第11話

最後、の言い訳
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2021/09/06 04:00
 ——恋人ごっこの終わりを、先輩に告げる。
 そう心に決めた日であっても、図書室の空気は何一つ変わらない。
時雨
時雨
今日は……一緒に帰ろっか。
放課後デート、みたいな
 恋人手帳を手にした先輩が「駅まで一緒に歩くだけだけど」なんて、何も知らない顔で笑う。
(なまえ)
あなた
先輩っ、あの……
 ——そういうの、もうやめにしませんか……?
 たった一言、「終わりにしましょう」そう伝えるだけ……、なのに。
時雨
時雨
なぁに?
 ふわっと微笑まれて、胸がどくっと大きく脈打ち始める。
(なまえ)
あなた
えっと、……っ
……やっぱりなんでもない、です
時雨
時雨
そう?
たのしみにしててね。なんて
 とろけるような笑みを浮かべられると心が揺らいでしまう。
 覚悟を決めてきたはずなのに、すんでのところで勇気が出ない。
(なまえ)
あなた
(はやく、
 言わないといけないのに……)
 そう思えば思うほど、のどがつぶれて声が出せなくなる。


 ***

 そうこうしているうち、あっという間に下校時刻が来てしまった。
時雨
時雨
じゃあ帰ろっか
 はやく断ればいいのに私だけに向けられる笑顔が愛しくて。
(なまえ)
あなた
(これで最後にするから……)
 心の中で言い訳して、こくりと頷いた。
時雨
時雨
こうやってあなたちゃんと歩くの
この前のお出かけ以来だね
(なまえ)
あなた
そう、でしたっけ
(なまえ)
あなた
(あの時は楽しかったんだけどなぁ)
 交互に組まれた歩道の石畳を眺める。胸が痛い。
時雨
時雨
また手つなぐ?
(なまえ)
あなた
……学校の人、
いるかもしれないので
時雨
時雨
そ、っか。そうだよね、ごめんね
 すっとおろされた手に後悔みたいなものが浮かんでしまって、首を振った。
 と、近くでスマホのバイブ音が聞こえてきた。
時雨
時雨
あれ、ごめん俺の電話だ。
……なっちゃんから?
(なまえ)
あなた
……!
 表示名を確認したらしい先輩が、迷わずスマホを耳に当てる。
 池宮さんと電話越しに話す姿を見て、胸の奥でくすぶっていたもやもやが質量を増す。
 肺がつぶれたみたいに息苦しくて、嫌な気持ち。
 これは——嫉妬だ。
時雨
時雨
え? まぁ……いいけど……
変なこと言っちゃダメだよ
 盗み聞きしたいわけではないけど、私にはわからない会話をすすめる電話口の相手に嫉妬してる。
(なまえ)
あなた
(でも今先輩の目の前にいるのは
 ……私でしょ?)
 気づいたら先輩の服の裾をぎゅっと握っていた。
時雨
時雨
あなたちゃん?
(なまえ)
あなた
あ、
 見開かれた先輩の綺麗な瞳と目が合って、慌てて手を離したけど、今更意味はない。
(なまえ)
あなた
えっと……
(なまえ)
あなた
(別れるって決めたのに
 こんなことして……。
 なにか言い訳しないと……)
時雨
時雨
あなたちゃんに
替わってほしいって
(なまえ)
あなた
え?
 すっと差し出されたスマホに今度は私が目を丸くする番だった。
(なまえ)
あなた
(『替わってほしい』って、
 なんで?)
(なまえ)
あなた
(私に対する恨み言……?
 でもそんなの先輩が
 見過ごすはずないし……)
 戸惑いながらも、おずおずとスマホを受け取る。
(なまえ)
あなた
えっと、もしもし
小夏
小夏
この間はごめんなさい!
(なまえ)
あなた
へっ?
 想定していた内容とは正反対の言葉に拍子抜けする。
小夏
小夏
急に『別れたほうがいい』なんて
余計なことを言ってしまったんじゃ
って、ずっと考えてたの
小夏
小夏
……ごめんなさい。
あなたと時雨二人のことだから、
あなたの言う通り私がとやかく言う
筋合いはなかったのに
(なまえ)
あなた
ちょっと待ってください!
あの、話がまったく
見えないのですが……
 頭に「?」ばかりが浮かんで、ぐるぐる思考が空回る。
(なまえ)
あなた
(なんの話をしてるの?
 池宮さんも先輩が好きで……)
(なまえ)
あなた
(だから非難するようなことを
 言ったんじゃないの?)
小夏
小夏
あ……ごめんなさい。
気持ちが先走っちゃって。
最初から説明するわね——
 それから、先輩と池宮さんの関係や、なんで「別れたほうがいい」なんて言ったのか、先日の一件についての話を聞いた。
 要約すると、「二人は幼馴染で、池宮さんは先輩と話す中で偶然恋人ごっこのことを知ってしまい、誰にも相談できないであろうおよそまともでないことに無理して付き合う必要はない」と言いたかったそうだ。
 つまり……どうやら私を心配してくれていたらしい。
小夏
小夏
ほら、時雨って
無神経なところあるでしょ?
天然っていうか
鈍感っていうか……
(なまえ)
あなた
あぁそれは……否定できませんね
 先輩の言動に思い当たる節が多すぎる。
小夏
小夏
それにあなた、
時雨のこと好きでしょう?
(なまえ)
あなた
!??!
小夏
小夏
だからなおさら
無理してるんじゃないかと
思ってね
(なまえ)
あなた
な、なんで知って……!
小夏
小夏
ふふっ、かわいい
 くすくす控えめに笑う池宮さんの声が電話越しに聞こえてくる。
(なまえ)
あなた
でも池宮さんも、先輩のこと……
 ずっと胸の内でくすぶっていたことがぽろりとこぼれた。
小夏
小夏
へ、私? そんなまさか!
時雨はただの幼馴染で、
それ以上でも以下でもないわよ
(なまえ)
あなた
え、じゃあ……
 つまりそれって、全部私の早とちりだったってことで……。
(なまえ)
あなた
(う、うわぁ……
 恥ずかしすぎて
 死んでしまいたい……)
小夏
小夏
……もしかして
そこの勘違いまでさせてた?
ほんとうにごめんね
(なまえ)
あなた
いえ、私が勝手に
思い違いしただけなので……!!
小夏
小夏
ふふ、やさしい子ね。……あのね、
私が好きなのは時雨じゃなくて、
彼のお兄さんのほうなの
(なまえ)
あなた
小夏
小夏
でも、まだ私の片思いだから
秘密にしておいてね
(なまえ)
あなた
わ、わかりました……っ
 人の恋心を知って、むずがゆい気持ちになる。
小夏
小夏
色々大変だろうけど、
応援してるわ。じゃあまたね
(なまえ)
あなた
ぁ、はい
……ありがとうございます
 プツッ、と電話が切れる。
(なまえ)
あなた
(最後の言葉……)
 胸のわだかまりはほぐれたけれど、純粋に「応援してる」と言ってくれた池宮さんにさえ「今日で別れる」とは言えなかった。


