放課後。
まだ誰もいない、ふたりっきりの図書室で渡辺時雨先輩に声をかける。
返却本を本棚に返してきただけなのに。ちょっと目を離した隙にまた寝てる。
つい頬がゆるんでしまう。
……二年の教室、図書室に近くてよかったなぁ。ちょっとだけ、先輩の寝顔をひとりじめできる。
ちらっと、廊下を振り返る。まだ人影はない。
私にとって、図書委員の仕事がある日の放課後は、特別なもの。
図書室は自分の好きなもので溢れていて、とっても落ち着くの。
意地っ張りで虚勢を張っちゃう私が素直になれる、特別で、大好きな場所だから。
今気持ちよさそうに寝てるのは、三年の渡辺先輩。
先輩は同じ図書委員で、委員長だ。
いつもゆるっとしててやる気なさそうなのに、成績優秀で学校内外にもファンがいるイケメンさん。
そして……何の取り柄もない私とは、住んでる世界の違う人。
だけど、春の陽気みたいな先輩は私にもやさしくて、とっつきやすくて、一緒にいると気持ちが楽で……。
私の——好きな人だ。
見慣れた景色と気の置けない人だけのこの場所では、自然体でいられる。
貸出カウンターの中に入って、壁にもたれて眠る先輩の肩を軽く揺らす。
ふわふわの黒髪からのぞく、人形のように整った寝顔が綺麗で、とくとく心臓の音が大きくなる。
その時、ぱちっとまぶたを開けた先輩と目が合って、どくん、と心臓がはねた。
けだるげな色をまとった黒い瞳はどこか色っぽくて……、目が離せない。
へにゃっとやさしく笑ったその表情に、胸がぎゅっと締め付けられる。
って、そうじゃなくて!
腕をぐーっと大きく伸ばした先輩は、二年間募らせた私の恋心になんて少しも気づいていない。
ちょっと目を離した隙に寝ちゃうくらいのんきでマイペースで、相変わらずゆるゆる。
心の中で唱えるだけで、顔から火が出そうだ。
こんな気持ち、絶対伝えられないけど。
触れた頬があつい。
ふいにへらっと笑った先輩と視線が交わって、胸が高鳴る。
思わず口をついて出たのはかわいげのない言葉。
言いつくろうとして口を開いた私をさえぎるように、廊下から「きゃー!」という女の子たちの黄色い声が飛んできた。
……完全にタイミングを失ってしまった。
声を上げる女の子たちを横目に、先輩から少し離れた場所へ避難した。
先輩はモテる。それはもうほんと、嫌になるほどに。
だけど、こんなことでいちいち張り合ってたら身が持たない。
だって、〝渡辺時雨モテ伝説!!〟みたいなのはあげればキリがないもの。
でも、どうしたって気になってしまう。
やっぱり没個性な見た目でかわいげもない私とは、住む世界が違うんだな……。
きらきらしたかわいい女の子たちと、人気者の先輩。
楽しそうに話しているのを眺めていると、さっきまで私に笑いかけていた先輩がずっと遠い人のように思えてしまう。
先輩と気軽に話せる今の関係は奇跡みたいなもの、なんだ。
ぎゅっと手を握りしめた。
***
ひらひらと手を振る先輩の姿を眺める。
もやもやした気持ちのままに、口にした言葉はまるで八つ当たりのよう。
なに、それ……。
びっくりして、黒く沈んでいた感情はどっかに消え去ってしまう。
なのに当の先輩はのんきにあくびなんかしちゃって。
今の関係を壊したくないのに、好きばっか溢れてく。
嫌なこと忘れさせて、私の心を引き上げてくれる先輩の、その何気ない一言も、きらきら眩しい笑顔も、ぜんぶぜんぶ無自覚なの、ほんっっっとたちが悪い!
穏やかでゆっくりした時間が流れる図書室。
普段通りの、のんびりした調子で名前を呼ばれ、読んでいた文庫本からふっと顔を上げた。
作り終えた本紹介のポップを横に置いた先輩がこちらをじっと見つめている。
その目はさっきまで真面目に作業していたからなのか、少し真剣さを帯びていて、いつもと違う雰囲気にどきっとする。
先輩の口から告げられた突然の告白に、状況を把握しきれず思わず固まってしまった。
どういうこと……?
徐々に言葉の意味を理解した心臓がばくばくと暴れだす。
思わずつねったほっぺはしっかり痛くて。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。