『トントン』
誰かが店仕舞いを既に終えた甘味処の戸を叩いた。
私は仕込んでいた小豆の鍋蓋を閉じて、割烹着の背のリボンをスルスルと外すと、戸に向かって声をかける。
さっきまでの小豆の甘い匂いが一瞬にして、別の匂いに押し潰される。
後味の悪そうな甘い匂いに鉄分が加えられた、異様な匂い。
この種の甘い匂いを放つのは、ひとつしかない。
私は調理場に隠してあった刀を手にすると、迷うこと無く戸を開けた。
その瞬間、大きな影が私に重なり、後味の悪い甘い匂いは更に濃くなった。
私はその大きなものの後ろにある、雲一つかかっていない月を見て言い放つ。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!