
私はオウニの手を引っ張って、ヌースから手を離させた。
その刹那、一瞬だけ頭の中に『何か』が入ってきた。
それはアウラのような複雑な模様をした、羽だった。
脳裏でふわりと舞い上がったと思うと、次に瞬きした時には正気に戻っていた。
ほっと息を置いたのも、つかの間。
私たちはチャクロを振り向く。
そこには、オウニと同じように虚ろな目をしているチャクロがいた。
でも、オウニとは少し違う。
もっと『何か』を感じているようで、声をかけることを忘れて、ただ見つめてしまっていた。
すると、女の子がチャクロの腕を引き、ヌースから離した。
チャクロは女の子の手を解いて、その場に座り込んだ。
私たちの間に沈黙が流れ、それぞれ俯くだけだった。
オウニは私を見て、そう言った。
オウニがチャクロにそう言うと、チャクロは反応を示さなかった。
私がそう言って、彼の肩を叩くと、ゆらゆらと立ち上がって、私たちのあとをついて来た。
女の子は私を見つめて、何か言いたげだったが、3人が歩き出すと、無言であとを追ってきた。
元来た道を歩いていき、最初に舟を停めた場所に着くと、何隻かの舟がこちらに向かって来ていた。
私はオウニの立つ後ろに腰を下ろす。
案外呆気ないものだな。
外に出ることができたと思えば、そこには何も無くて、世界を知ることができるかと思えば、その世界は私たちの思うものでは無かった。
私は元から外の世界を憧れていた訳では無かった。
仲間たちは『外に出る』と言うけれど、今は自分のいる世界だけで精一杯だから。
でも、少なくとも、オウニにとって何らかの落胆があったならば、私はそれを悲しく思う。
憧れのものが、現実という変えることのできないもので壊されたのだから。
舟はいつの間にか、丘へ停まっていて、自警団をはじめとする、5人が私たちに近づく。
マソオ兄さん…。
ああ、出来れば会いたくなかったな。
マソオ兄さんはオウニの肩を激しく揺さぶる。
私は立ち上がって、マソオ兄さんの手をオウニの背後から払った。
私はマソオ兄さんと目を合わせず、オウニの手を引いて、少し距離をとった。
きっと私は、酷い顔をしてるんだろうな。
ほんと、恩知らずな人間だ。
オウニよりもずっと前から助けてくれていた恩人の手を、払ったのだから。
チャクロは放心状態だったが、舟に乗って来た女の子の声かけで、やっと正気に戻った。
島の女の子…リコスは自警団に連れられて、舟へと乗せられた。
私とオウニも自分たちが乗って来た舟に乗せられ、そこに自警団の1人が付いた。
オウニはそう言って、マソオ兄さんを見た。
今はチャクロを舟に乗せている。
手を払った事実が消える訳ではないのだから。
オウニはそれ以上何も言わなかった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。