第7話

少しずつ、変わるもの、変わらないもの
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2021/08/09 04:00
(なまえ)
あなた
いけない、遅くなっちゃった
 スクールバッグを手に、図書室へ続く廊下を歩く。
 いつも通りの放課後。ただひとつ違うのは……昨日先輩と出掛けたことだ。
(なまえ)
あなた
ふふっ……
 上着のポケットで揺れるくまの鼻先をちょん、と触る。
 ずっとそばに置いておきたくて、昨日帰ってすぐスマホにつけたのだ。
(なまえ)
あなた
(今日も恋人ごっこ、するのかな?
 なにをするんだろう)
 そう考える度に昨日のデートを思い出して、くすぐったさと気恥ずかしさがこみあげてくる。
(なまえ)
あなた
(あぁ、どうしよう。
 先輩の顔、
 まともに見れないかも……)
 繋いだ手の感覚がまだ残る指で扉を開けた。
時雨
時雨
あなたちゃん。おつかれさま
(なまえ)
あなた
おつかれさまです……?
(なまえ)
あなた
(あ、あれ……?
 いつも通り、だ……)
 胸がチクっと小さく痛む。
 一日一緒に過ごして、先輩の知らなかった一面もたくさん知って、手も繋いだのに……。
 意識してるのも舞い上がっているのも私だけ。そう言われているようで心が苦しくなる。
 それどころか——
(なまえ)
あなた
あの、先輩。この本って……
時雨
時雨
え? あぁ。俺がやっとくから
そこに置いといていいよ
(なまえ)
あなた
……わかりました
 そっけない返事の後、ふいっと顔を逸らした先輩は本棚の方へ消えてしまった。
(なまえ)
あなた
(私、なにかしちゃった……?)
 昨晩、駅へ向かう途中で「いつもと同じ放課後みたいだった」と言った先輩の言葉を思い出す。
 せっかくのお休みを潰してまでデートしたのに、恋心について大した収穫もなかったことに嫌気がさしたのかもしれない。
 底の見えない不安と焦燥感が身の内をぐちゃぐちゃにかき回してゆく。
 このままじゃダメだ……。でも、どうすれば……。
 戸惑いを抱えたまま、さまよわせた視線のその先で見覚えのあるものを見つけて息をのんだ。
(なまえ)
あなた
先輩、つけてくれてるんだ……
 別れ際にプレゼントされたおそろいのくまが、先輩のカバンに眠たそうな目でぶら下がっている。
(なまえ)
あなた
(すっごい、うれしい……)
 二人だけの思い出が大切にされているようで、頬が緩んだ。
 その時、おもむろに図書室の扉が開かれて、女の子たちが姿を現した。
 先輩のファンの子たちだ。
女子生徒2
ねえちょっと
(なまえ)
あなた
は、はい! えと、
今渡辺先輩は席を外してて……
女子生徒1
時雨くんじゃなくて
あなたに用があるの
(なまえ)
あなた
え……?
女子生徒2
ちょっと来てもらうから
(なまえ)
あなた
で、でも図書委員の仕事が……!
 制止の声もお構いなしにぐいっと手首を掴まれて、もはや連行とでもいうような形で図書室から連れ出されてしまった。
時雨
時雨
あなたちゃんこの文庫って……
——あなたちゃん……?


 ***

女子生徒1
なんであんたみたいなのが
時雨くんとおそろのキーホルダー
つけてんの?
女子生徒3
もしかしてぇストーカー?
まじきっしょいんだよ!
 腕を引かれて中庭の柱の陰に連れ込まれ、柱を背に囲うように詰められた。
女子生徒2
時雨センパイと
同じ委員会だからって
調子乗ってるんじゃないわよ
 少し赤くなってしまった手首をさする。
 ——こうならないようずっと気を付けていたはずなのに……。
 唇をぐっと噛む。
 ……彼女たちの言うように浮かれていたのかもしれない。
 先輩とふたりだけの秘密ができて、前よりずっと距離が縮まって、もしかしたら自分も……って。
(なまえ)
あなた
(何の取り柄もないくせに……)
女子生徒1
なんとか言ったらどうなの!?
 強くすごまれて、体が強張る。
(なまえ)
あなた
(どうしよう、どうすればいい?)
(なまえ)
あなた
(どうしたら
 ここから逃げられる……?)
 怖気づいた心が折れてしまいそうになった時、ふとポケットにおさまるくまの眠たい瞳と目が合って、拳をぎゅっと握った。
(なまえ)
あなた
(……このまま言われっぱなしに
 なりたくない!!!)
 足をぐっと踏ん張って、大きく息を吸う。
(なまえ)
あなた
あのっ——!
時雨
時雨
なにしてんの!!!
 なにか言い返そうとした私の言葉を遮るように、声が飛んできた。
女子生徒1
は、時雨くん……!?
女子生徒2
これはちがくてっ!
 その場の視線を一身に集めた先輩が私を庇うように割り込む。
時雨
時雨
ねえ、なにしてたの?
 いつものゆるっとした先輩からは想像もつかないほど静かな怒りをはらんだその声に、周りの女の子たちが後ずさる。
(なまえ)
あなた
(心配して、くれたのかな……)
 こんな状況なのに胸がじんわりと温まって、嬉しくなる。
女子生徒2
ちょ、ちょっと
話してただけよ。ね?
女子生徒1
そうそう……! もう用は
終わったから私たちはこれで!!
 そう言って彼女たちはバタバタと去っていった。
時雨
時雨
大丈夫だった? 怖かったよね
(なまえ)
あなた
こんなの、全然だいじょぶです。
先輩が来て、くれたので……
 弱いところなんか見せたくなくて強がったけど、声が震えてしまった。
時雨
時雨
……、ごめん。俺のワガママに
付き合わせてるせい、だよね
 迷うように宙をさまよった先輩の手が視界の端でぐっと握られる。
(なまえ)
あなた
え、いやそんな……!
 ちがうの、そんな顔させたかったんじゃないのに。
(なまえ)
あなた
先輩が謝る必要なんか
ないですから……!
時雨
時雨
ほんとにごめん。
あなたちゃんは……
本当の彼女じゃないのに
(なまえ)
あなた
あ、ハハッ……そうですよね。
……うん、ほんと。
彼女なんかじゃ、ないのに
 頭をガツンと殴られたような衝撃が走る。
(なまえ)
あなた
(あー、もう馬鹿だなぁ。
 ……きもちわるくなりそうだ)
 ズクズクと傷口から血が流れるように胸が痛む。
 私、ほんとうに怖くなかった。先輩がそばにいてくれるように思えたから。
 きゅぅっと、ポケットで揺れるくまに触れる。
 ……でも、彼女たちの言葉よりなによりも、気遣って言ってくれた先輩の、その言葉が一番つらくて。
 今度はひざから崩れ落ちないよう、気をたしかに持つので精一杯だった。