 それからも、心を決めては先輩のやさしい表情になにも言えなくなる、を繰り返しているうちに、もう駅の改札だ。
時雨
時雨
じゃあここで
 先輩とは電車の方向が違うから、一緒に帰るのは、……一緒にいられるのは、ここまで。
(なまえ)
あなた
さよなら、せんぱい
時雨
時雨
……なんか、
お別れみたいに言うね?
ふふ、ばいばいあなたちゃん
 手を振って遠くなる姿を見送る。
 その後ろ姿が人にのまれて見えなくなってから、先輩とは逆のホームへ歩きだした。
 鞄からスマホを取り出す。
(なまえ)
あなた
(顔を見て伝えられないなら、
 文字で送ればいい)
 画面をスワイプして文字を打ち込む。
 ——シュポン
(なまえ)
あなた
(……なんだ。
 すっごく簡単じゃん……)
 画面には送ったばかりの吹き出しが二つ並んでいる。
あなた
《もう終わりにしましょう》
あなた
《恋人ごっこ》
 言えなかった言葉を乗せて放たれた、腑抜けた送信音がやけに耳にまとわりついて離れてくれない。
(なまえ)
あなた
はぁ……
 体から力が抜けて、詰めていた息が吐き出される。
 スマホでは、先輩にプレゼントしてもらったくまがゆらゆら悲しげに揺れている。
(なまえ)
あなた
ごめんね。でももうぜんぶ、
おそいんだぁ……
 なんとかこらえていた涙があふれ出て、ホームの真ん中なのに涙が止まらない。
駅のアナウンス
二番線、電車が参ります。
ご注意ください
 風をまとって駅へ滑り込んできた電車が、静かに止まる。
 袖で無理にぐいっと雫をぬぐって、電車に乗り込もうと一歩を踏み出した。
 その時。
 ぐっと腕を引かれる。
時雨
時雨
ごめん
 小さく囁いたその声は先輩のもので。
(なまえ)
あなた
せ、んぱ……
(なまえ)
あなた
(なんで?
 どうしてここにいるの?)
 さっき、ぜんぶ、終わったはずなのに。
 とくとく、期待をはらんだ鼓動が耳の奥でこだまする。
時雨
時雨
ごめんあなたちゃん。
最後に、もう一度だけ……
時雨
時雨
俺のわがままに
付き合ってくれないかな
 ぐっと下唇を噛む。
(なまえ)
あなた
……やだ、ぁ
 お願いだから、これ以上かき乱さないでほしい。
時雨
時雨
これで最後にするから
(なまえ)
あなた
っ……
 切に願ってくるものだから、断り切れない。なんて、自分に甘くて、先輩に甘い。
 さっきは握れなかった手と手がいともたやすく結ばれる。
 まるで絶対離れないとでも言うように、固く手を繋がれたまま、ホームを人の流れに逆らうように、二人歩き出した。