普段は声を荒らげることのない亜紀の大声に、もちろん私は驚いた。
でも、何より驚いたのはその表情。
明るい人柄で笑顔を絶やさない亜紀が、凄い目つきで先輩を睨んでいる。
「さっきから黙って聞いてれば、ありもしないことばっかり言って。何考えてようが勝手だけど、気持ち悪い妄想を菜波に押し付けないで!!」
「亜紀…」
亜紀の言葉に、自然と涙が溢れてきた。
そして、亜紀に駆け寄ろうとしたとき。
「…勝手なのはどっちだよ」
「え、」
冷たい声に、体が固まる。
亜紀が先輩の方を見ようと顔を上げた瞬間。
亜紀の腕から赤い液体が飛び散った。
「いやあぁぁぁっ!!」
「亜紀っ?!」
私ははっと正気に戻って亜紀に駆け寄る。
腕からは大量の血が溢れ出ている。
「菜波はお前より俺が好きなんだよ。仲の良い友達だなんて勝手な妄想押し付けてるのはお前の方だろ?」
「そんなことない!私は、亜紀と一緒にいたほうが楽しい!」
必死で訴えかけるものの、先輩はまるで私の言葉なんて聞こえていないよう。
焦点の合わないうつろな目で腕を抱えて蹲る亜紀にフラフラと歩み寄る。
「お前がいなければ、菜波は俺と幸せに…」
「やめてえええっ!亜紀に酷いことしないで!」
先輩が亜紀に向かってナイフを振り上げた瞬間、私は二人の間に飛び込む。
「っう…!」
勢いが強かったせいで、直前で私に気づいた先輩はナイフの動きを完全には止めきれなかった。
僅かに頬と肩を切って、ポタッと床に血が落ちる。
私には、それを見て先輩が正気に戻ることを祈るしかなかった。
「菜波…?あれ、何でこんな…」
ほっと胸をなでおろした、その時。
「邪魔するなら、俺のこと見てくれないなら…菜波も殺すしかないんだ。そうすれば菜波は永遠に俺のものに…」
「え…先輩…?」
驚くほど冷たい声に、私は無意識のうちに数歩後ろに後ずさる。
「ねぇ菜波…俺に殺されてよ。」
再びナイフを振り上げる先輩。
震える手から、愛用している手帳と1枚のトランプが落ちた。
これだ!これしか生きる道はない!!
「先輩!私と大富豪してください!!」
先輩はピタリと動きを止めた。
ここぞとばかりに一気に畳み掛ける。
「先輩が勝ったら、私は先輩の言うこと聞きます!殺してくれても構いません。…でも、私が勝ったら、もう付き纏うのはやめてください!私も亜紀も、生きて帰ります!」
これで先輩がのってくれなかったら、終わる。
私は縋るようにまっすぐ先輩を見つめた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!