合鍵をもらって一週間。
時間が経つの、早いなあ……。
結局、答えが出ないまま。
いつもなら嬉しいはずの家に行くまでの道のり。
でも今は……正直、ちょっと複雑。
はぁ……。
今日は日曜日だけど、
チア部は外部のコーチに練習を見てもらう日だから
顧問の先生も付き添いで出かけている。
せっかく合鍵をもらったんだから、
早めに先生の家に行くと決めていた。
気持ちは落ち込んでいるけれど、
鍵を握りしめると、先生の手のぬくもりを
思い出しちゃって、ドキドキするなあ……。
先生の部屋の扉に鍵を挿す。
ガチャッと音がして、鍵が開いた。
わあああ。開いた……。
緊張するなぁ~~~。
いつも先生がいる部屋は、しん、と静かで
なんだか別の家に来たみたい。
テーブルの上には「よろしくお願いします」と
キレイな字で書かれた、先生からの手紙が置いてあった。
嬉しいけど……。
私の心の奥はズキンと苦しい。
――って言ってみたけど……。
簡単に元気になれるわけないよね……。
はあ……。
ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、
私はお風呂場やキッチン、お家の隅々まで
一生懸命掃除していった。
お風呂場の鏡に映るかおりの姿――。
うーん。わかんないよ……。
心は私。でも外見は別人。
先生の特別は、心?それとも外見?
心だったら嬉しいけど……。そんなこと聞けない。
ぐるぐる回る洗濯物を見ながら、
私の頭もぐるぐる回っていく。
もし、万が一、億が一!
心を見てくれていたとしても、外見が高校生の私だったら?
先生の特別にはなれてないよね。
やっぱり、先生のそばにいられるのって
かおりの姿になってるからだし……。
キャップからあふれた柔軟剤が
たっぷりと洗濯槽に吸い込まれていた。
ボトルが軽い気がする……!
もう!しっかりしないと!
こんなんじゃダメ!絶対ダメ!ダメダメダメなの!
私は辛いけど……。でも、そんなの先生に関係ない!
先生に幸せになってほしいって誓ったんだから。
結ばれなくたっていい……。
応援できるだけでいいって、始めたことなんだから……。
時計を見ると随分時間が経っている。
無我夢中で掃除してたみたい。
もう、部活も終わるころかな……。
ソファに座って一息ついて、
先生が帰ってくるのを待とう――。
ふわっとソファに寄りかかると、
ちょっと先生の香りがする。
ふわふわとした心地。夢を見てるみたい……。
そんなこと考えたことなかった……。
女神さまは早口で私に向かってまくし立てる。
私だってわかってる。
鍵をくれたのも、上着を貸してくれた優しさも。
全部全部、かおりに向けたものだって……。
ホンモノの気持ちって……何?
私にはわかんない……。
わかんないよ……。
私は耳を塞いで、目をぎゅっとつむって
ソファの上で縮こまった。
次から次へとあふれてくる、涙、涙、涙。
先生の家なのに、声をあげて泣いちゃった。
私だってわかってる。
本当はわかってるんだ。
でも、今、私が先生のためにできることなんて
かおりの姿で家政婦として働くことくらいしかないんだよ……。
………。
――はっ!!!
夢……????
夢かあ……なんか嫌な夢……。
私はソファで寝ちゃってたみたい。
真っ暗なテレビに映った私は
見慣れた高校生の姿をしていた。
先生、まだ帰ってきてないよね……?
掛けてあったブランケットを畳んで――。
ブランケット……!?!?
もしかして、先生が掛けてくれた?
嘘!?いつ!?
変身解ける前だよねッ!?
早く早く早く!!!
香水!!
女神さまは髪の毛を指でくるくる弄んでいる。
夢……じゃなかったの!?
ホントの、正直な気持ち……。
私の先生への、正直な気持ち……。
女神さまは一瞬でかおりに変身させてくれる。
それと同時に、お風呂上りの先生が
部屋に入ってくる。
……あれ?
先生、普通な感じ?
でも!?
やっぱりバレてる!?!?
ね、寝顔―!?!?
そっか!わあああ!バレてるか気にしすぎて不意打ち……!
可愛かったって……!きゃー!
もお~!びっくりさせないで~~~!
でも……。
バレた方が、よかったのかな……。
正体はバレて欲しくない。
でも、「彩香」だって知ってほしい。
気持ちがぐちゃぐちゃで、苦しいよ……。
私が浮かない顔だったのかな。
先生はそう言って気遣ってくれる。
先生……。
やっぱり、かおりのこと……。
きゅんとする気持ちがあるのに、
悲しい気持ちにもなっちゃう。
先生が隣に座る。
珈琲はとてもいい香り。
先生にはバレてなさそうだし、
ほっと一安心。
そう思っていたのに――。
そういえばそんなことも言ったかも……。
でも……なんで急に……?
よかった……けど……。
なんで過去形なの?
先生は笑顔のまま、何も答えてくれない。
代わりに、綺麗にラッピングされた
エレガントなお花のパッケージのシャンプーを渡してくれた。
私は先生の言葉を遮ってしまった。
だって……。プレゼントとかお礼とかって、
今日で最後って言ってるみたいじゃん……。
しかし、現実の先生はゆっくり首を横に振っていた。
私は現実が受け止められずに、
必死に先生に訴えた。
はっ――。
もしかして……。
先生、私の本当の姿……。
見ちゃった……の……?
黒月先生は迷ったような、困ったような
渋い顔をしている。
少しの間、何もしゃべらなかった先生は
何かを決めたようにため息をついた。
先生はハッとしたような顔をした後、
唇を噛んで、大きな手で目を隠し、私の視線を遮ってしまった。
先生はそう言って、立ち上がった。
もう取り合ってももらえない。
もっと頑張ります。そう言いたかった。
でも、もし高校生の私の姿がバレていたら……?
もっと頑張ります。もっとできます。
ダメなところがあったら言ってほしい。
ちゃんと直したい。
今すぐ、先生にすがりついて、
そう言いたかった。
でも……。
バレていたら、きっとどんな言葉も
先生には伝わらない。
私が嘘をついていたんだもの。
動かない私と目を合わせることなく先生はそう言って、
玄関へ続く扉を開き、私が家を出るように促している。
私はそれだけを伝えて、先生の家を後にした。
これだけは嘘じゃないから。
信じて欲しい――。
あふれる涙が止まらなかった。
泣いても泣いても、涙があふれてきた。
応援の気持ちに嘘はない。
でも、先生に噓をついていたことも事実。
心が、とか、外見が、とか。
そんなこと気にしてたけど、
嘘をついてたら、心を好きになってもらえるわけないよね。
そんなの……。
先生に嫌われたって、当然……じゃん。
私、バカだなあ……。
☆彡
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。