あの後、母さんは病院に運ばれたけど、治療の甲斐なく亡くなった。
僕は、母方の祖父祖母に引き取られた。
二人はとても優しく、時々あの日の夜の夢を見て泣いている僕の背中を擦ってくれた。
母さんを殺した男、加瀬ジュンはあの後、警察に逮捕された。
あの男の証言では母さんを殺したのはただの気まぐれであったようだ。
その事を知った僕は憎しみを覚えた。
あの男を今すぐ殺してやりたい。どんな方法でもいい。母さんの仇をとりたい。
けれど、無力な僕は何もできなかった。いや、しなかっただけなのかもしれない。
母さんを殺された僕を心配している祖父や祖母を余計に心配させたくなかったし、もうあの男に人生を狂わされるのもいやだった。
僕は薄情な奴だ。
母さんを殺されてもなお自分の事しか考えていない。
それから、17年が経った。
あの事件で負った傷も癒え、僕は弁護士となった。
事務所ではいい先輩にも人生のパートナーとも出会えた。
やっと僕は幸せな人生を歩めると思った。
「すみません。依頼をしたいんですが。」
一人の男が僕が勤める事務所を訪れた。
僕は息が止まるかと思った。
あの男だ。こいつは母さんを殺したあの憎き男。忘れるはずがない。
先輩は固まっている僕に心配そうに声をかけてくれた。
最悪なことに、いま手が空いているのは僕だけで、彼の担当は僕となってしまった。
「担当の綾部俊彦です。」
いつも通り挨拶をする。
「加瀬ジュンです。」
名を聞いただけで息ができなくなりそうになる。
けれど、この男は僕のクライアント。仕事に意識を集中させると少しは楽になった。
話を聞くと、どうやらこの男は会社で揉め事をおこしたようだった。
手続きを終え、この男を帰した。
あの男は僕とは初対面であったようなやりとりをしていた。
無理もない。あの男が釈放されたのを聞き、また僕の目の前で誰かを殺されるかもしれないという恐怖から僕は綾部俊彦と名を変えた。
けれど、名を変えてもあの男に出会ってしまうとは……。
本当にあの男とは運命の糸で繋がっているのかもしれない……。いや、違う。単なる偶然だ。
僕は自分に言い聞かせていないと自分がおかしくなってしまいそうに思えた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。